このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

『角楼 / 西門』

▼南側より望む西門

< 西 門 >

◆鬼城山ビジターセンターから、鬼ノ城へと続く遊歩道と周囲の様子。この先に角楼(かくろう)と西門が聳え、雄大さに圧倒されます。

▼鬼ノ城からの眺め

▼西門の南側部分
写真には写っていませんが、左に西門・角楼が位置する。

※城内側からの西門

▼西門1階中央の通路
西門は平成8年に発見された城門。通路部分は石敷で城内に向かい4段の石段が設けられていた。

▼版築工法を用いて築かれた城壁
高さ6m、奥行き7mにも及ぶ。版築工法とは城壁の前面に支柱を等間隔に立て、支柱の間に板を積み上げて固定し、型枠を形成します。そして内部に土を入れ、一層ごとにつき固めて築き上げる工法を言います。

▼角楼と西門
遊歩道の左側が角楼、右側は西門。総社市教育委員会では平成13年度から史跡整備に着手し、平成16年度までに西門と角楼が復元されました。古代山城としては、初めての大規模な史跡整備になります。

 また、城外側には幅1.5mの敷石が巡っています。さらに、城内からの昇降には、6〜7段の石段がつくられています。角楼があること、角楼の石垣の間に柱が建つこと、敷石があることなど、日本の古代山城では初の発見例であり、中国や朝鮮半島の城つくりの影響が色濃くうかがえます。
 ここは、背面側の重要な地であり、強固な防御施設をつくって敵を防ぐとともに、西門の防備も意図していたものと思われます。
平面図と文は城内解説板<総社市教育委員会>より転載)

< 角 楼 >

角楼 城壁の死角を補うために、さまざまな施設がつくられています。その多くは城壁に対して長方形に突き出しており、隅角にあるものを角楼といいます。

この角楼は正面側約13m、奥行側約4mを大きな石を積んで石垣をつくり、その左右も石垣にして強固なものにしています。角楼の石垣の間には、およそ3.1〜4mの間隔で一辺50cmの角柱が、合計6本建っていました。石垣のもとの高さはわかりませんが、その上には土を少しずつ入れて突き固めた版築による盛土があり、もとはかなりの高さを保っていたようです。この角楼にどのような防御施設があったのかは、具体的には判っていません。

㊧㊦復元された角楼

発掘調査により、西門・南門・東門・北門の4ヶ所の城門が発見された。

南門と並び鬼ノ城最大級の西門は、発掘データーを基に復元すると、門の床から棟までの高さが約13m、城壁の基礎からは約15mにもなります。

内部は3階建てとなり各階は1階が門扉のある石敷きの通路、2階は南北に連なる城壁の連絡路、3階は見張り、及び戦闘の場という役割が考えられます。

*城外側
*城内側

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