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★宇都宮運転所(1970〜1984)→田端機関区(1984〜1986)→田端運転所(1986〜1993)

1.1970(昭和45)年10月改正

EF65PFは本来、東北本線や関連運用での上越線などで特急旅客列車から一般貨物列車まで幅広く牽引できるEF65ということで1969(昭和44)年に誕生したわけだが、このPF形は最初の17両(1001〜1017)が新製された当初は新鶴見機関区の配置で、東北本線や高崎・上越線で主に高速貨物列車の牽引を担当していた。このEF65PFがブルトレ牽引の第一歩を踏んだのが1970(昭和45)年である。この年にPF形は39両へと膨れ上がった。

この改正で、宇都宮運転所に15両(1002・1003・1011・1012・1029〜1039)が配置となり(他に17両が新鶴見機関区、4両が広島機関区、3両が下関運転所の所属であった)、貨物運用と混用ながらこの改正で誕生した「あけぼの」の牽引を開始した。なお「あけぼの」は同年7月より臨時特急として走り始めたのだが、臨時特急時代も宇都宮運転所のEF65PFが牽引した。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1002

あけぼの

上野〜黒磯(青森)

 その後、EF65の増備はPFに統一された。宇都宮運転所にも増備が進められたが、「あけぼの」1往復体制は1973(昭和48)年まで変化なく、高速貨物列車の増発のための増備といった感じであった。また1972(昭和47)年3月改正頃に、新鶴見機関区のPFは宇都宮運転所に集結した

なお、1972(昭和47)年頃から臨時特急「つばさ51・52号」が運転されている。運転当初は12系で特急料金を割り引く形だったが、後にリクライニングシートの14系客車を使うことになり、昼行の「つばさ51号」は定期列車並みの運転日だった。この臨時「つばさ」の上野〜黒磯間の牽引機関車も、宇都宮運転所のEF65PFだった。

 

2.1973(昭和48)年10月改正

この改正では、上野〜秋田間に「あけぼの」1往復が増発され、EF65PFの特急運用が定期列車のみだと2往復に増発となった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・4号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの3・2号

上野〜黒磯(秋田)

 その後は1978(昭和53)年10月改正まで同所のPFに変化はなかったが、この改正を過ぎたあたりからヘッドマークが省略された。東京機関区のEF65P形がヘッドマークをつけて誇らしげに東京駅に姿を見せるのに対し、上野駅の「あけぼの」ではヘッドマークがなく、上野駅の発車及び到着が早朝及び深夜で、ファンにあまり注目されなかった。また1975(昭和50)年に上野〜盛岡間の寝台急行「北星」が特急に格上げされて20系によるブルートレインとなったが、短距離のためにP形化改造されたEF58の担当となった。

3.1978(昭和53)年10月改正

この改正では、上野〜秋田間に「あけぼの」には変化がなかったが、従来上野〜盛岡間の「北星」が14系14形寝台車となり、また上野〜黒磯間が宇都宮運転所のEF65PFの担当となった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・4号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの3・2号

上野〜黒磯(秋田)

31・32

北星

上野〜黒磯(盛岡)

 その後は1980(昭和55)年10月改正で、「あけぼの」がついに24系24形となり、20系を使用した寝台特急はこの改正で姿を消した。運用面に関しては1982(昭和57)年11月のダイヤ改正まで変化はなかった。

 

4.1982(昭和57)年11月改正

1982(昭和57)年6月23日に東北新幹線が開通した。しかしこのときは試運転的な開業であり、在来線では昼間の特急「やまびこ」と「ひばり」6往復が廃止された程度だった。そして同年の11月15日で上越新幹線の開業で東北新幹線も本格的なダイヤが組まれた。夜行特急では「ゆうづる」系統が削減されたほか、「北星」が廃止された。一方で「あけぼの」に関しては、東北新幹線の恩恵を受けないことから急行「津軽」の格上げによって3往復体制となった。また1往復には2段式寝台の24系25形が使われ、残る24形の2往復についても1983(昭和58)年夏にかけてB寝台の2段化改造が行われた。しかし秋田空港のジェット化もあって1往復はA寝台なし、残る2往復もA寝台が1両に減車された。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・6号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの3・4号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの5・2号

上野〜黒磯(秋田)

 

5.1984(昭和59)年2月改正

この改正では宇都宮運転所のEF65PFが全機が田端機関区に転属となった。転属後もEF65PFの特急運用に関しては変化はなかったが、EF58の老朽化に伴って上野〜青森間の急行「八甲田」の上り黒磯→上野間と、奥羽本線経由の上野〜青森間の急行「津軽」の下りの上野〜黒磯間がEF65PF型の牽引となったり、またEF62の下関転属によって下り「能登」と上り「妙高」のそれぞれ上野〜高崎間がEF65PFの牽引となった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・6号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの3・4号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの5・2号

上野〜黒磯(秋田)

103・102

八甲田

黒磯→上野(青森始発)

403・402

津軽

上野→黒磯(青森)

601

能登

上野→高崎(金沢)

302

妙高

高崎→上野(直江津始発)

 

6.1985(昭和60)年3月改正

1985(昭和60)年3月の改正では「あけぼの」は東北新幹線上野開業の影響もなく安泰であったが、「妙高」が169系電車の急行となり、それによって「能登」の上野〜高崎間が上下とも同区のPF牽引となったほか、EF58がイベント用の2両を除いて廃車となったため、「八甲田」「津軽」の上野〜黒磯間が全面的に同区のEF65PF牽引となった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・6号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの3・4号

上野〜黒磯(青森)

1001・1004

あけぼの5・2号

上野〜黒磯(秋田)

103・102

八甲田

上野〜黒磯(青森)

401・402

津軽

上野〜黒磯(青森)

601・602

能登

上野〜高崎(金沢)

その後は運用的に変化はなく、1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化を迎え、田端機関区は田端運転所と呼称を変更した。なお、国鉄最後のダイヤ改正となった1986(昭和61)年11月の改正では、同区の貨物運用は新鶴見機関区に運用が移管され、1001〜1001号機が新鶴見区に転属となっている。

客車の面では、1987(昭和62)年3月に「ゆうづる」にA寝台2人用個室「ツインDX」が連結され、その関係で「あけぼの」と「ゆうづる」の運用持ち替えがおこなわれ、「あけぼの」は3往復とも24系24形に統一された。

5.1988(昭和63)年3月改正

1988(昭和63)年3月23日のダイヤ改正では、青函トンネルが開業し、上野〜札幌間に寝台特急「北斗星」が華々しくも運転を開始した。これによって東北系統の寝台特急は白紙改正的に整理され、「はくつる」1往復と「ゆうづる」2往復が583系寝台電車で残された。また「あけぼの」に関しては上野〜秋田間の1往復が臨時列車に格下げされた(使用車両も583系に変更)。これは「北斗星」に客車を捻出させる目的もあったが、品川〜弘前間に京急、弘南バスの共同運行による夜行高速バス「ノクターン」が運転を開始し、さらに新宿〜秋田間にも小田急、秋田中央交通による「フローラ」も運転され、「あけぼの」の利用率にもかげりが見えてきたこともあっただろう。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの1・4号

上野〜黒磯(青森)

1003・1002

あけぼの3・2号

上野〜黒磯(秋田)

103・104

八甲田 

上野〜黒磯(青森) 

401・402 

津軽

上野〜黒磯(青森) 

なお、捻出されたPFは波動用として残ったが、特に恵比寿(後に浜松町発着に変更)〜札幌間に運転された「カートレイン北海道」の直流区間の牽引機として使われたほか、1989(平成元)年7月から「北斗星」の補完役として運転された「エルム」の上野〜黒磯間はEF65PFによる牽引で行われた。

6.1990(平成2)年9月改正

1989(平成元)年3月および1990(平成2)年3月の改正でも大きな変化がなかった同区のEF65PFだが、1990(平成2)年9月のダイヤ改正では山形新幹線の工事本格化により、「あけぼの」の運転経路変更が行われた。当時2往復あった「あけぼの」の内、新庄〜秋田間での乗降客の多い3・2号は陸羽東線経由に変更され、DE10の重連によるブルトレ牽引が深夜ながら実現した。一方で秋田〜弘前間での利用の多い1・4号は高崎・上越線経由に変更され、列車名も「鳥海」とされ、EF64-1000、EF81の牽引となった。この結果同所(同所常駐)のPFは「あけぼの」1往復のみとなった。臨時列車では「エルム」「カートレイン北海道」が残ったが・・・。

また、上野〜青森間を奥羽本線経由で結んでいた夜行急行「津軽」はこの改正で仙山線の迂回となり、使用車両も583系電車となったこのため「津軽」の牽引は降りて、波動用のPFのイメージのほうが強くなっていった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

1001・1004

あけぼの

上野〜黒磯(青森)

103・104

八甲田

上野〜黒磯(青森)

なお、臨時特急の「エルム」も1991(平成3)年3月からEF81による上野〜青森間のロングラン牽引が開始された。

 

6.1993(平成5)年12月改正

1993(平成5)年12月の改正では、不況の中でJR東日本エリアにおける夜行列車の統廃合が行われた。長い間走っていた夜行急行「八甲田」「津軽」が臨時列車に格下げされた他、「あけぼの」に関しても上野〜小牛田間でEF81による通し運転が開始された。これによって東北本線におけるEF65PF牽引の特急牽引の歴史は24年余りの歴史に終止符を打った。

EF65PF形の発祥の地だった東北本線だが、ブルトレに関しては東海道・山陽本線に比べると地味だったのかもしれない。しかし奥羽の出世列車でもあった「あけぼの」に関してはずっと継続したことに「ご苦労さん」と言ってあげたくなった。

臨時では「カートレイン北海道」の牽引を継続したが、列車の自然消滅!?により東北本線のEF65PF牽引の特急は原則的に終止符を終えた。後は強いてあげれば「北斗星」などのEF81の故障によるイレギュラーがあるくらいである。

 

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