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弘道館のあらまし |
●弘道館は、水戸第9代藩主徳川 ●水戸藩第2代藩主徳川光圀(義公)は、藩士の教育のため、藩校の建設を計画したが、大日本史編さんのため多忙で果たせなかった。この意志を第9代斉昭(烈公)が継ぎ、開館したものである。 ●当時の面積は、現在の旧県庁舎、県立図書館、三の丸小学校などを含めて、現在の敷地の約5倍もあり、文武両道はもちろん医学、薬学、天文学さらには蘭学まで幅広い学問が取り入れられ、総合大学とでもいうべきものであった。徳川幕府の最後の将軍となった徳川 ●弘道館は幕末の弘道館の戦い(1868年・藩の中で考え方が違う人達の間で起きた戦争)および、1945年(昭和20年)の戦災によって多くの建物を失うが、かろうじて正門・正庁・至善堂(いずれも重文)が残る。 |
■弘道館公園内の史跡〜孔子廟(写真左)と八卦堂(写真右)
正門 |
正庁 |
至善堂 |
対試場 |
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