このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 【搦手周辺〜門・乾門東続櫓(復興建造物)

乾門東続櫓は、乾門の東側に設けられた平櫓。乾門とあわせて、搦手の防衛を担っています
乾門とともに、慶長年間(1596〜1615年)の築城時に正木城から移築されたといわれる。

▼(左)乾門東続櫓と右下は乾門(城内側)。(右)左より、乾門東続櫓、乾門、乾櫓(重要文化財)

乾門(いぬいもん)
 (左)乾門(城外側)は、松山城搦手の中で、最も重要な構えである。脇門付きの櫓門。昭和57年11月に復元。東続櫓は乾門のわきに突き出し、門前の敵を射撃できる配置をとる。乾門右は同東続櫓。(右)乾門東続櫓の右下は乾門(城内側)

▼乾門東続櫓下から、本壇の南隅櫓とその奥の小天守を望む

▼石垣の扇勾配

松山城の石落(いしおとし)
石落には、袴腰型・戸袋型・出窓型の三種類がある。石落は、天守や櫓の外壁や塀の一部を土台から張り出し、その床面に開口部を設けて鉄砲を下方に向けて撃つ狭間。
袴腰型(はかまごしがた)外壁の裾を斜めに張り出したもの
戸袋型(とぶくろがた)雨戸の戸袋のように四角形に張り出したもの
出窓型(でまどがた)出窓の下に設けたもの

<戸袋型>

<袴腰型>

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