このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


▲三の丸跡から本丸に聳える高知城天守(重要文化財)を望む

【所在地】
高知県高知市丸の内。<写真左>JR高知駅南口にある「高知観光情報発信館とさてらす」に建つ武市半平太像、坂本龍馬像、中岡慎太郎像。<写真右>はりまや橋。※高知駅から高知城まで、徒歩約25分、バス約10分、路面電車約10分(はりまや橋で乗り換え)
 
【地形種類】
平山城(標高44mの大高坂山に築城)。馬場跡(南東側)から天守を仰ぐ。
       
【築城年代】
慶長6年(1601)。南北朝時代には大高坂松王丸が、戦国時代には長宗我部元親が一時居城を構えたが、本格的な築城は、慶長6年に初入部した土佐藩主山内一豊にはじまる。

【築城者】
山内一豊
 土佐藩初代藩主山内一豊は、天文14年(1545)生まれ。13歳の時尾張国(愛知県)岩倉城主・織田伊勢守信安に仕えていた父が戦死し、母や幼い兄弟とともに流浪した。天正元年(1573)豊臣秀吉に従って織田信長の朝倉・浅井攻めに出陣して武功を上げた。以後も秀吉の麾下として各地の戦いに参加し、次第に頭角をあらわして近江国(滋賀県)長浜2万石の城主から、天正18年(1590)小田原攻めののち遠州(静岡県)掛川5万石を領した。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功績により、土佐一国24万石を与えられ翌6年入国、高知城の築城と並行して城下町を整備し、現在の高知市の基礎を形作った。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と三代の天下取りの間を生き抜いて出世したただ一人の武将といえる。慶長10年(1605)9月20日没。61歳。



                  
                                        山内一豊銅像
【天守】
天守は、現存する全国12城の一つ。大入母屋屋根に望楼を載せた望楼型独立天守。天守の外観は4層だが、構造上は3層6階。
  
【文化財指定区分
国史跡。重要文化財15件。昭和25年(1950)、天守・御殿・追手門などが国の重要文化財に指定された。

【高知城の特徴】
天守に接続した本丸御殿(懐徳館・重要文化財)が完全な形で残る唯一の城。さらに、本丸の建物のほとんどが現存する貴重な城郭。
 
▼天守とツーショットに収まる追手門。天守と追手門(大手門)がともに現存するのは、丸亀城・弘前城・高知城の三城。
      
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