このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 【鬼ノ城周辺図】
(鬼城山ビジターセンターリーフレットより)

<アクセス>
※車〜国道180号線国分寺口交差点から北へ約6Km


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【鬼ノ城 概略】

 ◆岡山県には古代山城が二つあり、鬼ノ城はその一つ。もう一つは大廻小廻山城(岡山市東区草ヶ部)
 ◆鬼ノ城(きのじょう)は標高397mの鬼城山(きのじょうざん)に築かれた壮大で堅固な古代山城。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ役所・寺院などが造営された。また、古代の山陽道が東西に走り、吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できる。
 ◆鬼ノ城の山容はすり鉢を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっているが、山の8〜9合目より以下は著しく傾斜している。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8Kmに及ぶ。

(△写真は鬼ノ城地形模型)
 ◆城壁は版築工法により築かれた土塁が主役をなし、城門が4ヵ所、排水機能をもつ水門が6ヵ所、また石垣などにより構成されている。特に復元整備を実施している角楼から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻な築城技術をうかがうことができる。
(△写真は復元された西門)
 
 ◆城内はおよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、水汲場、土取場などが見つかっているが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待される。
 ◆築城の時期については諸説あるが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐・新羅連合軍の日本侵略を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられている。鬼ノ城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡といえる。
(以上、現地解説板より)

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