このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ついに最終日です。クモハ40もモールをつけてもらっています。
でも、その日は小雨模様の天気になってしまいました。

在りし日の下河原線 2

下河原線TOP

東京競馬場前からの電車を撮ってから駅へ行くと
そこには最終日の切符を買う人の行列ができていました。
でも、競馬開催時の臨時窓口は閉ざされていて、ひっそりとしています。

私も何枚か切符を買い、入線していたクモハ40の写真を撮りました。
どこを撮っても、古強者の貫禄があります。
サボの字は手書きだったのでしょうか。
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この面構えを見るのもこの日が最後です。
よく、「古武士」とよばれる旧型国電ですが、このクモハ40もそんな雰囲気です。
北府中へ移動し、カラーネガを使って撮ったようです。
クモハ40の地味な色、黄色い前サボ、そしてカラーモールが花を添えています。
利用客の少ない北府中駅のホームにも「さようなら」の看板が作られていました。
北府中の駅は武蔵野線の開業もあり、仮のホームとなっています。
跨線橋への階段も仮設のもので、木の色も新しいです。
それでもローカル線の面影なのか、ホーム脇の線路を少年2人が歩いていたりします。
北府中駅の仮ホームにあった駅名票です。ひらがなとローマ字で書かれた日本一長い駅名。
国分寺を発車したクモハ40がやってきました。左方には東芝への引込み線が延びています。
広い駅構内を走ってくると、ひときわ一両だけの姿が小さく見えます。
東京競馬場前に到着した電車です。最終日を見送るファンのカメラが向けられます。
それでも、最近のお別れ運転の混雑と比べると、隔日の感があります。
翌日は4月というのに、小雨が降る肌寒い日だったため、コートを着ている人が目立ちます。

最終日は多くの客をさばくため、101形5連が臨時運転されました。
駅横のビルから俯瞰してみました。でも...ポールが前面にかかってしまいました。
近くの草地やホームにもファンがつめかけています。

ホームをゆっくりと改札へ向かう親子はこんな喧騒は関係ないのかもしれない。
小雨はやまず、カメラを持つファンたちにとっては
あまりいいコンディションではありませんでした。

国分寺駅に佇むクモハ40形も
東京競馬場前の鄙びた光景も
春の夢だったみたいです。

この日が最後と集まったファンたち、
きっと私と同じか、少し年上の人達です。
今も鉄道ファンでいるのだろうか。

約30年前だけど、ノスタルジーの
世界になってしまいました。
昭和9年の開業から約40年にわたって
活躍してきた下河原線の最後の記録です。

ほんの数日だけのものですが、最後まで
日常の風景を見せてくれました。

東京オリンピックを境に、東京は変貌
してきましたが、それから10年たっても
まだまだ変らない東京が残っていました。
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