このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

◆紫竹門・同東塀・同西塀◆

(左)亀郭城秘図(中)紫竹門正面図(右)紫竹門・同東塀・同西塀配置図(現地説明板より)
紫竹門(しちくもん)
 紫竹門は、本丸の大手と搦手を仕切る脇戸付高麗門で、本壇北側にあった中仕切門とあわせ、搦手を固める重要な門です。門の両側には、それぞれ紫竹門東塀と同西塀が接続し、搦手に備えるため北を正面としています。門の前面、小天守下に紫竹が植えられていたことからこの名が付けられ、また扉の上下は竪格子となっており、そこから外を覗き見る工夫がなされています。創建時期はわかりませんが、紫竹門東塀並びに同西塀とともに、天明4(1784)年の落雷で天守とともに焼失し、嘉永年間(1848〜1854年)に再建されたと考えられています。昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同25年(1950年)の法改正により重要文化財になりました。

紫竹門
 
紫竹門は、城郭の大手と搦手の仕切りをなし、からめ手を固める重要な構えである。この門の北側に紫竹が植えられていたのでこの名がある。

■紫竹門東塀(重要文化財) 本壇入口の石垣上にあるが、石垣下の紫竹門の続塀で、乾門方面から攻撃に備えたものである。 天明4(1784)年雷火のため天守閣とともに焼失し、嘉永期の再建と見られる。昭和10年国宝に指定されたが、同25年法の改正により重要文化財となった。同26年・46年及び59年・60年・平成4年・5年に修理が行われた。
■紫竹門西塀(重要文化財) この土塀は、転倒を防ぐため、控柱を斜めに傾けて立て、直接に土塀の柱を突っ張る形式。塀には矢狭間(長方形)と鉄砲狭間(四角形)が設けられている。

▼本壇入口の石垣上にある紫竹門東塀。
左端の建物は南隅櫓、その右は小天守、一の門南櫓と続く。
※本壇〜天守を中心として、小天守・多聞櫓・南隅櫓・十間廊下・北隅櫓などの建造物で囲まれた一帯。本壇の石垣は、整然と継ぎ目をそろえた切込接(きりこみは)ぎの手法が用いられている。

▼紫竹門背後の小天守と、小天守右奥の天守(重要文化財)
紫竹門右の石垣上は、紫竹門東塀(重要文化財)

▼紫竹門とその左は紫竹門西塀(重要文化財)
紫竹門の背後にそびえる櫓は、天守に次ぐ重要な守りの要である小天守。
小天守から左に多聞櫓、南隅櫓と続く。

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