このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

駿府城概略
地形
種類
三重の堀をもつ輪郭式の平城
築城
年代
天正13年(1585) 慶長12年(1607)改築
築城者徳川家康
歴史 今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。
 
 徳川家康は、駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏が駿府城の城主になりました。その後、徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。
 
 慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠に譲り、同12年(1607)には大御所として三たび駿府に入りました。この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪を内側から「本丸」、「二ノ丸」、「三ノ丸」とする典型的な輪郭式の縄張りとしています。
 
 大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請」として全国の大名が助役を命じられ、各地から優秀な技術者や多量の資材が集められました。また、安部川の堤の改修や、城下町の整備なども行なわれ、現在の静岡市街地の原形が造られました。
(文は現地説明板より転載)

▼駿府城図(現地案内図に一部加筆の上、掲載))

 本丸堀に囲まれた部分が本丸で、中心部分には本丸御殿があり、北西部分には五重七階の天守が存在していた。現在では、本丸堀は埋められており、二ノ丸堀と三ノ丸堀(一部埋められている)は残る。本丸と二ノ丸が駿府公園として整備。

遺構▼ニノ丸堀・三ノ丸堀とその石垣が現存

二ノ丸堀と石垣、櫓は復元された巽櫓

現況   ▼本丸・ニノ丸が駿府公園として整備
   

   ▼二ノ丸東御門と巽櫓が復元
   

交通
ガイド
JR東海道新幹線・東海道本線静岡駅から徒歩10分。市の中心街にある城跡。
 駿府城探訪
続編<駿府城>三ノ丸・二ノ丸・本丸をゆく

続編<駿府城>地上から望む駿府城

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駿府城

【所在地】静岡市葵区駿府公園

二ノ丸堀南東角に復元された巽櫓(左)と二ノ丸東御門
平成元年に巽(たつみ)櫓が、平成8年に東御門が復元された

徳川家康の隠居城

駿府公園の徳川家康像

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