このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
1972年に初代コッペル2号(謙信号)から
始まった西武山口線の蒸気機関車運転が
新交通システムへの変更にともない、
1984年5月で終了しました。
おとぎ電車でなじみの、蓄電池機関車も
最後のお勤めとなりました。
この時期の記録をまとめてみました。
台湾で働いていたコッペルが最後の役目についています。
頚城鉄道、井笠鉄道のコッペルは謙信号、信玄号の愛称
がついていましたが、これは527号、532号に数字のままで
走っていました。
遊園前駅を発車する列車。
春の日の下に、数多くの人が
来ています。
渡り線をくねくねと抜けて、
ユネスコ村へ向かいます。
遊園地前駅に停車中の蓄電池機関車牽引の列車です。
春の日差しにオープン客車が気持ち良さそうです。
これに乗ってユネスコ村へ向かいます。
下左は中峯信号所でのタブレットの受け渡しで、中が
山口信号所での受け渡しです。右はユネスコ村駅を
先の踏み切りから撮ったものです。
B11形機関車B11です。この機関車は
かなり角ばった印象の作りです。
1形客車9です。この形式は開放式で、
風を受けながら走っていきます。
1形客車内部です。片側クロスシートの
ビニール貼りです。
いろんな人が撮っているポイントです。
左は竹薮が雰囲気を醸し出しています。
短い距離で端から端まで歩いて撮れる
山口線は、当時から様々なポイントの
写真が公開されていました。
信号所へ向けて歩いていると、背後から列車が来ました。遠足?の小学生たちで満員です。
目の前を、コッペルが駆け抜けていきます。
過ぎて行った列車にカメラを向けると、元気な子供たちがいっぱい手を振ってくれました。
まだまだ。のんびりとした、そしてほのぼのとしていた時代だったのかもしれません。
山口線には、交換のための信号所が2つ
ありました。中峯信号所と山口信号所です。
とくに中峯信号所は島式ホームを持つ、
立派な信号所でした。
壁には山口線営業休止のポスターと
さよなら蒸気機関車・おとぎ電車記念品を販売!
と書かれたポスターが張ってあります。
むこうから、小学生満載の列車が
信号所に入ってきます。
ここで交換のため停車です。
反対からは蒸気機関車がやってきます。
腕木式信号機の現示が進行に変わって
信号所に進入です。
タブレットの交換が終わると、蒸気機関車の方が先発でした。
子供たちの歓声に送られてユネスコ村へと出発です。
子供たちの乗った列車も
出発です。春真っ只中の
1シーンです。
見送りながらシャッターを
押してみたら、最後尾には
きっと先生たちでしょう。
良く見るとデッキ部分は
先生たちが、ちゃんと
押さえていまいた。
山口検車区はファンが集まってきていました。
確か、立ち入りは許されてはいなかったけれど、ほとんど黙認状態
だったような気がします。
中にはクローズタイプの21形客車や、11形蓄電池機関車、そして
運用についていない井笠からの木造客車がいます。
コッペル532号の雄姿です。撮影用に引き出されていました。線路脇を歩く人たちはファンだけではないようです。
立派な線路と、信号機。そして蒸気機関車を見ていると、これがナローの、しかも遊園地の乗り物感覚だったなど
信じられません。新交通システム、ドーム球場ど変わって行くなかで、おとぎ電車の最後の輝きでした。
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