このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

福山城

          <築城時の姿を今に伝える「筋鉄御門」と「伏見櫓」>

▼筋鉄御門
(すじがねごもん) 重要文化財
福山城本丸の正門。伏見城から移建したものといわれている。
入母屋造り、本瓦葺、脇戸付、櫓門。

所在地・広島県福山市     地形種類・平山城 

■福山城の歴史  
元和5(1619)年、徳川譜代の臣、水野勝成(かつしげ)(徳川家康のいとこ)が福島正則に替わって備後10万石の領主となり、新たに築城し城下町を福山と名づけた。その後、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県にいたるまで福山城が藩治の中心となった。

明治6(1873)年、廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除いてほとんど取り壊された。しかも、昭和20年の戦災により、天守閣と御湯殿を焼失したが、昭和41年に福山市制50周年記念事業として、天守閣、月見櫓、御湯殿が復元。焼失を免れた
伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を留め重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されています。

●交通アクセス
JR福山駅北口より徒歩5分
(地図は福山城パンフより転載)

▼伏見櫓 重要文化財
三層の隅櫓。白壁三層の豪華な姿に桃山時代の気風がうかがわれる。

※伏見櫓は伏見城(京都)の櫓を移建したもの。伏見城は秀吉が創築し、家康が再興した重要な城であったが、二条城が整備されると廃城となり、建物は全国の城へ分与された。

天守(昭和41年復元)
5重6階地下1階、別に二層三階の付櫓をもつ複合天守。

内部は福山城博物館になっている。

御湯殿(昭和41年復元)
京都伏見城内にあった豊臣秀吉の居館を移した伏見御殿に附随した建築で、国宝に指定されていた。
内部は物見の段と風呂の間とに分かれていた。

月見櫓
伏見城にあったのを移建。昭和41年復元。
本来は着見櫓のこと。

復元された建造物

鐘櫓 市重要文化財
本丸西側に位置し、はじめは鐘を吊り、太鼓を懸け、時の鐘と半時(1時間)の太鼓をうっていたといわれる。

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