このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

《北海道の玄関口》
【函館】



五稜郭公園と五稜郭タワー
【タワー主要データ】
●2006年4月1日新タワー開業(1964年12月創業)
●高さ 98メートル
●エレベーター 30人乗り×2基 所要時間 約30秒
●営業時間 年中無休
●展望料金 大人840円(平成22年9月現在)


函館山(334m)山頂展望台と函館湾
 
函館山山頂へのアクセスは、函館山ロープウェイを利用するのが一般的だが、函館駅前などから山頂へのシャトルバスも運行されている。
●函館山ロープウェイ搭乗料金
 大人 往復1、160円(平成22年9月現在)
 10分毎に運転

▲北斗市矢不来から見る函館湾と函館山
 「臥牛山(がぎゆざん)」の美称でよばれた函館山の左側は函館市街。


▲函館空港展望室(3F)から望む函館山


▲函館山山頂展望台から眺める函館市街
 細長い帯のような町が函館の心臓部。


▲函館山山頂展望台から五稜郭公園方向を望む

函館城下町を歩く

函館マップ(現地案内図に加筆)

碧血碑(へっけつひ)/旧幕府軍の墓
 ■箱館戦争で戦死した土方歳三や中島三郎助父子をはじめ、北関東から東北各地での旧幕府脱走軍戦死者の霊を弔っているのが、この碧血碑である。

 ■碑石は、7回忌にあたる明治8(1875)年、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、東京から船で運ばれたもので、戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の書といわれている。

 ■碑の台座裏に、碑建立の由来を示す16文字の漢字が刻まれているが、その表現からは、旧幕府脱走軍の霊を公然と弔うには支障があったことが推測される。

 ■なお、碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」という、中国の故事によるものである。
「現地説明板より」

立待岬方面からの碧血碑への登り道
 箱館戦争(明治1〜2年)のさい官軍との交戦で倒れた新撰組の土方歳三ら旧幕府軍の戦死者約800人の霊がまつられている碧血碑へは、この先約230メートル。


函館八幡宮の方からの碧血碑への登り道
 ここから碧血碑までは約100メートル。碧血碑へは、函館駅前から谷地頭(やちがしら)行き市電に乗り、終点谷地頭電停下車、徒歩約15分。

一本木関門
土方歳三最期の地
 ■新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。

 ■明治元年(1868年)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。
 翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・大野町)だけは最後まで落ちなかった。

 ■しかし、同年5月11日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、50名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。
「現地説明板より」

※「土方歳三最期の地」は、JR函館駅東側、若松町の函館市立総合福祉センターの前庭にある。

立待岬
CAPE TACHIMACHI
 ■この地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ、すなわち、ここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。

 ■18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のため、ここに台場が築かれたことがあった。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じられていた。

 ■現在は、津軽海峡を望む景勝地として、多くの観光客が訪れている。
 近くには石川啄木一族の墓や与謝野寛・晶子の歌碑もある。

立待岬台場跡
 津軽海峡を監視する役割を担った。台場とは「砲台場」のことで、大砲を備えた陣所をいう。


立待岬
 函館山の南にあり、天保年間に幕府が台場を築いた。立待岬へのアクセスは、谷地頭電停から歩いて約20分。車でも行くことができ、無料駐車場がある。


与謝野寛・晶子の歌碑
 後方は、津軽海峡と函館市街。


石川啄木一族の墓
函館西部地区

▲函館港と函館山
 函館山の裾野に広がる函館西部地区の一部と、函館山山頂の展望台。

元町公園
 ■元町公園はかつて箱館奉行所が置かれ、五稜郭が完成するまで箱館の中心行政庁であった。石段を上がった左側が奉行所跡。

 ■公園内には旧開拓使書籍庫や、旧北海道庁函館支庁庁舎(現、函館市写真歴史館)が移築されている。

 ■元町公園の奥、山手には、旧函館区公会堂(国重文)が建つ。バルコニーのある木造二階の建物。

 
■公園の後方は函館山。
箱館奉行所跡と旧函館区公会堂
 ■箱館奉行所跡のうしろは、移築された旧北海道庁函館支庁庁舎(現・函館市写真歴史館)。

 ■右側奥が旧函館区公会堂となる。

基坂(もといさか)
 元町公園から港方面へと下る基坂。この坂を少し下った右手が旧イギリス領事館。


旧イギリス領事館(開港記念館)
 平成4年(1992年)8月からは、開港記念ホール、開港の歴史を伝える展示室、レストランなどを設け、一般公開をしている。


大三坂(だいさんざか)
 函館西部エリアには、海岸から函館山にかけて幾つもの坂道がある。どの坂道も、函館山を見上げる風景と港を見下ろす風景のそれぞれが楽しめる。


函館山ロープウェイ
 道路左側の山麓駅と函館山山頂駅。道路の右側は南部藩陣屋跡。山麓駅まで市電十字街電停下車徒歩10分。

南部藩陣屋跡
 函館山ロープウェイ山麓駅から見た陣屋跡で石垣が残る。


赤レンガ倉庫群と函館山
 このあたりは、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。

函館朝市と函館山
 函館朝市は、JR函館駅のすぐそばにある。


青函連絡船記念館摩周丸
 後方は函館山、右は函館港。

▲函館山から望む西部地区
 港のはずれは函館どっくで、幕府の弁天岬台場砲台があった。砲台跡は弁天町の児童公園になっている。

大沼国定公園

現在も活動する活火山「駒ケ岳(1,131m)」と裾野に広がる大沼湖
 JR函館駅から車で28km、約40分(函館新道、国道5号線経由)。

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