このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

《本丸跡》
徳島城の山城部分には、本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸が置かれた
 本丸は標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪で、山城部分のなかでは最も面積が広く重要でした。本丸には、中央に置かれた御座敷と城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番所のほか、弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていました。

 櫓は戦いの際には防御施設となりますが、普段は武器を収めていました。藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀でしたが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていました。また本丸東部に置かれた鐘は城下町の火事の際に打ち鳴らされ、町人たちの危急を救いました。本丸の出入り口は東西の門が使われましたが、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)があり、大名の非常時に対する備えがうかがえます。

 東二の丸には三層の天守が設けられていました。一般的に、天守は城郭の最上部に建てられましたが、徳島城では本丸から一段下がった同地に置かれていました。天守の一階は7間(約14m)四方と大きかったのですが、天守台はありませんでした。

 西二の丸には鉄砲櫓と帳(とばり)櫓、その西方の西三の丸には材木櫓と平櫓が設けられていました。西三の丸の跡地には、現在水道配水池が設置されています。(現地説明板より)

■東坂口から、東二の丸→本丸→西二の丸→西三の丸を巡り、西坂口へ至る

東坂口
 東側にある城山への登り口。西坂口もありますが、どちらから登っても同じコースを巡ります。
 

東二の丸跡
 東坂口から登って最初の曲輪が東二の丸跡です。後方は天守跡で、築城当初は本丸にあった天守は、早い時期に廃止され、この場所に設けられた。

三層の天守が建っていた天守跡
 天守台はなく、3層3階の層塔式天守であったといわれている。次は、東二の丸跡から一段登って本丸跡に向かいます。


本丸東石垣
 東二の丸跡から、本丸跡への石段を登る途中に残る野面積の石垣。


本丸東石垣
 段々に積まれている石垣は、本丸東石垣を補強するための補修用石垣。


本丸への東側入口(石段上が本丸跡)


本丸跡
 当時の建物はなく、広大な平坦地となっている。


本丸北側の入口
 昭和13年(1938)、山頂に護国神社(2002年に徳島市雑賀町へ移転)が造営されたとき、石段や遊歩道が整備された。


本丸北側石垣


本丸西端の弓櫓跡から見た馬具櫓跡石垣
 手前は、本丸跡から西二の丸跡へ降りていく石段で、このあたりは本丸の西門跡周辺となります。


弓櫓跡

弓櫓の石垣
 石垣は阿波特産の青石(緑泥片岩)を用いて積まれている。右下に下りたところが西二の丸跡。


西二の丸跡から見た本丸に向かう石段
 石段を上がって右に曲がると本丸(西側)となり、枡形虎口を形成している。突き当りの石垣は、本丸の馬具櫓跡石垣、右側の石垣は、弓櫓の石垣。


西二の丸跡
 右隅石垣上は、鉄砲櫓跡、右手は西二の丸門跡。

西二の丸跡の帳(とばり)櫓跡


西三の丸跡から見た帳櫓跡石垣
 帳櫓の右側石段部分は、西二の丸門跡。ここから下って行ったところが、左下写真となる。


西三の丸跡
 石段を上がった先は、西二の丸門跡、下へ向かうと水道配水池となる。


西三の丸跡
 
西三の丸跡下段は、現在では、水道配水池が設置されている。


西三の丸跡への虎口
 石段を上がった左手は、今は水道配水池となっているが、右側上段も西三の丸跡で石垣が残る。石段を降りると西坂口に至る。


西坂口
 西側にある本丸への登り口。

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