このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(=´▽`=)ノ みなさんこんにちは。 さてさて、前回の 時空紀行は大砲のある神社 として、香椎宮をご紹介しましたが、 今回はその第2弾「時空紀行 大砲のある神社パート2」で案内兎はクリです。 えっ!?そんなに都合よく大砲が奉納してある神社がそんなに有る訳無いですって? それがですね。あるんですよ。その名も「東郷神社」 東郷・・・どこかで聞いた事がある名前でしょ? そうです。あの東郷平八郎元帥を祭神として福岡県福津市渡1815番地1に創建された神社なんですよ。 (´-ノo-`)ボソッ...今回も戦争遺産系ですが、負の遺産に負けないように 明るく進めて行きますので宜しくね。 でも、テーマ的に嫌い人は読み飛ばして下さいね。 東郷神社の由来 昭和10年に東郷平八郎元帥を祭神として創建された神社です。 明治38年5月27日の日露戦争の日本海海戦で連合艦隊指令長官として艦隊を指揮して 当時、世界最強と言われていたロシア・バルチック艦隊を 海戦史上例のない戦法で完勝に導いた事は皆さんもご存知だと思います。 東郷元帥没後に元帥を英霊として祀る気運が全国から高まり、各地に東郷神社が創建されたらしく、 その中の一つがこちらになります。 さてさて、基本的な説明が済んだ所で、「時空紀行」として食い付く所は・・・ w(‾□‾)w おーあった。大砲の砲身だぁ。 なにぃぃぃ!?ここには砲弾も奉納されてました。 この砲身は東郷元帥が日本海海戦で使用した戦艦三笠の主砲の先端部分だと言う事が記されています。 読み進めて行くと、昭和14年4月以降は公園内に(えっ!? 公園も有るの?)三笠の主砲を初め各種大砲が7門陳列されいたが、 昭和20年第2次世界大戦終了後に兵器処理されて、この主砲の先端だけが残された見たいです。 左の写真を見て頂くと分かりますが、クリと比べると笑える程、砲弾がデカイです。 この戦艦三笠の主砲は直径30.5センチとかなり大きいです。 こんなのが飛んで来たら船も沈む訳ですよね。 クリ、平和な時代に生まれてお互い良かったな。 素朴な疑問なのですが、その戦艦三笠ってどんな船よ。写真を探して見ました。 しかし、自分達の世代は本当にそんなに前でもない戦争の事を何も知らないんだと、 今回の日記書きながら心底、思いましたよ。 実は今でもこの船は横須賀に保存展示されているらしいです。 (゜ロ゜;)....う・・うそ 知りませんでしたよ。 それだけ歴史的な価値は大きかった船って事なのでしょうね。 そんな事も知らないので一行書くのに調べなければ何も書けない自分に腹が立つ程ですよ。 しかし、その船の主砲の本物の一部が残っているって言うのは実はかなり凄い事なのか?って 思えて来たおじさんとクリです。 さてさて、又素朴な疑問が浮かんで来ました。 今回見た戦艦三笠の主砲の先端部分。これがもし、香椎宮で見た大砲の様にフルサイズで残ってたら どれ位のサイズになるんだろう?って これもこの日記を書くにあたって調べていて分かった事なのですが、 大砲を表す数値は砲身の全長も表しているらしいのですよ。 前回の香椎宮の大砲は12センチ40口径なのですが 12㎝×40=600 この砲身の長さは600センチ 要するに直径12㎝で砲長が6mと言う事です。 (‾o‾*(_ _* ) ウンウン 確かにそれ位のサイズでした。 これに当てはめると、今回の戦艦三笠の主砲は30.5センチ40口径だから 30.5㎝×40=1220 直径30.5㎝で砲長が12m20㎝と言う事になります。 (;‾□‾)ゝなぬっ? 砲身全長が12メートルだとぉぉ。 12メートルって言ったら普通車を2台縦に並べた位の長さですよ。 これが連装で2基付いてた訳ですよね。 (‾◆‾;)うっ・・・戦艦の大砲って想像を絶するサイズなんだなぁ。 そんな戦艦三笠の主砲とクリのツーショット写真です(笑) (=´▽`=)ノ よしクリ。今回の時空紀行の取材も終わったよ。 ゆっくりしていいよ。 あれ!? (‾‥‾a;)ぽりぽり クリ何を見ての? 向こうに何かあるのか?クリの視線の先を見て見ると・・・ (;‾□‾)ゝなぬっ? あれは・・・・ おじさんとクリは何を見つけたのか?次回に続くと言う事で(笑) 博多のおじさん&クリ |
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