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★下関運転所(1970〜2005)

1.1970(昭和45)年10月改正

本州の西端、下関運転所のEF65のブルトレ牽引の歴史は意外と古く、1970(昭和45)年10月の改正に始まる。この改正で本来東北本線用に作られたPF形3両が下関運転所に配置されたのである。これはPF形が汎用性が高いためにEF65形の増備をPF形に統一したものである。下関運転所には3両のEF65PF(1023号機〜1025号機)が配置された。この3両のEF65PFは、特急「彗星」の牽引を担当することとなった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

23・24

彗星

新大阪〜下関(都城)

 

2.1972(昭和47)年3月改正

管理人の誕生日でもあるこの改正は、ブルートレインが増発された。東海道、山陽筋では東京〜宇野間の「瀬戸」、東京〜浜田間の「出雲」、新大阪〜熊本・長崎間の「あかつき」が1往復、新大阪〜大分間に「彗星」1往復が増発され、東京機関区のEF65Pは両数が不足がちになっていた。この改正では半年後に95km/h運転の高速貨物列車Bが増発されることによって、時間帯がバッティングする新大阪〜九州間の夜行列車を95km/h運転とすることを前提に、EF58牽引とする計画だったが、20系客車を牽引する場合は95km/h運転でも元空気だめ管引き通し線の工事を施工する必要があり、次の1972(昭和47)年10月の改正までは同区のPF形が牽引することになり、EF65PF形が広島機関区からの転属も含めて8両が用意されたが、これでも両数が不足した。そこで当時下関運転所にいた貨物用のEF65F形がなんと、僅かな期間ながら再びブルートレインの牽引をすることになったのである。

EF65F形は20系を牽引して110km/h運転はできないのだが、10000系貨車を牽引して100km/hで走行できるための装備は持っており、簡単な改造で20系牽引の高速運転の装備が取り付けられることからF形にもそれらの工事が施工され、PF形と共通ながら以下のブルートレインの牽引に当たった。

 

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

21・22

あかつき1・3号

新大阪〜下関(西鹿児島・長崎)

25・26

あかつき2・2号

新大阪〜下関(西鹿児島・佐世保)

27・28

あかつき3・1号

新大阪〜下関(熊本・長崎)

23・24

彗星1・2号

新大阪〜下関(都城)

29・30

彗星2・1号

新大阪〜下関(大分)

4001・4002

日本海

大阪〜米原(青森)

 

 

3.1972(昭和47)年10月改正

この改正では、本格的に50000系貨車による95km/h運転の高速貨物列車Bの運転が開始され、前述の下関運転所が担当したブルートレインは20系牽引対応工事が施工された米原機関区および下関運転所のEF58形が担当することとなった。これによってEF65PF型は下関運転所のまま増発された高速貨物列車用に、そしてF形は広島機関区へと転属となった。

これで下関運転所のEF65特急が途絶えたのかと思えたら、そうではない。この改正で集中台車検査制度が採られることになり、東京機関区のEF65P形の台車検査を下関運転所で行うこととなった(東京機関区の項参照)。これによって東京機関区からEF65501〜504が転属となり、東京機関区のP形の台車検査時に東京まで往復した。また下関にはPF形も存在し、性能的には同一なので、PF形とP形4両は半ば共通運用とされ、PF形が上京するシーンも見られた。

またこのころ、14系座席車による臨時特急「しおじ」が多客期を中心に運転されていたが、この臨時特急「しおじ」の牽引は下関運転所のEF65P形またはPF形が牽引した。

そして新幹線博多開業前の最後のダイヤ改正となった1974(昭和49)年4月の改正では、日豊本線の南宮崎電化が完成し、新大阪発着のブルートレインは「あかつき」が7往復、「彗星」が5往復までに膨れ上がった(うち1往復は「あかつき」と「彗星」の併結列車)。これによってEF58形が不足したことや、新幹線の博多開業後に東北本線に転属するための電気暖房装置取り付け工事などでEF58が不足し、書類上では「あかつき4・4号」の新大阪〜下関間の担当を行った。また改正直前は「つるぎ」の大阪〜米原間を担当したこともあるようだ。これはやはり転属を前にしたEF58の不足によるものと思われます。

 

4.1975(昭和50)年3月改正

山陽新幹線が博多まで開業したこの改正では、岡山始発の寝台電車「月光」を含めた関西〜九州間の夜行列車が大幅に見直され、急行は3往復を残して全滅し、特急の方も電車寝台を含めても12往復に整理された。また行き先別に愛称を統一し、長崎本線系統は「あかつき」、鹿児島本線系統は「明星」と例外的に「なは」、日豊本線系統は「彗星」と統一された。

この改正で下関運転所のEF65のうち、PF形は宇都宮運転所または広島機関区に転属となり、下関運転所にはP形の501〜504が残った。この4両は従来どおり東京機関区のP形の台車検査時の代機として使われていた。

なお、1978(昭和53)年10月改正で東京機関区のEF65P形はPF形に置き換わったのだが、この下関運転所の台車検査時の代機の4両もPF形に置き換わった。1092〜1095号機が下関運転所の配置となり、EF65501〜504は沼津機関区に転属となって東海道本線の貨物列車用となった。下関運転所のP形→PF形置き換えも10月改正前に行われ、7月末に早速1095号機が「さくら」を牽引して上京したようである。

 5.1979(昭和54)年7月

宮原機関区の項でも書いたのだが、新大阪・大阪〜九州特急を牽引していたEF58の老朽化および瀬野→八本松間の補機連結解消のため、下関運転所にEF65PF形が10両(1119〜1127及び1129号機)配置され、広島機関区のEF58の担当だった「明星3・4号」及び電車寝台の1・6号を除いた「彗星」を担当した。なお東京区のPF形の代機として配置されていた1092〜1095号機も共通で使われた。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

25・26

明星3・4号

新大阪〜下関(西鹿児島)

3003・3004

彗星3・4号

新大阪〜下関(都城)

3005・3006

彗星5・2号

新大阪〜下関(大分)

 

6.1980(昭和55)年10月改正

また1980(昭和55)年10月の改正で、関西〜九州間特急が削減され、下関のPF関連では「彗星」1往復が廃止となった。また「明星」も系統の変更が行われ、EF58牽引だった季節列車の熊本行きが廃止、581系または583系使用の西鹿児島行きが「なは」となり、従来の京都〜西鹿児島間の「なは」が新大阪発着に変更され、客車による季節列車となり「明星」に編入された。その結果運用は次のとおりになり、捻出分は広島機関区の老朽化したEF58の波動運用の移管によるものに充当された。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

25・26

明星1・6号

新大阪〜下関(西鹿児島)

6027・6028

明星3・4号

新大阪〜下関(西鹿児島) ※季節列車

3003・3004

彗星3・4号

新大阪〜下関(都城)

また宮原機関区の項でも述べたとおり、この改正でスピードアップが図られ、下関担当の列車では明星、彗星がそれぞれ伊丹〜熊本・大分間の飛行機への対抗ダイヤとなった。

しかし1982(昭和57)年11月の改正でもこの系統の夜行特急は削減され、「明星」はついに定期列車1往復のみとなった。下関運転所担当の列車も2往復のみとなり、1127号機が東京機関区に転属となった。

 1982(昭和57)年11月15日 列車番号、号数変更

25・26 明星1・6号 → 21・22 明星

 

7.1984(昭和59)年2月改正

この1984(昭和59)年2月のダイヤ改正でも大きな変化が見られた。

宮原区の項でも述べたが、特急運用では「あかつき1・4号」と「あかつき2号」を下関に移管した。また改正前までは「明星」にあたる「なは」は下りが宮原区、上りが下関(転)の担当となった。その結果定期列車3往復と、EF58に続いてEF61も全廃となった結果、従来広島機関区が受け持っていた波動運用は完全に下関運転所のEF65PFが担当することとなった。この結果1127号機が再び下関に戻ったほか、宇都宮運転所から1002号機が転属した。

この改正での担当は以下のとおりである。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

43

あかつき3号

新大阪→下関(長崎・佐世保)

22

なは

下関→新大阪(始発駅は西鹿児島)

41・40

あかつき1・4号+明星

新大阪〜下関(西鹿児島・長崎)

3001・3002

彗星

新大阪〜下関(都城)

 

8.1985(昭和60)年3月改正

この1985(昭和60)年3月のダイヤ改正でも大きな変化が見られた。

東京機関区のEF65PFによる東京〜下関間のロングランブルトレ運用がEF66に変更され、下関でのEF65PFの集中台車検査も廃止となった。これによって下関運転所のEF65PFは完全に新大阪〜九州間ブルートレインを牽引することになった。但し「彗星」は新鶴見区(東京区常駐機)の担当に移管され、「あかつき」が2往復が上下とも下関運転所の担当となったほか、「なは」も上下とも下関の担当となる。また集中台車検査制度がなくなったことや、小荷物列車の削減によって同区のEF62に余裕ができ、EF65PFの1002号機及び1092号機が吹田機関区に転属となった。

この改正での担当は以下のとおりである。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

21・22

なは

新大阪〜下関(西鹿児島)

41・40

あかつき1・4号+明星

新大阪〜下関(西鹿児島・長崎)

45・44

あかつき3・2号

新大阪〜下関(長崎・佐世保)

9.1986(昭和61)年11月改正

国鉄最後のダイヤ改正となった1986(昭和61)年11月の改正では、「明星+あかつき1・4号」が廃止となった。この結果下関運転所のEF65PF牽引のブルートレインは2往復となった。

また、従来吹田機関区のEF65PFが担当していた京阪神圏の臨時客車列車を、この改正から下関運転所の担当とすることとなり、所属こそ下関におきながら、旧宮原区に数両常駐させる方式が取られた。これによって吹田機関区のEF65PFのうち1128号機及び1130〜1136号機が下関運転所に転属となった。この改正での担当は以下のとおりである。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

21・22

なは

新大阪〜下関(西鹿児島)

35・36

あかつき

新大阪〜下関(長崎・佐世保)

また「あかつき」の佐世保編成に座席車が連結され、リーズナブルな価格を武器に大阪の梅田と福岡を結ぶ阪急、西鉄の夜行高速バス「ムーンライト」に対抗することになった。

そして1987(昭和62)年4月、そのまま下関運転所所属のEF65PFはJR西日本に引き継がれた。

客車の方では変化があった。1990(平成2)年3月の改正で、「なは」の熊本編成と「あかつき」の長崎編成に3列独立シートの座席車「レガートシート」」が連結された。バブル期に伴って夜行高速バスが増便され、それへの対抗だった。また1991(平成3)年3月の改正では「なは」に2人用B個室のデュエットが連結され、「あかつき」が新大阪発着から京都発着に改められたり、1992(平成4)年3月には「あかつき」の長崎編成にB寝台個室の(ソロ)が、同年7月には「なは」にもソロが連結され、「なは」のレガートシートも西鹿児島編成に移されたりするなど、ニーズにあった体質改善が着実にされていった。

1998(平成10)年10月には、「あかつき」の客車に変化が見られた。「瀬戸」「出雲1・2号」の電車化により、捻出されたA寝台個室「シングルDX」とB寝台個室「ツイン」「シングルツイン」が「あかつき」の長崎編成に連結され、従来の「ソロ」は佐世保編成に移された。

EF65の運用面では大きな変化なく推移していく。なおその間に「下関運転所」の呼称が「下関車両センター」に変更された。

 

10.2000(平成12)年3月改正以後

しかしこれだけグレードアップしても、「のぞみ」や「ひかりレールスター」などの台頭もあって利用客は伸びず、2000(平成12)年3月で「あかつき」と「彗星」が統合され、京都〜長崎・大分間の「あかつき・彗星」と1本化された。また「あかつき・彗星」は最大14両編成となることでEF66牽引に変更され、同所のEF65PF牽引は「なは」のみとなる。

またこれによって同所のEF65PFは余剰となったが、数量がJR貨物に売却となった。

そして2004(平成16)年3月、九州新幹線の八代〜鹿児島中央(旧西鹿児島)間が開業し、八代以南の鹿児島本線は第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」となった。これによって「なは」は熊本打ち切りとなった。「なは」の愛称は本来、アメリカ領土だった沖縄を日本に返還するキャンペーンの一環として採用され、以後、鉄道が走っていない沖縄県のために愛称だけは残されたのだが、熊本止まりで「なは」を名乗るのはなにか違和感がある。しかしこれも九州新幹線が全通すれば廃止になるのだから、いまさら愛称変更でお金をかけるよりもという感じがする。それだけブルートレインの存在価値は落ちてしまったのか。なお、この改正で「なは」の列車番号が下りが31、上りが32に変更されている。

そして2005(平成17)年10月、「彗星」が廃止となり「なは」は京都〜鳥栖間で「あかつき」と併結の上「なは・あかつき」として生き残ることとなった。また牽引機関車もEF66牽引となった。もっとも宮原に常駐している同所のEF65PFの差し替え時にはPFが代走し、辛うじてPFブルトレが残っている感じだ。

これで下関運転所のEF65PFによる定期運用はなくなった。波動用としても尼崎事故以来、首都圏に乗り入れるためにもともとATS−PがあるEF66が使われるケースが多く、「あさかぜ」「さくら」廃止で余剰になってJR貨物に売却予定だったEF66が使われるケースが多くなった。またJR貨物にも3両が売却された。

 

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