〜OPENING〜 羽田の沖合に新ターミナル「ビッグバード」が誕生し、機能の大部分が移転したのが、93年9月の事だった。唯一残ったのが、中華航空のために残された「国際線ターミナル」だった。今でこそ羽田に乗り入れするのは中華航空のみだが、かつて羽田が世界の玄関口だった頃は世界中の飛行機が羽田に来ていた。このターミナルはジャンボ機の登場に合わせて作られたものである。ジャンボが就航するのは国際線の中でも花形路線だ。現在は当時のにぎわいからは想像もつかないような姿がここにある。時の流れというのは形あるものを「最新」から「時代遅れ」へと変えてゆく。 96年2月 羽田空港 ニコンF4 AFニッコール35〜70 RVP
大学受験が終わった。開放的な気分で何気なく羽田へ行き、そこで何気なく飛行機の写真を撮った。初の飛行機撮影だ。当時としてはさしておもしろくもない、ただ撮っただけの写真なのだが、それを現在見ると驚異的なものがある。旧塗装の機体。B727、クレーンが立ち並ぶだけの沖合。なにもかもが今は見ることができなくなってしまったものばかりだ。 写真は過去を見ることが出来る一方通行のタイムマシンだ。今はつまらない写真でも、時がたつにつれ、自然に価値を増してゆく。「写真を撮る」という事は僕にとって「今を封じ込め未来に送る事」だ。今日も僕は未来に向けてシャッターを切る! 87年2月 羽田空港 ペンタックスMVー1 シグマ35〜70
大学を出て社会人になった。写真系の学校にいたにもかかわらず、旅行以外にはほとんど撮らなかったし、興味もうすれていた。 京浜島に飛行機がすぐそばで見れる場所を見つけた僕は、よくこの場所に足を運んだ。この日は何気なく「写真を撮ろう」とカメラを持参した。東の方から降りてきた飛行機をまず手始めに撮ったのがコレだ。前回の飛行機撮影から6年が経過していた。「これはB767の短いやつか?」当時はそんな知識しかなかったのだ。 93年6月 京浜島 ペンタックスLX シグマ100〜200
同じ日に撮った29枚の写真の中から、大手3社の当時のマーキングの見本的意味合いを込めて、似たような形の3機を選んだ。1日でこんなにフィルムを消費したのは初めてだったが、今見てみると、そこそこマトモな写真はこの3枚だけのような気もする。 新ターミナルは3ヶ月後のオープンに向けて急ピッチで建設中である。そして特筆すべき事は、空港と海を仕切る金網がない事である。機体が接地し、タイヤが悲鳴と共に激しいスモークを上げる瞬間を障害物なしに撮影する事が出来た。 金網のない写真はこの日の29枚だけとなった。 93年6月 京浜島 ペンタックスLX シグマ100〜200
いつものように京浜島から22滑走路を眺めていると東から着陸進入してきた飛行機が急に機種を上げ、フルパワーで上昇していった。そう度々ある事ではないが、着陸のやり直しというのは事件という程の事ではない。ところがすぐ後から来た飛行機も進路を大きく北に向け、京浜島上空を低空飛行しながら離れていった。その後2〜3機が同様の行動をとった。離陸にも「まった」がかかったようで、おびただしい数の飛行機が誘導路上で待機する。通常こんなに離陸待ちの列が出来る事はない。明らかに異常事態だ。警備車両が忙しく往来する。航空無線を聴いていた「マニア」の方々によると、どうやら滑走路上に「犬」が徘徊しているという事だ。空港閉鎖による遅れの損失、上空で待機している飛行機の燃料代等、もし進入したのが人間サマだったら目玉の飛び出るような損害賠償請求を受けたに違いない。 93年9月 京浜島 ペンタックスLX シグマ100〜200mm RVP
いわゆる「形式写真」からの脱皮第1号となった写真である。その気はなかったのだが、結果的にそうなった。マリンジャンボは、他のスペシャルマーキング機とは少々異なった性質を持つ。特殊塗装機は、ボディーをキャンバスに見立て、そこに様々な絵や模様を書き込み、カラフルに仕上げる。が、全日空の今回のこの趣向は、機体を鯨に見立て、その体に他の仲間たちを書き込んでいるのだ。空飛ぶキャンバスではなく、空飛ぶ鯨なのである。離陸してゆく鯨を見送る。心は少年のように爽やかであった。 94年8月 京浜島 オリンパスOM−2 タムロン35〜135 ◎ロケ地探索 〜 Fried Dragon Fish 〜
新鋭の若手監督「岩井俊二」のLa Quisineスペシャル第2弾「Fried Dragon Fish」の1カットで使用された場所。当時、TVドラマ等で使用された場所を探し当て、訪れる事に凝っていた。このシーンは、話と話をつなぐイメージ映像的な部分で、これがもしなくても話の筋には影響しない場所である。岩井監督はこういった映像が非常にうまい。僕は彼を「映像の詩人」と形容している。35mm換算で300mm程度のレンズを使用しているようなのだが、当時僕はまだ超望遠を持っていなかった。 94年8月 京浜島 オリンパスOM−2 タムロン35〜135
初めて見た時「なんだこの飛行機は!」と思った。豆粒のように小さくて、ずんぐりした形。これなら庭に置けるんじゃないか?と思った。勿論、全長30mもある機体は、少なくとも僕の家の庭に置くことは出来ない。非常に格好悪いのだがそれでいて愛着のある姿は、旧海軍の戦闘機「雷電」に通ずるものがある。翼の下の細長いエンジンは尺八を連想する。ちっちゃい癖に、パワーをかけた時はジャンボよりもうるさい。ぶっ壊れるんじゃないかというような音を上げて離陸してゆく。そして、飛んでいる姿を下から見ると、折り畳まれた車輪が丸見えでこれまた滑稽。非常に興味深い機種だ。 94年9月 羽田空港 ペンタックスLX シグマ100〜200mm
81年に購入したシグマの100〜200mmもガタが目立つようになってきた。よくみるとレンズ内に大きなくもりがある。絞りの動きもおかしい。飛行機写真を撮るのに200mmではものたりなくなってきた。ついに!10数年ぶりにレンズを買う事を決意した。いつかヨドバシカメラの店員が絶賛していたが、僕にはまったく不要だし買えるものではないと思っていたFA☆80mm〜200mmF2.8とテレコンを買うことにした。400mmF5.6として使える訳だ。 次の日に羽田旧ターミナルに行き、早速撮ってみたのだが、とにかく今までの常識を根底からくつがえされる結果となった。ピント合わせが猛烈にシビアだ。ピントリングをコンマミリ単位で操作しなくてはならない。今までのようにいい加減に合わせていたのではまずマトモには写らない。三脚を使用し1/500秒で撮ったのだが、シャッターをいい加減に押した為かブレている。絞り開放で被写界深度を見ようと垂直尾翼にピントを合わせ、そこからほんのちょっとだけ戻したつもりだったのだが、手前のクレーンに合っている。とにかくものすごい世界である。 94年10月 羽田空港 ペンタックスLX FA☆80〜200+テレコン
オーバーホールを終えたエンジンを機体に取り付け、思いっきりブン回してみる場所がここだ。乗客でなく飛行機に一番近づける場所である。時にはこんな珍しい機体に遭遇する事もある。羽田なら本来絶対に見ることの出来ないものだ。 今までにこの場所ではYS-11の他にジャンボ、DC-9を見た事がある。ジャンボの場合、4発同時に回す事はなかったが、それでもエンジンの真後ろにいると強烈ななま暖かい風(真冬である)が吹き付ける。音はそれ程でもない。しかし、DC-9の時は流石に耳をふさがないと耳がおかしくなりそうだった。低バイパス比のターボファンエンジン特有のブッ割れるんじゃないかという音をあげる。カウリングから出る白い煙を見た時には、本当に逃げたかった。 94年11月 羽田空港 ペンタックスLX FA☆80〜200+テレコン
羽田通いも板につき、そろそろ変化が欲しかったので成田に出かけた。おびただしい航空会社の乗り入れ数に改めて驚いた。羽田にいても、見慣れたあの3社のカラーリングしか見ることが出来ない。展望デッキに上がり、まず目に入ったのがこの747フレイターだった。窓のない貨物専用の機体。ジュラルミンむき出しの外観。もっとも、往年の貨物会社「フライングタイガー」のような、本当に外板を貼っただけというものでなく、きちんとバフ掛けされているようだ。「ステンレス流し台」を連想した。 94年12月 成田空港 ペンタックスLX FA☆80〜200+テレコン
火の入っていない飛行機というのは、驚くほど寂しく見える。羽田空港の北のはずれにある駐機場では、夜間、おびただしい数の飛行機達が翼を休めている姿を間近で見る事が出来る。今年限りで退役する事が決まっているトライスターが2機仲良く並んでいた。鉄格子の影響を少なくする為に開放で撮影したのだが、格子に反射する照明灯の光までは消す事が出来なかった。ハレーションも激しい。長時間露光の為、色もおかしい。が、結果として幻想的な空間となった。またパノラマで撮影したので、上下の無駄な空間をカット出来た。パノラマも馬鹿に出来ない。手前のB767がいなければANAトライスターのいい記念写真になったかもしれない。 95年1月 北駐機場 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200
飛行機にはなかなか近づけない。だから普段は超望遠レンズを使い、いかに大きく写すかに情熱を注ぐ。しかしここでは自由な大きさで撮る事が出来る。そうすると今度は、普通の写真では重要な要素である「構図」という問題が出てくる。飛行機は非常に横長だ。翼の端から端まで入れると胴体部分は小さくなるし、上下には無意味な空間が出来てしまう。欲張って全部入るようにすると、形式写真としてもつまらないものになってしまった。そこで胴体に重点を置いて撮る。各翼もエンジンも途中で切れてしまったがそれでよい。 95年1月 北駐機場 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200
日付の入る一眼レフを買った。日付が入ることよりも時間が入る事の方が僕にとっては興味深かった。写真の出来は非常に悪い。400mmを素手で構え、AF機で手動ピント合わせをするのは相当に熟練を要する。それを改めて認識した日だったのだが、それはともかく、わずか30分の間にこれだけの飛行機が降りてくるのである。やはり羽田は魅力的だ。 95年1月 浮島 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200
ME-SUPER(黒)購入記念 95年1月 京浜島 ペンタックスME-SUPER(黒) FA☆80〜200mm+テレコン
羽田は広い。画面一杯に飛行機を写すためには超望遠レンズは必需品である。あんなに近くに見える京浜島〜ランウェイ22間でも300m以上の距離がある。止まっている飛行機ならもう少し近付ける場所もあるのだが、迫力はない。ここは滑走路の真下。石を投げれば当たりそうな近さだ。あの小さなB737ですら見上げた視界いっぱいに広がる。ジャンボだと視界に入り切らない。真上を通るわずか数秒前からやっと見え始め、時速200km以上であっと言う間に頭上を通り過ぎる。後には猛烈なエンジン音と風が襲ってくる。迫力満点なのだが、飛行機がいない時は壁しか見えず、退屈極まりないのが難点だ。 95年2月 環8滑走路下 ペンタックスME-SUPER(黒) SMCA50mm F1.4
村山首相帰国のニュースを見た。着陸滑走路を航空無線で確認した。15滑走路だった。この滑走路は苦手だった。普段あまり使用されない為、写真を撮った事もあまりなかった。昭和島の、モノレールと高速道路に挟まれた地点に車で向かう。現地に到着するや否や、北の空から「とんちゃん号」こと、村山首相を乗せた政府専用機がやってくるではないか!逆光地点だったが走っても間に合わないのでこの位置で構える。今日だけは失敗も出来ない。露出もピントも全てカメラ任せ。オートフォーカスを使ったのは後にも先にもこの時だけだった。結果、非常にくやしいのだが、実によくピントが合っていた。 95年3月 昭和島 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200 RVP
定期路線を飛ぶジェット旅客機の中で最大のものがB747(全長70.5m、最大着陸重量約260t)、最小のものがB737(約30m、約50t)である。その大きさの違いは数字を見ても明らかだし、実際に見てみても明らかなのだが、写真ではなかなか判りにくい。737を写したレンズでそのまま747を写してみた。機体が画面から大きくはみ出る。737の小ささ…というより、747の大きさを実感する。737が小さいといったって、胴体はあのB29よりも長くて太いのだ。ジャンボ機というのは前代未聞空前絶後の超大型機なのである。しかも25年も前から! 95年4月 城南島 ペンタックスME-SUPER(黒) FA☆80〜200
マリンジャンボが日本に到着した次の日に羽田へ行ったら、格納庫に頭を突っ込む形で止まっていた。「おおこれか!」と思った。尾翼のANAの文字が白青反転している所が新鮮だった。初めて飛んでいるのを見た時は「空飛ぶ鯨!」と感動した。だがその後は羽田に行く度に出会うのでちょっと飽きてきた。「もういいよ」と思った途端、不思議とあまり出会わなくなった。95年2月に引退した。もっと写真を撮っておけばよかったと思った。5月に久しぶりに行ってみるとまだ飛んでいた。ACE800やTMAX3200といった超高感度フィルムを使用してやっとまともに写った。すると今度こそ本当に消えてしまった。 95年5月 京浜島 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200 TMZ
例えば、B767とA300の区別がつく人がどれ程いるだろうか。羽田なら航空会社の違いにより判るだろう。だが成田ではそうはいかない。DC-9とBAe111はどうだろうか。コンコルドとTu144は?VC-10とIl-62は?DC-8とCV880は?古くは零戦と隼は?…このように、航空機は車と違って外観が性能に大きく左右するため、大方どれも似たような形に落ち着いてしまうのである。ところがトライスターだけは、どんなに旅客機に興味のない人でも大抵判る。DC-10と見間違う人もいない。それほどに特徴のある飛行機なのだ。そのトライスターが退役し、B777が就航する。尾翼に「777」と書いていなければ、これまたB767と区別が付かなくなることだろう。 95年5月 京浜島 ペンタックスZ−1P FA☆80〜200 TMZ
当時、飛行機写真家の通るべく道である「レジ(機体番号)集め」をやっていた。「鼠や鯨はもう撮ったから…」という事で、スペシャルマーキング機が来ると敬遠していた。彼らは僕に対しては出現する時期が悪かったようだ。レジ集めをやめてみると、鯨同様、もうすぐなくなってしまう機体の「まともな」写真が無い事に気がついたのだった。 95年7月 羽田空港 ペンタックスME-SUPER(黒) FA☆80〜200
飛行機を撮影する時、ついつい大量の機材になってしまうものだ。ある程度の状況の変化に対処出来る反面、行動力は鈍る。ある時、標準ズームをつけたカメラ1台だけで撮影してみる事にした。飛行機が大きく写らない事は覚悟の上である。 真夏の着陸は22滑走路が多い。この進入コースは城南島の真上を通るため、城南島をうろうろしていれば、超望遠など無くても、どこからでも撮影する事が出来る。 95年7月 城南島 ペンタックスZ-1P FA28〜80 RDPⅡ
毎年恒例今回2回目の飛行機に乗る機会がやってきた。前回は全日空だったので今回は日航。101便大阪行きのB747-400D。機体ナンバーJA8908。座席A16。左側の前の方の窓際だ。離陸滑走路34。空港の南端まで時速30kmで進み、Uターンし、そして…! ものすごい勢いで加速し始めた。いささかビビっていると、エンジンの音はより激しいものになり、もう1段加速度が上がる。窓にへばりついていた為に不自然な格好となり余計にGを感じたのかもしれない。機速が上がり、重さ1トンのエンジン2つに数10tの燃料を搭載した長さ40mの翼がブルブル震え始めた。2つのエンジンがころころ笑っているように見える。そして離陸。上昇のGは感じない。耳だけは痛くなる。見慣れた22滑走路と15滑走路の交点付近をパシャリと1枚。すぐに機体は右に傾く。京浜島や城南島は見えない。大井埠頭のコンテナ群がチップ抵抗のように見える… 〜つづく〜 95年7月29日 羽田空港上空 ペンタックスZ-1P FA28〜80 RDPⅡ
機は南に向かう。房総半島や工事中の東京湾横断道路が見える。横須賀の基地が見える。だが、この付近から視界が悪くなり、写真も撮れずで以外とおもしろくない。配布された朝食をさっさと片づける。しばらくぼーっと外を見ている。雲が下に見え、地面が青く空が白い。世界がさかさまになったようだった。ふと下の方を見ると陸が見える。丁度海岸線上を飛んでいる。窓ガラスにへばりつきながら見下ろす。浜松上空から豊橋へ。名古屋付近では海上に出て、長良川の三角州を見る。高度推定6000m。爆撃機に乗ったらこんな感じなんだろう。高射砲も届かず、戦闘機もろくな動きが出来ない高高度。零戦の搭乗員もいいが、B29の爆撃手もいいなと思った。山岳地帯に入り高度が下がってきて、下を走る車が見えるまでになる。エンジンの音は静かになり、霧も晴れてくる。大阪の住宅街を越え、一旦海上に出て、再び市街地に入ると、もう町並みまで見える。高度推定600m。この頃になるとエンジンはしきりに開閉を繰り返していた。地上を歩く人が見えるまでになり、そして千里川上空約30m。自転車にまたがり飛行機を見上げる人がいた。いつもの僕のようだ。そして着陸。衝撃はない。スラストリバーサーが開き、エンジンが再び吠える。クルーガーフラップが激しく揺れる。あっという間の1時間のフライトが終わった。 95年7月29日 大阪上空 ペンタックスZ-1P FA28〜80 RDPⅡ
飛行機から降り、ロビーを後にし、先ほど通ったばかりの千里川を目指して歩き始める。空港の横には「新明和」の工場がある。かつての川西航空機の末裔だ。川西といえば「紫電改」である。対戦末期に登場した海軍最後の戦闘機だ。紫電改が養毛剤の商標だと思っている人は悔い改めるべきだろう(機動戦士ガンダムに「カイ・シデン」という人物がいたが、なかなかのネーミングだ)。9時頃とはいえ、真夏の炎天下の中を20分も歩いたが空港の端はまだまだ遠い。途中、空港内が金網越しに見える部分があった。誘導路まで50m程しかない。さっき乗ってきたジャンボが通る。翼の先端は本当に目の前だ。そして通り過ぎた後にはCF6-80C2ターボファンエンジンによって引き起こされた爽やかな風が吹き抜けた。暑さがほんの少し解消される。 95年7月29日 伊丹空港 ペンタックスZ-1P FA28〜80 RDPⅡ
2度目に飛行機に乗った時、初めて窓際の席に座った。離陸から着陸までほとんど窓から顔を離さなかった。スチュワーデスのおね〜サマの「おしぼりです」「軽食です」「コーヒーはいかがですか?」「飴は?」「雑誌は?」…等の超過剰サービスに閉口した。きれいな人だったのだが飛行機と比べてしまうと魅力も薄れる。そういう訳でこの程度の光景ではまったく動じる事は無いのだが、暗くなってくると事態は急変する。あんな事やこんな事ならまだマシなのだが、映画の1シーンの如く抱き合ってくるくる回ってるのを見た時は流石に呆れた。むなしさと馬鹿馬鹿しさがこみ上げ、早々にこの場を立ち去った。 この場所も今では立ち入り禁止区域になっている。 95年8月 京浜島 ペンタックスSUPER-A FA☆80〜200
京浜島に訪れる人というのは、これはもうカップルか飛行機マニア、時々家族連れと相場が決まっている。夕暮れになると圧倒的にカップルの比率が上がる。ところがこの女性はたった一人でこの場にいた。飛行機が好きという訳でもなさそうだった。まわりは我々の他にはカップルばかりになっていた。「同志」という言葉を脳裏に漂わせながら、ピントを一点に合わせ、この幻想的なひとときをフィルム上に焼き付けた。 95年8月 京浜島 ペンタックスZ-1P FA☆80〜200 RDPⅡ
羽田の旧整備工場付近を徘徊していた時、開いた格納庫の扉の中にジュラルミンむき出しのジャンボがいるのを見た事がある。ぴかぴかに磨き上げられ、これから塗装をしようかという所だった。時期的に見てこれが「ねずみ2号」になったものと思われる。 2号は2階席の部分が長い。レジスター(機体番号)はJA8170…。どこかで聴いた事のある数字だと思ったら、初めて飛行機写真を撮った時に写っていた機体ではないか。さらに膨大なフィルムをひっくり返してみると、JAL正規塗装のものがもう1枚あった。 ねずみ号もやがて正規塗装へと戻る。 86年 2月 羽田空港 ペンタックスMV-1 シグマ35〜70mm 93年 9月 京浜島 ペンタックスLX シグマ100〜200mm RVP 95年10月 羽田空港 ニコンF4 トキナー 80〜200mm RVP
かつてこの世界に「空飛ぶ鯨」が存在した。仲間達は鯨ではなかったのだが、彼らが生を受けた時、姿は鯨だったという。彼らは世界にたった2頭しかいなかった。そして彼らの行動していた領域はかなり局地的であったにもかかわらす、その存在は世界中に知れていた。彼らが鯨の姿でいられるのはたったの1年。この世に出現した時からの運命だった。 「もう少し我々の元に…」民の願いは叶い、寿命が4ヶ月延びた。西で地が震え、更に4ヶ月延びた。だが彼らはもう限界だった。彼らはこの世から姿を消した… 久しぶりに彼に逢った。大きい方だ。だが彼はもう空飛ぶ鯨ではなく「全日空ジャンボ」という名になっていた。機内には彼らのかつての面影が残っているという。 95年12月 羽田空港 ペンタックスLX FA☆80〜200mm+テレコン RDPⅡ
日本の空にとって久々の新型機の登場だ。B777は全長63.8m、最大着陸重量195t、座席数400と、ジャンボとトライスターの中間に位置する。閑期に空席の目立つジャンボに代わり21世紀の空の主役となるべく登場した機体である。全長はジャンボに匹敵し、双発機ながら、エンジン直径は3m近くある。B767の全ての部品を大型化したような外観であり、遠目だと見分けが付きにくい。翼下の車輪が3軸になっているのが唯一の特徴である。 B7が定期路線に就航したのは12月23日。実に日が悪い。クリスマスの真最中である。夜はカップルばかりでむなしい。流石に昼間はB7が駐機している場所には黒山の人だかりが出来るが、機が飛び立ってしまうとやはりカップルだけになってしまう。 この日は風が強く、400mmレンズは大いに流され、ブレまくった(ので、飛んでいる写真はない)。 95年12月25日 羽田空港 PENTAX LX FA28〜105mm RDPⅡ
96年 2月 羽田空港 ペンタックスSUPER-A FA☆80〜200mm RDPⅡ