このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

在りし日の下河原線

1973年4月1日、国鉄武蔵野線が開業しました。関東では、まだ自動改札が普及していない時代に、各駅に
自動改札を設置した、新しい路線でした。山手貨物線から武蔵野線が首都圏の貨物輸送を担う形になりました。
その影で、中央線の支線、通称下河原線が廃止になりました。当時日本一長い駅名の「東京競馬場前」を終点に、
国分寺から、通常はモハ40の単行が往復していて、競馬開催時は101系が入線して、多くの客をさばいていました。
そんな時に通って撮った写真を、ここに掲載します。
何人か一般の方が写っていますが、すでに30年を経過している事から、そのまま掲載します。

国分寺駅へ入線してくるクモハ40形です。すでに青梅線からも引退して、
近隣ではここでしか見ることができなかった。
今は下河原線ホームはとっくになくなり、駅ビルも建ち大きく変貌しています。
西武も多摩湖線、国分寺線に旧型車が見えた時代です。

DD13の引くワフ1両の貨物列車が行き、クモハ40が行き、帰ってくる。
下を行くのは南武線です。
傾いたフレームのなかに、ベンチレータが写っています。

路線、車両の詳細は、他のサイト等でお調べください。
記述の正確性には自信がありません。雰囲気を感じて頂ければ幸いです。

国分寺から東京競馬場前までの短い区間でしたが、
都内とは思えないローカルムードの強い沿線風景がありました。
競馬の開催されていない日の午後は寂しげに1両だけ停まっていました。

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夕暮れの南武線。首都圏の国電区間ながら、まだまだぶどういろの電車です。
電車が切れると、割烹着のおばちゃんが線路をわたります。
ここまで、1973年2月28日。線路脇で梅が咲いています。

かつては、どこでも見られた風景、電車がこない時はこんな状況でした。
かく言う自分自身も。ロケハンと言うか、写真を撮りながらひたすら
線路の上を行ったり来たりしていた事も間違いないことなのですが...。

国分寺から電車が来ました。貨物線と分かれてカーブを曲がります。
民家の2階の窓を開けると、すぐ下は下河原線。立派な国電とはいえ
江ノ電に通じるものを感じます。
早春の空き地には、花をつけ始めた草が伸びてきていました。

廃止直前の3月29日にも訪れました。
いつものようにDD13がワフを牽いてゆきます。101形5連にカメラを向ける人もいました。
ホーム脇の線路を歩くおばさんも見え、まだ日常が続いています。

ホームからの101系の写真を3枚。
この頃は首都圏国鉄の主力だったので、珍しいものではなかったけれど、
日本一長い駅名と言うことで、シャッターを押しました。

駅の周りを歩きながら撮ってみました。府中本町方向には武蔵野線の横断幕がついています。
小さな駅舎の出札窓口には、最後の切符を買う人ちらほらいます。
ベニヤに手書きの時刻表です。
駅長名で書かれた廃止のお知らせが、物悲しい。
小さな蛍光灯の下には、国分寺連絡の西武線運賃表があり、
となりには国電区間の運賃表がある。西武線のほうが、ビニールにくるまれていて、立派に見える。
本当に小さな駅舎です。ドラム缶の消火用水などと言うものも、いつしか見かけなくなりました。
国分寺駅はいつもと変わらない風景です。
31日最終日は雨になってしまったのですが、次のページから紹介します。

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