▲三之丸跡から望む二之丸史跡庭園外周と山上の松山城本丸
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▲松山城本丸から望む二之丸史跡庭園
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松山城の二之丸は、本丸を防衛するための施設で、南と西側には内堀があり、高い石垣と強固な櫓や門、それらをつなぐ塀によって周囲が囲まれていました。二之丸邸は、蒲生忠知(がもうただちか)の時代(1627〜1634)に完成し、明治5年(1872)の火災によって焼失しました。
二之丸跡は、国指定の史跡で、昭和59年に発掘調査が開始され、3ヶ年の年月をかけて、江戸時代における貴重な遺構群を検出しました。その遺構は、記録したうえ覆土して、大切に保存されています。
この二之丸史跡庭園は、表御殿跡と奥御殿跡とに大別されます。表御殿は北半分にある「柑橘・草花園」で各地のカンキツ類や草花で昔の部屋の間取りを表現しています。奥御殿跡は西南部にある「流水園」で、水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。
また、「林泉庭(りんせんてい)」は、露岩を背景にした池・滝を配置して「わび」「さび」を表現しています。庭内には有料施設として、茶会・句会などの文化的な催しに利用していただく「観恒亭(かんこうてい)」「聚楽亭」「勝山亭」があります。
(文と写真は現地説明板より。写真は一部追記)
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(左)城山公園案内図(現地説明板に追記)
松山市の中心部に位置している城山公園は、松山城の本丸、二之丸、三之丸を、都市公園とし開設したものです。また、公園のほとんどは、国の史跡に指定されています。
(上)愛媛県庁西側の道(赤い矢印)を進み、突き当りを左に行くと、二之丸史跡庭園入口となります。また、突き当りの右側が県庁裏登城道入口です。山上に見える櫓は、松山城本丸の本壇部分。 |
二之丸史跡庭園(南側)
この辺りには、かつては内堀が築かれていた。 |
二之丸史跡庭園入口
右側は、県庁裏登城道入口で、上がって行くと「登り石垣」が見学できます。
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二之丸史跡庭園入口
石垣上には多門櫓が廻る。
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二之丸史跡庭園と山上は松山城本丸
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四脚御門(復元)
黒門口登城道側から見た二之丸史跡庭園の一部。
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大井戸遺構(柵に囲まれた部分) |
【露出展示の大井戸遺構】
大井戸は、昭和59年に松山市教育委員会によって実施された発掘調査の結果確認されました。規模は、東西18m・南北13m・深さ9mで、石積みは乱層積および段積になっていることが明らかになりました。
大井戸の東半分は井戸の中に三列各三本の柱が縦横に貫を通して組まれ、その上に邸がせり出して建てられていました。その基礎部となった梯子状の木材は現在も残っています。
古絵図には三ヶ所の階段を描いたものもあり、汲み上げた防火用水を床下を通って火災現場に運ぶ仕組みになっていたと思われます。 |
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伊予松山城<南登り石垣>
県庁裏登城道から見た、本丸に向かって右上がりに築かれた登り石垣。石垣周辺は立入禁止(訪問日〜平成30年6月)
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<亀郭城秘図>
(現地説明板に追記)
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【登り石垣】
登り石垣は、山腹を登るように築造された石垣のことです。松山城では、山頂の本丸と山麓の二之丸との間にある大きな空間への寄手(よりて)の侵入を防ぐため、それらをつなぐように南北2本一対の登り石垣が設けられています。地形にあわせ、出隅(ですみ)、入隅(いりすみ)、鎬隅(しのぎすみ)が巧みに組み合わされています。
登り石垣上には、渡塀や二重櫓が備えられていました。北登り石垣は、明治時代以後に破壊され、ごく一部しか残っていませんが、南登り石垣は、ほぼ完全に残っており、総延長は230m以上に及びます。登り石垣は、洲本城、彦根城などにも見られますが、松山城のものが全国で最大の規模を誇ります。
登り石垣は、通説では、豊臣秀吉の朝鮮への出兵(文禄の役、1592〜1593年)の際、日本軍によって朝鮮半島に築かれた倭城(わじょう)に用いられたのが最初とされています。松山城を築いた加藤嘉明は、洲本城主の脇坂安治、鳥羽城主の九鬼嘉隆らとともに、安骨浦(あんごるぽ)倭城を築き、その中に大規模な登り石垣を用いています。この時の経験が、松山城にも活かされた可能性が指摘されています。
※寄手〜攻めてきた敵の兵士や軍勢のこと。 ※出隅(出角)〜角が外側に出ているもの。 ※入隅(入角)〜角が内側に折り込んでいるもの。 ※鎬隅(鎬角)〜角が鈍角になっているもの。 (現地説明板より)
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<城山公園案内図>
南登り石垣は、県庁裏登城道からでないと見学できない(案内図は現地説明板に追記)
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<三の丸跡から望む二の丸史跡庭園外周と松山城本丸>
二之丸史跡庭園南側の県庁裏登城道入口。山上の本壇左側の櫓は乾櫓、登り石垣左上は太鼓櫓
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<市内電車「市役所前」停留場からの眺め>
赤い矢印の奥に県庁裏登城道入口があります。左側は三の丸(堀之内)跡、右方向は道後温泉
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<県庁裏登城道入口>
入口から山上まで樹木が茂っているので全貌は見えない
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県庁裏登城道入口
ここから山頂(長者ヶ平・ロープウエイ乗降場)まで徒歩約20分。 |
山上までスロープ状の道が続く
この辺りから道沿い左側に、日本最大級の長大な登り石垣が続くが、「登り石垣」前面は樹木で覆われている。
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登り石垣が間近で見られる貴重な場所
近づいて見た石垣が右写真です。
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南登り石垣の一部
登り石垣が、右方向(本丸)に山の斜面をはうように築かれていますが、石垣沿いは、やぶ、樹木が生い茂り、歩行困難等のため、立入禁止で進むことができない。
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▲樹木の間から垣間見る、完全な状態で保存されている日本最大級の長大な「南登り石垣」
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折れ曲がり部分の「南登り石垣」
石垣左端(角部)から二之丸に向かって、下方に登り石垣が築かれ、角部右側は本丸方向に向かって右上がりに登り石垣が続く。その先の様子が右写真。 | 右上がりに続く登り石垣
右斜め上が本丸となる。
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