このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高知城/続編

スライドショー<改修工事により現状復旧した三ノ丸石垣と発掘調査>

高知城は現在15棟の建物が重要文化財に指定。

その建物は
天守・御殿(懐徳館)・納戸櫓(平櫓)
黒鉄門(櫓門)・西多聞(多聞櫓)
東多聞(多聞櫓)・詰門(廊下橋)
廊下門(櫓門)・追手門(櫓門)
天守東南矢狭間塀(土塀)・天守西北矢狭間塀(土塀)・黒鉄門西北矢狭間塀(土塀)・黒鉄門東南矢狭間塀(土塀)・追手門西南矢狭間塀(土塀)・追手門東北矢狭間塀(土塀)
の15棟。

(高知城地図は城内説明看板に一部加筆の上、掲載)

{高知城の豆知識}
築城した人 関が原の戦いで徳川家康に功績を認められ土佐一国を拝領した山内一豊(やまうちかつとよ)
○築城された時 1601年(慶長六年)に築城が始まり、1603年(慶長八年)城の大部分が完成した。1727年(享保十二年)城下よりの大火で追手門以外のほとんどを焼失。現天守と本丸は、1749年(寛延二年)に再建されたもの。
○特徴 天守が現存する全国12城の一つ。国の重要文化財。天守は四重五階で、高欄付きの望楼型と呼ばれる古い様式。御殿を中心とした本丸部分が完全な形で残っているのは全国で高知城だけ。また、追手門と天守が一枚の写真にきれいに収まるのも高知城だけ。(高知城入場券の記載文より)

▽黒鉄門は、柱や扉の外側に鉄板を打ちつけ、外観が黒塗りの板張りなのでこの名がある。

●天守の外観は4層だが、構造上は3層6階、高欄廻縁付きの望楼型独立天守。接続する本丸御殿は本瓦葺き、平屋建て。式台廻り・正殿・納戸蔵(なんどぐら。納戸多聞櫓)からなり、正殿は典型的な書院造り。ともに享保の大火で焼失後、1749年に再建された。

▽廊下橋内部〜家臣の詰める溜ノ間が4室ある。この奥に本丸へ通じる廊下橋門櫓が建つ。

▽東多聞と詰門(つめもん)

▽追手門にある国宝〈旧国宝)指定を受けたときの記念碑。城跡は国史跡。

銅門(あかがねもん)の高知城追手門扉〜鉄板の代わりに銅板を使ったもの。右側写真は大手門扉の鋲と乳頭金具。

▽本丸御殿玄関に隣接する納戸蔵(右奥)〜重文

(すべての建物が重要文化財)

▼三の丸鉄門(くろがねもん)

 高知城・重文の15棟と周辺の遺構を訪ねる

詰門(階下)

▽鐘撞堂

▽本丸御殿正殿上段の間

▽本丸御殿玄関を入った正面

▽東多聞(平櫓・多門櫓)〜重文

▽西多聞(平櫓・多門櫓)〜重文

黒鉄門(くろがねもん)と両端の矢狭間塀(ともに重文)〜入母屋造り、本瓦葺きの2階建て櫓門。

▽詰門二階・廊下橋入口(二の丸からの入口)

▽写真・左より詰門(廊下橋)廊下橋門櫓、後方は天守

多門櫓(たもんやぐら)は城壁の上に長く続く櫓のこと。今日では「多聞櫓」と書くことが多い。

※本瓦葺の入母屋造り。  両脇の石垣上に渡櫓を載せる。  銃眼を備えた矢狭間塀とともに  「コ」の字形の桝形を形成。

▽高知城・追手門広場の藩祖「山内一豊」の馬上像

▽天守と右側は東多聞(多門櫓で平櫓の本瓦葺き)

●手前より詰門二階の廊下橋、廊下橋後部で横に接続する廊下橋門櫓、すぐ右に西多聞、右端しは矢狭間塀と左後方は天守。

矢狭間塀

詰門(階上)

西多聞

廊下橋門櫓

天守

▽二の丸と本丸を結ぶ詰門(廊下橋)
2層の櫓からなり、階下は東西に通じる門、階上は登城した家臣の詰める溜ノ間(たまりのま)と本丸への渡り廊下の2役をこなす。

▼追手門矢狭間塀(やざまべい)(重文)

◇天守最上階の鯱

◇天守最上階の内部

◇天守1階(城の模型が展示)

◇野面積石垣

◇4階から5階に登る階段の中段部分は暗がりの間となっている。

◇鉄砲狭間

◇突上戸

◇擬宝珠と廻縁内部

▲天守・矢狭間塀
矢狭間塀には東南と西北の二つの土塀がある。(二つとも重文)

▲天守台は野面積みの石垣

▲忍返〜外壁の裾から鉄製の槍の穂先が突き出している装置。城壁を登ってくる敵兵を阻止する仕掛け。

▲擬宝珠〜ネギの花のような先のとがった玉。玉のついた円柱を四隅に立てる。

▲突上戸〜板製の戸を格子の外に上から吊り、外側に跳ね上げて開くもの。

▽黒鉄門・矢狭間塀
籠城の際には、控え柱の間に歩み板を渡して、楯板を並べ、敵に対する物見台に早変わりした。

▼天守と本丸御殿(懐徳館(かいとくかん)

▼二の丸より本丸の重要文化財群を眺める

▽廊下橋門櫓(本丸側)

▽二の丸からの詰門(階上部分)と奥は廊下橋門櫓(重文)

▼鉄門跡の石段を上がった所から見る天守・東多聞・詰門(ともに重文)

●今は石垣だけだが、元来、両わきの石垣にまたがる形で2層の建物からなる門があり、1階部分に鉄板が張られていたことから鉄門とよばれた。門内は、侵入した敵を3方から攻撃できるように桝形になっている。

西南矢狭間塀

東北矢狭間塀

■追手門と後方の天守(ともに重文)
天守と追手門(大手門)がともに現存するのは、丸亀城(香川県)・弘前城(青森県)と高知城だけという。

▽山内一豊の妻と名馬像

追手門(おうてもん)(高知城入口)

◆土塀の物見窓
敵を見るために土塀に穴を空けた窓。現存例は高知城本丸土塀しかない。



■地域別訪問城に戻る


■最初のページに戻る

天守回廊から本丸を望む
多角形を描いて巧みに配されている

▽本丸御殿(懐徳館)〜重文

高知城天守の特徴

▼追手門と矢狭間塀(城内側)

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください