このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今までに僕が撮影した
飛行機写真のコーナー
というようなコーナーを作った場合における画像画素数検討用のホームページ
1986年3月 羽田旧ターミナルより(トリミング)
いわゆる「モヒカンルック」というやつだ。トライスターの導入時に採用された塗装であるから70年頃の話だ。当時流行のボディー下半分が未塗装に、窓の部分にラインというのに加え、てっぺんにも線を入れてしまった。尾翼には日ペリ航空時代からのダビンチのヘリコプターマークを入れている。ジャンボに書くには少々複雑過ぎる図形なのでは?(推定約6mはある)。
1986年3月 羽田旧ターミナルより
「日本航空」といえば、この色意外には考えられなかった。ビートルズが来日し、DC-8から(CV-880か?)タラップで降りてくる時、機体には漢字で「日本航空」と書いてあり、窓のところのラインにも縞の数が多く、なんだか変な気がしたのだが、あれは更に1世代前の塗装である。白黒フィルムだったからその程度の感想で済んだのかもしれない。
1993年6月 京浜島より
このカラーは1982年の事で、日航よりも5年程早い。たった5年なのだが、「ANAはこの色だ!」という気がする。モヒカン塗装なんてみんな忘れてしまっているのではなかろうか。JALののっぺりとした新塗装に比べるといい色およびデザインだと思ったものだがこのカラーもそろそろ飽きてきた。時期エアバスA340の導入時には是非新塗装に登場してもらいたいものだ。
1993年6月 京浜島より
このカラーリングになったのは1987年の事だ。白を基調とし、新ロゴの「JAL」の文字。尾翼には伝統の鶴丸マーク。折りからの航空不況の時代だったがゆえに、「塗装工数をけちったんじゃないの?」と思わせる程シンプルな外観になってしまった。
1994年6月 京浜島より
スペシャルマーキング機の中でも飛びぬけて異様なのがこのマリンジャンボであろう。他社でよくあるのが「機体にお絵描き」だが、こいつは「鯨にお絵描き」なのである。まず鯨ありきなのだ。丁度レジ集めをやっていた頃で「おまえまもういい!」等と妙に冷たくあしらってしまったのが今でも心残りである。
1994年6月 京浜島より
他の飛行機が細長い胴体を持っているのに対し、B737の胴体は短くて太い。海軍の「雷電」のように、あるいはダックスフントのように、不格好が故に愛らしいというような魅力がある。実際には胴体の直径(及び操縦席の構造)はB727と同じなのだが、727が全長50m近くあるのに対し、737は30m弱である。747の70mに比べると豆粒のように小さい。といっても、大戦中の超大型爆撃機B29と同じ全長を持ち、胴体ははるかに太い。B29がひ弱なもやしっ子のように感じられる。
1993年6月 京浜島より
羽田に唯一乗り入れする国際線「中華航空」のこのジャンボ。ちょっと知ってる人が見ると妙な印象を受ける。これは747SPというモデルで、ジャンボの全長を約54mに短縮し、航続距離をさらに稼ごうとしたモデルである。このN4522Vは、アメリカのリース会社所有の機体である。そして、1985年2月に、高度14000mから4000mまで、約1万メートルの垂直ダイブを行った経験を持つ(もちろん立て直した)。
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