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外国の鉄道記

外国の鉄道に関しては情報が少なく、あってもその情報通りに鉄道があって列車が時刻通りに運転されていることはあまりないと思う。なので外国の鉄道の完乗は至難のワザ。
でも日本の鉄道と比べる意味でも、外国の習慣などを知る上でも、外国の鉄道に乗るのは有意義だと思うので海外に行った折りに乗った鉄道にふれてみることにする。
順次書いてみるつもりなのでお楽しみに。

※文中の値段、時刻などは特に断らない限り当時のもの。

ハワイの鉄道(其の1)
ハワイの鉄道(其の2)
ハワイの鉄道(其の3)
インドネシアの鉄道
オーストラリアの鉄道
シンガポールの鉄道(其の1)
シンガポールの鉄道(其の2)
マレーシアの鉄道(其の1)
マレーシアの鉄道(其の2)
マレーシアの鉄道(其の3)
マレーシアの鉄道(其の4)


◇◇◇ハワイの鉄道(其の1)◇◇◇

ハワイには鉄道と呼べるものが3つある。オアフ島のサトウキビ列車(Sugar cane train)、マウイ島のサトウキビ列車、オアフ島のモノレール(パールリッジショッピングセンター内)。
その中で、一番最初に乗ったのはオアフ島のモノレール。

そのモノレールは(パールリッジショッピングセンター(以下ショッピングセンターはSS)にあるため)正式には鉄道としては認められないかもしれない。しかし、外国で鉄道らしきものに乗ったのは初めてなので、書くことにする。

ハワイに行ったのは1995年6月、会社の研修(という名目)であった。
初日以外はフリータイムなのでどこへいこうかな〜とガイドブックをめくると上記の3つの鉄道があることがわかった。滞在がオアフ島のワイキキなのでマウイにいくには飛行機に乗るしかなく(しかも空港から路線バスなどはない)、オアフ島のサトウキビ列車はワイキキからはかなり離れており、行ったら帰って来られるかという不安が頭をよぎる。現地の人に行き方などを尋ねても答えをまともに聞き取れる自信はない。モノレールはパールリッジSSにあるのでワイキキからなら20番バスで約1時間、終点で下車すればよいので車内アナウンスがなくても大丈夫そうだ。
ホテル最寄りのバス停に立つ。右側通行なのでなにか違和感がある。道路を横切る時などつい反対方向を見てしまう。15分ほどして20番バスが来る。行き先を確認して乗り込む。運賃は¢85(当時)で前払い。ちなみにオアフ島のバス(The Bus)は両替設備はなく、おつりもでない。¢85はずいぶん半端でちょうどで払おうとすると計画的に小銭を財布に入れておかなければならない(両替設備をつけるくらいならその分運賃が安いほうがよいというような考え方なのか)。
あとで知ったことだがこの20番バス、1時間に1本程度しかない。15分ほどで来たのは日頃の行いがいいから!? ともあれバスはアラモアナSSで大勢の乗客を降ろし、ホノルル国際空港を通り、パールリッジSSに到着したようだ。したようだ、というのは終点のはずなのに、全員降りたわけではないから。変な場所へ行って戻れなくなると困るので作者も降りる。他の人が行く方向に歩くと、SSらしきものがあるので一安心。あたりを見ると橋脚らしきものが。少しそこで待っていると、来ました4両編成の小さいモノレール。
乗ればここへ来た目的は達成されるので、まずSS内を見学する。ここはアラモアナSSと違い屋内なので歩いていても汗ばむことはない。規模的にはアラモアナSSより少し小さいが、若干安い。時間はあるが節約したい人にはおすすめ。ただし、日本食レストラン以外は日本語は通じないと思ったほうがよい。値段や服のサイズはタグがついているので英語がわからなくても確認できる。
さて、お目当てのモノレールはフェーズ1の2階とフェーズ2の3階を結んでいる。とりあえずフェーズ1の2階へ行く。料金が¢25必要なので$1札を出し、帰りのバス代のためにくずす。するとモノレールのほうを指してなにか言うので首を縦にふる(わからないのに首を縦にふるとあぶない場合もあるが)。その時はよく聞き取れなかったが、今思えば get on monorail ? というようなことを言ったのだろう。しばらくして発車する。車内はロングシートかクロスシートかは忘れてしまったが、あたりを見回りしているうちにフェーズ2に到着。距離にして2〜300mだと思われる。¢25だからこんなものか。
さて、フェーズ2を見て食事もし、降りたバス停に戻る。20番バスがきて乗客を降ろしたが、誰も乗らない。ここからは乗れないのか?バスは少し先を右へ曲がったので歩いて追ってみる。するとさっきのバスが止まっているではないか。要するにここがバスの終点だったのだ。そのバスの少し先にはSSの駐車場があるのがわかった。こっちが表口なのだろう。
バスが何時に発車するかはバス停には書いていない。ある程度大きなバス停には系統番号や行き先が書いてあるが、フツーは黄色い「The Bus」の標識のみ。屋根でもあればいいほうだ。行ったら帰れるかという不安はここにもある(終バスが何時かわからない)。

バスはしばらくして発車し、ワイキキへ向かった。


◇◇◇ハワイの鉄道(其の2)◇◇◇

さて、今回はマウイ島のサトウキビ列車の話。マウイ島のサトウキビ列車はちょっとしたガイドブックには載っているのでご存じの方も多いと思う。
パールリッジSSのモノレールから1年後の1996年6月、やはり会社の研修でハワイへ行く。マウイ島に行くことは最初からわかっていたのでサトウキビ列車に乗ることは決めていた。しかしながらマウイ島には市バスなどはなく、自由に動くためにはタクシーかレンタカーになる。なんとか安く済ませられないものだろうか。うーむ。

JL074便から降りてホノルル国際空港で入国審査後、国内線のアロハ航空に乗り換えてマウイ島へ向かう。空港のアナウンスはもちろん英語だけだ。B737型機でエコノミークラスは通路の両側に3人掛けとなっている。前のほうは同じようなシートで若干広く2人掛けとなっている。その2人掛けはなんとファーストクラスなのだそうだ。これでファーストクラスの料金なのだから驚く。これなら小田急線のロマンスカーのほうがデラックスである(”EXE”には未乗。でも371系の2階席なら既乗)。
モロカイ島、ラナイ島を眼下に見て約30分でマウイ島のカフルイ(Kahului)空港に到着する。宿泊先であるカアナパリ地区から5kmも離れていない所にカパルア・ウエスト・マウイ(Kapalua west maui)空港があるのだが、マウイ島の中心地、カフルイのツアー会社オフィスで説明を受けた後、ツアーバスに揺られてホテルに着く。
マウイ島では日本語はほとんど通じない。へたに出歩くと行きはよいよい帰りはこわいなんてことになりかねない。

翌日、ホテルの前からMAUI EXPRESS(ボンネット型の小型バス)でラハイナ駅へ向かう。カフルイのツアー会社オフィスでMAUI EXPRESSが無料のチケットがもらえたからだ。無料はいいが、1日3便しかない。

サトウキビ列車はラハイナ〜プウコリーを結んでおり、途中にカアナパリ駅がある。ホテルからはカアナパリ駅が最寄りだが、MAUI EXPRESSの時刻を見るとMAUI EXPRESSでラハイナ駅へ行き、そこから乗ったほうがよさそうだ。
ラハイナ駅には土産店もあり、サトウキビ列車のグッズもあったように思う。


ここには転車台があり、そばの道路からもみることができる。チケットは大人片道$9.5(往復は$13.5)。ラハイナ発は1日10本あり、作者は11:05に乗る。


ラハイナを出発した列車はさとうきび畑の中をガタゴト走る。揺れはけっこうある。ところどころから左手遠くに海が見える。プウコリーまでは約30分。
カアナパリはたしか、通過したと思う。プウコリーも通過し、ポイントを右へ入っていく。左側には、車両基地があり、予備の客車や機関車が留まっている。列車はループ線を1周し、プウコリーに到着。プウコリーからラハイナ行きだとこのループ線は通らない。鉄道に興味のある方はラハイナからプウコリー行きに乗ることをお勧めする。
プウコリーでは先ほどのMAUI EXPRESSが待っており、再びラハイナへ向かう。バニヤンツリーや町などを見て回り、夕方、MAUI EXPRESSでホテルへ帰る。
MAUI EXPRESSには都合3回乗ったが、乗客はいつも作者1人だけであった。


◇◇◇ハワイの鉄道(其の3)◇◇◇

マウイ島のサトウキビ列車に乗った翌日、オアフ島に戻る。空港からバスでツアー会社オフィスに運ばれる。オフィスでは通りいっぺんの注意事項などを説明した後、やはり恒例(?)のオプショナルツアーの説明となる。旅行代金が安くなった今、旅行会社としてはオプショナルツアーの販売や、空港送迎途中の土産物屋に寄って土産物屋からのキックバックが頼りなのだ。オプショナルツアーの一覧表を見ると、「砂糖キビ列車とルアウ」というのが目にとまった。係員に確認すると、マウイ島のサトウキビ列車ではなくオアフ島だという。今年から始まったツアーで料金は$85なのだが「ルアウ」って?。バス(The bus)で行けば往復で$2+サトウキビ列車の運賃で済むのだが、差額が「ルアウ」の料金か?いずれにしてもバスでは行きにくいので申し込む。
次の日の夕方、オプショナルツアーの送迎バスがホテルまでやってきた。ガイドは日本語を話せる現地人男性。客は十数人で作者以外は2人以上のグループ。車内でスケジュールなどの説明がある。ここでようやく「ルアウ」の意味がわかる。
途中までフリーウェイを行く。地平の道路に降りてからしばらくはThe busのバス停が見えたのだが、見えなくなって少し経つとエワ(EWA)のHawaiian Rail Societyに着く。やはりThe busで来るのはちょっと難しいかなあと思う。

ここには事務所兼の小さな土産物屋がありサトウキビ列車関係のグッズを販売している。作者はサトウキビ列車全盛だった頃(と思われる)簡単な路線図を購入。外にはあまり使っていないだろうと思われる貨車が十数両あり全盛期だった頃の基地をうかがわせる。客車は3両で凸型のディーゼル機関車が引く。客車の座席はロングシートだが外が眺められるように外側に向いている。伊豆急リゾート21の海側席のイメージといえばわかるだろうか。
乗車時間は45分。観光列車なのであまりスピード出しても意味はなく、仮に出そうと思ってもそれほど速度は上がらないであろう。ガイドが「せんろはつづくよどこまでも」を歌うが日本語の歌はあまり得意ではないらしい。まあ、それはしかたがないが。

ゴルフ場が見えてくると終点のコ・オリナ(KO OLINA)が近い。列車はなぜか乗降場を少し行きすぎてからバックして乗降場に着く。乗降場といってもホームはなく簡単な階段があるだけだが。
乗降場から徒歩1〜2分のところにパラダイスコーブルアウ(Paradise Cove Luau)がありそこでハワイアンダンスやいろいろなショーが見られたり、地引き網やブタの丸焼き他の実演もあり、来場者が参加できるものもある。木の上から花をまき、ダイレクトキャッチすると幸せになるというのがあり、2つキャッチしたが、いまだに幸せを実感できないのは何故?
ハワイアンダンスを見ながら食事をし(食事代は料金に含まれている)、送迎バスでホテルに戻った。
時刻は21時をまわっていた。
ともあれ、これでハワイの鉄道は完乗だ。


情報(01/Nov/2002)
上で「ハワイの鉄道は完乗」と書きましたが、つい最近ハワイ島のヒルトン・ワイコロア・ビレッジホテルに1kmくらいのモノレールがあることがわかりました。ホテル利用者以外でも乗車できるかは不明です。詳細をご存じの方、お知らせください。
情報(04/Nov/2003)
鉄道雑誌にオアフ島のドールの農園にも2002年8月から鉄道があり人が乗れることが載っていました。より詳しくご存じの方、あるいは他にも鉄道があるという情報をお持ちの方、お知らせください。


◇◇◇インドネシアの鉄道◇◇◇

インドネシアは広い国だ。13000もの島からなり、東西は5000kmにおよぶ(5000kmは日本からインドネシアまでの距離)。その中で鉄道があるのは首都ジャカルタのあるジャワ島とその隣のスマトラ島。マドゥーラ島には鉄道路線が描かれている地図もあるが実体はよくわからない。
インドネシアの鉄道はPerusahan Jawatan Kereta Api(PJKA)という国有鉄道。
今回はその中のほんの一部を紹介する。
インドネシアの通貨はルピアでここではRpと記す(本などではIDRやRPIと記しているものもある)。このときの為替レートはRp100≒5.3円。簡単な計算方法(Rp→円)はゼロを1つとって半分にする。全くの蛇足だが、インドの通貨ルピーと混同する人がいるが全く別物である。

1997年3月、会社の出張でジャカルタに行く。比較的長期間なので途中に休日があり、それを利用して鉄道に乗ったが、このときは乗るのが目的でなく目的地に行くために乗ったものである。

ホテルからバジャイという三輪の乗りものでモナス(独立記念塔)へ行く。外国人がバジャイに乗るときは事前に値段交渉しないと運賃を払うときもめることがある。一緒に行くK氏が交渉し、Rp1500でモナスへ。

エレベータで昇る。上がってしまえば展望台のような所から外を眺めるだけでほかには何もない。近くにガンビル駅(Gambir)があるのが見える。

降りて、下にある博物館を見学後、コタ(Kota)へ行こうとガンビル駅でK氏が切符を求めようとするが、バスで行けと言っていたようだという。長距離列車の発着駅なのになぜ乗れないのかはよくわからない。あとで知ったことだが時間によっては上りまたは下りのローカル電車は通過するのだ。なぜなのかは4年たった今でもわからない。
バスはよくわからないし、危ないとガイドブックに書いてあるので隣の駅から電車に乗ることにした。幸い高架下を歩くことができる。高架橋の形から考えると複線をいっぺんに高架にした感じだ。隣のゴンダンディア駅(Gondangdia)までは道路を何回か横切らなければならないが、横断歩道などはないし車やバイクがどんどん来るので命がけである。インドネシアで車にひかれて死んでも30万円くらいしかでないと聞いたことがあるが、今思うには出ればいいほうではないかとも思う。
ようやくゴンダンディア駅に着き、切符を買う。今度はスムースに買え、コタまでRp300だ(2000年10月現在はRp500)。階段を昇ってホームに出るが、このとき方向感覚がなにか変だった。時刻表もホームにあるがこの時刻には電車は来ず、参考程度でしかない。

電車が来た。しかし日本とは来る方向が逆で右側通行なのだ。道路は左側通行なのに。K氏が地元の人に行き先を確認して乗車。一般にここの電車はドアは開けっ放しで走る。車内灯も昼間は点けない。ドアを開けっ放しで走る理由は明かりをとるためと換気のため(冷房車はあまりない)もあると思われる。昼間なのであまり立ち客はいない。席はロングシート。近くに座っていた女の子が詰めてくれたので座ることができた。日本では知らん顔をしてつめないことも多いのだが。日本人が忘れてしまったことをその女の子はふつうのこととしてしてしたのだ。しかも外国人に!
ガンビル駅は通過し、いくつかの駅に停車していくが車内放送は全くない。ホームでの放送もないし、ドアの開閉もないので電車が停まって、数十秒後に静かに走り出すことを繰り返す。今回は終点で降りるので問題ないが、途中で降りる場合は外の景色と所要時間を参考に降りねばならない。予めドアの近くで待機して停まる直前くらいにホームに降りないと乗って来る人に押されて降りそこねるおそれもある。
十数分後、高架からだんだんおりてコタに着く。頭端式のホームだ。着いたホ−ムは11、12番線。帰りにも乗るので覚えておこう。この後、作者とK氏はアンチョールにあるドリームランド(ディズニーランドのようなところ)へ向かった。そこでもいろいろなことがあっていい思い出になっているけど、機会があれば書きましょう。


コタ駅風景  手前のはディーゼル機関車。乗ったのは向こう側の青い電車。

<参考>
2000年8月から日本の都営三田線6000系車両が、作者が乗ったこの線で急行として運転されている。区間はコタからゴンダンディアの遥か南のボゴールまで。2000年10月に作者もジャカルタで目撃している。


◇◇◇オーストラリアの鉄道◇◇◇

オーストラリアも広い国だ。この国は説明の要はないと思うが、念のため書いておくと、元首はエリザベス女王である。これは国旗からもわかるであろう。勘違いが多いのが首都である。シドニーでもメルボルンでもなくキャンベラなのだ。位置的にはニューサウスウェールズ州(N.S.W)のまっただ中だが、そこは連邦首都特別地区として区別されている。今回行ったのは、勘違いの元の?シドニーである。

行きは成田からのJALなのだが夜出発で時間に余裕があるので、千葉ニュータウン中央〜印西牧の原(都市基盤整備公団線)に乗り、バスでJR小林駅へ出て、成田へ来た。オーストラリアは観光でもVISAかETASが必要なので事前にVISAを取得しておいた(VISA、ETASとも発給自体は無料。但し旅行会社に代行依頼すると手数料がかかる)。今回はH社主催のパッケージツアーなのだが、チェックインカウンターで見ているとだいたいの人はETASカードをもらっている。

鉄道のことを書くのが主なので飛行機の中などは割愛すると書きたいところだが、夜行なので寝ているだけだ。シドニー空港からはパッケージツアーおきまりのバスによる市内観光。ガイドによれば世界三大見てがっかりというのがあり、それは札幌の時計台と、シドニーのオペラハウス、シンガポールのマーライオンだそうな。時計台はもう見たし、オペラハウスはここで見て、1ヶ月後にはシンガポールに行く予定だから3つとも見ることになりそうである。DFSにもおきまりで寄るが作者はお金がないので、ブランド品はあまり見ない。でもカンガルージャーキー(ビーフジャーキーのようなものだがビーフでなくてカンガルーの肉)があるのを初めて知った。

お土産はいつもスーパーで買う。DFSよりスーパーのほうが安いことが多いからだ。幸いホテルを出た地下にスーパーがある。でも、ここにはお土産になりそうなものはないのでお菓子を2〜3個買っておき、お土産は翌々日別のスーパーで買った。このスーパーはウインヤード駅(Wynyard)地下街の1つ、要するにホテルは駅の前に(駅自体は地下)建っているので交通至便だ。
観光地としてはブルーマウンテンズが有名だが、一緒にジェノランケーブ(鍾乳洞)も行きたい。ブルーマウンテンズといってもコーヒーではない。ブルーマウンテンズだけなら電車でカトゥーンバ(Katoomba)に行きバスに乗り換えるればいいが、ジェノランケーブに行くにはカトゥーンバでツアーに申し込まなければならないらしい。電車に乗りたいのはやまやまなのだが、カトゥーンバまで行って申し込めませんでしたではしゃれにならない。仕方なくシドニーからのツアーバスに申し込んだが、日本語ではなく英語のツアーしかなかった。
翌日、ツアーバスでブルーマウンテンズへ。ここにも”鉄道”がある。シーニックレイルウェイ(Scenic railway)というトロッコ列車とスカイウェイ(Skyway)というロープウェイだ。もちろんロープウェイは鉄道ではない(作者の考えでは)し、トロッコ列車も正式な鉄道なのか疑問がある。しかし、ちょっと特殊なので書いておこう。
料金はどちらも$4(この項ではオーストラリアドル。1$≒70円)。先にトロッコ列車に乗る。トロッコ列車といっても実体はケーブルカーだ。ここの最大斜度は52度。こわいので後ろのほうに乗る。荷物は持っておかないとどこかへいってしまう恐れがある。発車してまもなく傾斜が急になり、天井のさくにつかまって体をささえる。そう天井は板ではないのだ。
トンネルを抜けると谷側の駅に着く。もちろん無人駅。ここから眺める景色は非常によい。スリーシスターズという奇岩も見える。スリーという意味はわかったが、なぜシスターなのかはよくわからない。
近くをよく見ると、どこかからブッシュウォークをしてから、この駅から上の駅まで片道だけ乗れるような感じである。先ほど変わったと書いたのは、谷側の駅の先には車止めなどはないからである。レールが切れたその先は谷。ケーブルが唯一の命綱なのだ。日本だったら正式な鉄道でなくてもこのような造りはしないと思う。
上の駅へ戻り、ロープウェイに乗る。このロープウェイは対岸までは行かずに真ん中へんで少し停まったあと折り返す。こういうロープウェイは初めて乗った。
バスに揺られてジェノランケーブに向かう。時間的には1時間半くらいだろうか。バスの運転手がガイドを兼ねていてなにかしゃべるが英語、それもネイティブのオージー英語なのでよく聞き取れない(言い訳^^;)。
ジェノランケーブに着く。鍾乳洞はかってには入れず、必ずガイドつきの見学ツアーなので運転手がその見学ツアーの券を配る。配られたのは14:00のルーカスケーブ(Lucas cave)のツアーだ。時間があるのでとりあえず食事しておく。入り口で券を見せると真ん中を少し破る。この改札方法はシンガポールのケーブルカーでも同じであった。
ツアーバスでホテルに戻る。荷物を置いてから夕食に出かける。ホテルで食事すると数十ドルになるので少し歩いてチャイナタウン付近の食堂に行く。ここなら$6〜7で食べられる。このあとシドニー水族館へ行って巨大な鮫などを見る。夜なのですいている。モノレールの駅(ダーリングハーバー(Darling harbour))が近くにあるので、そこから乗る。自動販売機に$2.5を入れると専用コインが出てくるので、それを自動改札機に入れる仕組みである。このモノレールは一方向運転なので隣の駅に行くときにほぼ一周しなければならない場合もある。ダーリングハーバーもホテルには近いのだが、隣のシティセンター(City center)がより近い。作者が乗ったのがほぼ1周のケースだ。夜なので見えるのはもちろんイルミネーションだけ。コンベンションセンターなどわりと人が多そうな所を通ってはいるが、ホームにはあまり人はいなかった。
シティセンターは曲がり角にあるがここはビルの角を貫く構造となっている(記憶では)。このため駅もそのビルの中にある。


翌日は、1日全くフリーである。と同時に事実上の最終日である(次の日の朝には帰国便に乗る)。まず、タロンガ動物園へ向かうため、サーキュラーキーへ。ウィンヤードから1駅乗ってもよいが近距離なのでもったいない。2番乗り場でズーパスを買い、フェリーで10分揺られると動物園の裏口に着く。裏口はまだ開いていないのでバスで正面口へ。ズーパスなら往復のフェリー、バス、入場料が込みなのでお徳用だ。せっかくオーストラリアに来たのだからとカンガルーが放し飼いになっている所へ入る。入り口はもちろん2重ドア。カンガルーは想像していたより小さく小学生の背丈くらいだ。意外に大きかったのはダチョウ。近寄ってくると恐いくらい。コアラもいるがお昼寝タイムだった。
動物園の裏口から出て、サーキュラーキーへ戻る。シティレールと呼ばれる鉄道で、ウィンヤード乗り換えでハーバーブリッジを越えた所にあるミルソンズポイントで降りる。写真ではよくわからないが、この電車は全ての車両が2階建てだ。というよりシティレールの電車は2階建てなのだ。車内は2階部分は通路をはさんで3人掛けと2人掛けのクロスシートだ。出入り口は片側2ヶ所だがかなり広く感じられた。クーラーは屋根の両端についていて、ちょうど日本の寝台車のイメージ。では制御機器はどこにある?夕方乗った時に対向の電車を眺めていたらなんと台車の車体寄りにコンパクトにまとめられていた。出入り口付近が広いわけだ。
さてここから、歩いてハーバーブリッジを渡る。パッケージツアーの日本人観光客の何人が歩いて渡ることがあるだろうか。サーキュラーキーまで歩いて電車に乗る。今度はウィンヤードを通り越してタウンホール(Town hall)へ。近くのスーパーでお土産を買う。このスーパーは品揃えがいい。歩いてホテルへ戻り、お土産を部屋に置いてから、ウィンヤードでクロナラ(Cronulla)までの往復切符を買う。往復で切符を買うと安いのだが、なかなかうまく買えない。別の自動販売機と2〜3分格闘して、ようやく買えたときは後ろに何人か並んでいた。日本でなら後ろの人から何か文句を言われるような感じもするが、外国人だから仕方ないと思ったのか、何も言われなかった。
クロナラはある線から分岐した線の終点だから、間違って違う行き先のに乗っては困る。文明国なので次に来る電車の行き先と停車駅が電光表示されているので助かる。2〜3本見送るとクロナラ行きが来た。2階席に乗って約1時間、分岐した先は一部単線である。これは列車本数は少ないな、と思って、クロナラで帰りの時刻表を見ると30分に1本だった。10分くらい待っただけで乗れたのはやはり、日頃の行いがいいからか(自画自賛!)。
クロナラ駅を出て地元の人の後を歩いたら海岸へ出た。更衣室もあるビーチで、夏に来たら泳げそう(今回の旅は日本では夏。ここは冬)。ビーチ右手にある岩場まで歩いて少し休憩。町を少し歩いてから駅に戻ると電車が発車する寸前だった。覚えたつもりの時刻が2分間違っていたのだ。あわてて飛び乗り、ことなきを得た。
帰りはセントラル駅(Central)(シドニー駅)で乗り換えてシティサークル部分に乗る。セントラル駅には長距離列車も発着しており、インターシティも発着している。インターシティはご存じのようにイギリスで走っているもので、イギリス系の国なんだなあと改めて思う。シティサークルの東側に乗り、ウィンヤードに戻る(ウィンヤードはシティサークルの西側)。何故か集札されなかったので切符を残すことができた。
昨日と同じ店で夕食にする(メニューは違うが)。セントラル駅まで歩いてライトレールという路面電車に乗ろうと思う。なかなか乗り場への行き方がわからなかった。駅の西側から行くとわかりにくい(エスカレータで上がった記憶があるから2階かとも思うが)。
ライトレールは自動販売機で切符を買って乗るシステムだが、車内では切符のチェックはしないので、やろうと思えば無賃乗車も可能なのだ。しかし、抜き打ちで検札があるとかいうのを、どこかで聞いたような聞かないような。2区間制で終点まで乗ると$4。セントラル駅の所だけループ線になっていて次の駅までは上下線は別々の線路を走る。次やその次あたりから地元の人が結構乗ってくるが、切符を手に持っている人はいなかった。
その人たちも途中でどんどん降りてしまい、終点まで乗ったのは2〜3人に過ぎなかった。すでに夜だったので景色は覚えていない。
終点のペイモント(Pyrmont)で折り返し乗車する。運転士にどこまで行くのかと聞かれたので、ダーリングハーバーまでだと答える。ダーリングハーバーに着くと運転手が教えてくれた。お礼を言って降りるが、切符を見せろとは言われなかった。
ダーリングハーバーはなんかのビルの下に駅がある。モノレールの駅も近くにあるが、こちらはコンベンションセンター駅だ(モノレールのダーリングハーバー駅は全く別の所)。
ここからモノレールに乗り、昨日乗らなかった1駅にも乗って、モノレールは完乗だ。ついでにいえばライトレールと、シティレールのシティサークル部分(名前がややこしい)も完乗だ。

情報(Jun/2008)
現在、オーストラリアでは日本人に対してはシールタイプの観光VISAは基本的には発行せず、ETAだけになっているようです。また、ETAをインターネットから申請すると、インターネットETA利用料として$20かかります。


◇◇◇シンガポールの鉄道(其の1)◇◇◇

シンガポール。日本人でこの国を知らない人はまずいないだろう。淡路島くらいの面積なのに成田空港より広い国際空港、観光施設、いろいろな会社のオフィスがある東南アジアの都市国家だ。淡路島には鉄道はないが(かつては淡路交通の鉄道があった)、シンガポ−ルにはMRTと呼ばれる鉄道、マレー鉄道、セントーサ島とバードパークにあるモノレールなど結構ある(値段は特にことわらない限りS$(シンガポールドル))。

夕方、チャンギ国際空港に着く。エアバスでホテルへ向かう。エアバスといっても飛行機ではなくエアポートバスである。運賃はS$5。念のために運転手にホテル名を言っておく。
1夜明けた翌日朝、チェックアウトし、荷物を預ける。ホテルの無料のサービスは利用しよう(安宿では手数料がいる場合もある)。ホテルはオーチャードロード(Orchard Road)の近くで、MRTのドービー・ゴート(Dhoby ghaut)駅とサマセット(Somerset)駅の中間くらい。わりと交通の便は良い。ドービー・ゴートから南北線の終点マリーナベイ(Marina bay)へ向かう。ドービー・ゴートから3つめだ。そこで降りても何もないのですぐに1駅折り返して東西線の西行きに乗る。次のタンジョンパガー(Tanjong pagar)駅で降りて、歩いてマレー鉄道のシンガポール駅へ向かう。距離にして1kmくらいだ。
駅で列車の時刻などを確かめる。一一応マレー鉄道のホームページ(当サイトのリンクページからどうぞ)で確かめたが念のためここでも確認する。14時ころにまたここへ来よう。歩いてセントーサ島のケーブルカー乗り場へ向かう。しかし、歩いてというのが間違いであることに気づいた。10分もしないうちに汗がだらだらでてくるのだ。天気はピーカンではないが、湿気が多いのではないかと思う。
ケーブルカーとはいっても実際はロープウェイ。だから遠くからでも乗り場がわかる。ケーブルカーとセントーサ島入島料込みでS$6.9。
セントーサ島のモノレールはケーブルカーを降りたすぐそば。でも、少し下ってザ・マーライオンを見る。「ザ」がついているだけあってさすがにでかい(「ザ」がつかないマーライオンは小さくてがっかりするらしい)。これは見てもがっかりということはないであろう。
セントラルビーチを少し歩く。ビーチを眺めたい気持ちもあるが、シャワーを拝借するためだ。今日の夜行便で帰るのだから汗ばんでいると、隣の人にいやがられてしまう。
近くの駅からモノレールに乗る。運賃はいらない。モノレールは円周を1方に走るので単線だ。途中の駅で降りてシロソ砦を見てから、先ほどのケーブルカー駅近くの駅で降りる。間違って乗車ホームへ降りたら係りのおばさんが反対側を指してピントゥ(Pintu)と言ったのでモノレールを横切って反対側へ。Pintuはインドネシア語やマレー語で出入り口や扉を意味する。ちなみにインドネシア語とマレー語は7〜8割同じだ。
ケーブルカーでマウントフェーバーへ。ここは景色が良いと言うだけであまり見るものはない。でも確かに景色はきれいである。少し休んでから、朝来たケーブルカー乗り場まで引き返す。そこからタクシーでシンガポール駅へ。運転手にシンガポールステーションとかスタシウンシンガポール(インドネシア語)言ったが通じない。ガイドブックの地図で教えるとレールウェイステーションと言っていた。MRTはレールウェイではないのかとつっこみたくなるが、ここではそう言うらしい。
シンガポール駅で次の駅であるジョホールバル(Johor baru)まで切符を買おうとしたが係員はダメだという。不可解だったが英語で押し問答する気もないので、予定を変更し、タクシーでタンジョンパガーへ行き、MRTでクランジ(Kranji)駅へ。これでMRT南北線に半分強くらい乗ったことになる。クランジで170番バスに乗り換える。運転手に「ジョホールバル」と言って運賃を払い、チケットを受け取る。
陸路での国境越えは初体験だ。でも、なぜか不安はない。日本ではできない体験だからかもしれない。国境付近で乗客は全員下車。乗客は出国手続きをしなければならないからだ。ちなみにバスは待っててはくれない。でもバスは次々に来るから気にしなくていい。出国審査後はチケットを見せ、バスに乗車してコーズウェイを渡る。マレーシアとの国境にあるコーズウェイは橋ではなく細長い陸である。いよいよマレーシアの入国審査だ。入国書類はおばさんが配っていたが、なぜか2枚くれた。屋根のない場所の簡単な机で書いて、Singapore passportの窓口に並ぶ。本来ならOther passportに並ぶべきだが閉まっているし、Malaysia passportの窓口に並ぶのも変なので、しかたがない。入国書類にはホテル名を書く欄があるが、マレーシアへは日帰りなので「No」と書いておき、滞在も1日にしておいたら何も聞かれずに90日滞在可のスタンプをくれた。窓口をでると、2〜3人の制服の男が低い台の上に座って雑談していた。これが税関らしい。
ガイドブックの地図をたよりにイスタナガーデン(Istana garden)へ向かう。相変わらず汗がでる。10数分歩くと入り口に着く。ここから王宮までまた数分かかる。銃を持った兵士が正面から来たので少しビビってしまう。外国では、もし立ち入り禁止の場所だったりしたら有無をいわさず撃たれることもあると思うからだ。王宮の博物館は開館時間外だったので、見られなかった。王宮の写真を撮ってもらおうと思って通行人に「Excuse me」と声をかけたら日本人だった。
来た道を引き返す。シンガポールに戻るのだが、出国のイミグレーションがどこにあるかよくわからない。入国した所の道路の反対側ということはわかるのだが。陸橋を渡っていたらちょうど、マレー鉄道の機関車が来た。
機関車の向こう側にあるのがジョホールバル駅(だと思う)。手前に腕木信号機があるのがわかりますか。腕木信号機の進め、止まれはマレーシアでも同じらしい。写真の右側を見てもわかるけど、イミグレーションがありそうな感じはしない。陸橋を戻り、地元の人に混じって道路を横切る。無事イミグレーションを見つけ、出国するが、隣のMalaysia passportの窓口はかなり審査がいい加減な印象を受けた。バスでシンガポールの入国イミグレーションへ行く。この入国書類もホテルは「No」、滞在1日と書いて特に質問は受けなかった。Japan passportの威力なのだろうか。シンガポール側の入国イミグレーションはマレーシア側の出国審査と違っていい加減という印象はなかった。
170番バスでクランジへ戻る。先ほどは書かなかったが、ここらへんは高架である。さらに書くと、MRT車両にはパンタグラフはなく、第三軌条方式である。

東西線乗換駅であるジュロン・イースト(Jurong east)まで5駅。MRT車内での飲食は禁止なはずだが向かい側に座っていたおばさんがペットボトルの水を飲んでいた。水くらいならいいのか?。少したつと雨が降ってきた。マレーシアに行ってた時に雨が降らなくてよかった。あとはMRTに完乗するだけなので雨が降ってても大丈夫だ。結果的には夜、空港へ着くまで雨だったので、やはり日頃の行いがいいのかなあ。
ジュロン・イーストで乗り換え東西線の西端、ブーン・レイ(Boon lay)まで3駅。雨なので駅の外には出ず、折り返す。ここから東端のパシール・リス(Pasir ris)までのロングラン。朝、乗降したタンジョンパガーを通り、空港に近いタナ・メラ(Tanah merah)を過ぎるとブーン・レイだ。駅から濡れずに入れるデパートがあったので、そこへ入り食堂を探す。6階か7階にフードコートがあり、そこで食べたかったが、席がないので、1階にある某ハンバーガーショップで食べる。作者は外国ではなるべくその土地のものを食べるが、雷も鳴る雨の中をわざわざ他の食堂を探す気にもならない。
デパートの中を一通り見てからMRTに乗ってホテル近くのドービー・ゴートに戻る。ホテルで荷物を受け取りタクシーで空港へ向かった。
マレー鉄道に乗れなかったのは残念だが、MRTは完乗だ。セントーサ島のモノレールは1駅乗ってないが、これは正式な鉄道ではないのではないだろうか。


情報(01/Nov/2002)
MRTは2002年6月8日に東西線のタナメラ〜チャンギ空港約6kmが開業しており、オーチャードロードなどへ行くときに便利になりました(但し荷物は3辺合計169cmまで)。また、チョア・チュー・カン(Choa chu kang)からLRTが開業しています。

情報(01/Aug/2003)
MRT東北線は最近開業し、HarbourFront〜Punggolを結んでいます。南北線とはDohbyGhaut、東西線とはOutramParkで接続しています。

情報(08/Oct/2004)
マレー鉄道シンガポール駅からは急行列車の短距離区間(ジョホールバルまでなど)は切符を売らないことが判明しました。
また、MRT東北線のSeng KangからもLRTが開業しています。(下記参照)

情報(01/Jun/2011)
マレー鉄道シンガポール駅からウッドランズチェックポイント(シンガポール北部の国境検問所)までは2011年6月をもって廃止されました。
また、MRT環状線がドービー・ゴート駅からメリーマウント駅まで開業しました。
LRTはMRT東北線のPunggolからも開業しています(下記参照)。

情報(01/Dec/2011)
MRT環状線がメリーマウント駅からをブオナビスタ駅を経由してMRT東北線のハーバーフロント駅まで開業しています。
また、本文に書いたセントーサ島を1周するモノレールは廃止されて、ハーバーフロント駅からセントーサ島のビーチ駅までを結ぶセントーサエクスプレスというモノレールが運行されています。

情報(01/Jun/2012)
MRT環状線の分岐線がPromenade〜Marina Bayまで開業しました。

情報(01/May/2015)
MRT南北線がMarina Bay〜Marina South Pierまで延伸しました。
MRTダウンタウン線がBugis〜China Townまで開業しました。
下記(其の2)で未開業と書いたMRT東北線のPunggolから分岐するLRT西側線が開業しました。

情報(01/Mar/2016)
MRTダウンタウン線がBukit Panjang(LRT接続駅)〜Bugis(既開業)間が延伸されました。


◇◇◇シンガポールの鉄道(其の2)◇◇◇

クアラルンプールからシンガポールへ行くにはマレー鉄道がある。1日3往復、朝昼夜だ。なるべくなら景色を見たいので、行きは朝、帰りは夜行、あるいはその逆がいいが、シンガポールの鉄道に昼間乗りたいから、夜行で行って昼ので帰って来ると、これだとシンガポール滞在は5時間程度しかなくなってしまう。これだとまったく余裕がないし、列車が遅れたら目的が果たせなくなってしまう。苦渋の決断とまではいかないが、かなり考えたあげく、往復とも夜行にした。

KL sentral駅は毎度のことながら長距離列車出発前は乗客、見送り人でごった返す。発車は22:00のはずだが21:59になってもホームへ入れさせてくれない。全員乗り遅れか?いや、なんかよくわからないが、ある程度偉い人(らしい)がホームから出てきた。そのあと、ホームへ入場となる。機関車や電源車、荷物車2両を含めると15両くらいの長編成にもかかわらず、3分ほどで全員が乗車できてしまった。ふだんゆっくり歩いているマレーシア人でもすばやいこともある。ということで8分遅れで発車。
マレー鉄道のことを書くのが主目的ではないので、夜中は省略する。まだ暗いジョホールバル(Johor Bahru)で出国審査。この審査は停車中に係官が乗って来てパスポート、出国カードなどをチェックしていく。スタンプではなく係官のサインが出国の証しとなる。もちろんこの駅で降りる人が降りてから出国審査が始まる。
しばらく経って、夜がうすばみかけたころ、列車はゆっくりコーズウェイを進む。この時刻、しかも土曜の朝なのでコーズウェイは車の渋滞も見れない。渡りきってまた停車。ここはウッドランズ(Wood Lands)出入国チェックポイント。造り的には駅なのであるが、ここからは乗れない。ジョホールバル以北から乗った場合は降りることは可能(シンガポール入国審査後)。私の前に並んでいた人が2人続けて別室行きとなったので、入国までに時間がかかった。税関で荷物検査をし(荷物は列車の中に残さない)、発車待ち。待合室は椅子とトイレがあるだけの質素な造りだがきれいである。
さてこのウッドランズ出入国チェックポイントは駅部分だけ複線になっていて、列車交換ができるようになっているが、ホームは片側にしかない。貨物や回送列車ならいいが、旅客列車の場合はどちらかをどけなくてはならない。定刻運転ではここで旅客列車同士がすれ違うことはないが。
列車は5〜60kmくらいで走り、ブキティマ(Bukit Timah)に着く。ここは駅ではなく信号所なので乗降できない。よってマレー鉄道の時刻表にも載っていない。載っていないといえばウッドランズも載っていない。ここもマレー鉄道としては駅とは認めていないと見える。

さらに列車は走り、終点のシンガポール駅に10分遅れの8:15に着く。マレー鉄道の駅らしくマレー食やインド食の店もあるので、ここでソトアヤムを食べておく。もちろん両替所もある。
さて、この駅はなぜかMRTの駅から離れている。MRT東北線、東西線のアウトラムパーク(Outram Park)へ行くには、駅を出て右側の道路を進行方向へほんの少し進み、左へ。2〜30mくらいのところを右に曲がる。100mくらいのところを左方向へ曲がり、Cantonment Roadに入る。これを10分ほど歩くとアウトラムパーク駅である。なぜマレー鉄道の駅はソデにされているのかよくわからない。長距離客はタクシーを使えということなのだろうか。
切符を自動販売機で買う。運賃表にはハーバーフロント(Harbour Front)までS$1.1とあるが、自販機で表示されるのは2.1。知らない人はまごつくだろうが、S$1は切符(というかカード)のデポジットなのである。わかっていても、運賃表の通りにお金を用意すればいいと思う日本人には違和感がある。まあ、何回も買ううちに慣れたが。
この東北線は以前シンガポールへ来たときには開業していなかった割と新しい線である。なので設備的にも整っていて、電車の中に次駅名表示もある。この電車に乗ったあと、開業が古い南北線などに乗ると見劣りは否めない。
ハーバーフロントはセントーサ島へのロープウェイ(ケーブルカーと呼ばれているが)の乗り換え駅だ。セントーサ島観光は便利になった。
切符のデポジットは自販機の専用差込口へ入れればそれだけでS$1チャリンと戻ってくる。コインが戻ってくるので何回も乗り降りすると財布がS$1コインだらけになるので、適当に使ったほうがよい。また、この自販機は運賃によっては高額紙幣は受け付けないので、S$2札を多めに用意したほうがよい。窓口のある駅なら両替してくれるがLRTの駅など窓口がない駅もある。
今回はセントーサ島へ行かずに、ここから折り返してセンカン(Seng Kang)へ。30分程だ。日本の地下鉄のように駅ごとに色を変えることはしていないよう。皆、画一的な造りに見える。センカンでLRTに乗り換えるつもりで切符を買ったのだが、駅構内の作りがよくわからず、改札を一旦出てからかと思って出てしまった。出てもLRTはない。今持っている切符で入ろうとしたが、無理だった。切符を買い直し、LRTに乗車。MRT東北線から見ると西側線と東側線の2つのループがあるので、まず先に来た西側線から乗車。1両の無人運転である。距離が短いせいか座席は少ない。途中のThanggamという駅で降りて切符を買い直す。この駅のそばには住宅などはなく、外国人が降りるのが不思議そうだった。絶対確実とは言わないが、このSeng Kang LRTはどの駅へ行っても90セントだから、別に途中下車しなくても90セント払って1周すればいいのだ。この後、東側線も1周。
MRT東北線で1駅、終点のプンゴール(Punggol)へ。作者が持っている地図にはここからLRTが3路線描いてある。しかし、駅の案内板などを見ると1路線しか開業していない。ということは地図が先走って描いてあるということだ。開業しているのは東側線だ。ここもセンカンと同じ車両が走っている。まだ使われていない駅もあるが停まる。当然だがドアは開かない。日本なら使われない駅には停車しないのが普通だ。

ドービー・ゴート(Dhoby Ghaut)で南北線に乗り換え、チョアチューカン(Choa Chu Kang)へ。ここでもLRTに乗り換えだ。ここのLRTは先のと違って、単純サークルではなく、ラケット型をした線に加え、ひげ線が1つある。のでラケットの円周4/5くらいしたところのプティル(Petir)で降りる。ここでルートCというひげ線部分へ行く電車に乗り換え。このルートCは早朝はなく、その後も20分おき。ラケットの握り部分からわずかにそれたところにテンマイル・ジャンクション(Ten Mile Junction)という終点駅がある。その駅の直前で、ある物を偶然見たので、駅を降りて確認に行く。作者が見たのはマレー鉄道の列車。そう、この駅はマレー鉄道の線路の隣にある。ここに駅を作れば乗り換えられるのにね。確認後、テンマイル・ジャンクションには戻らず、フェニックス(Phoenix)(ラケットの握り部分にある駅)まで200m程歩く。だからルートCはあれば便利だがなくても困らないためか、早朝はないのかも知れない。

ジュロン・イースト(Jurong East)で南北線から東西線へ乗り換えてブーン・レイ(Boon Lay)へ。中国語で書くと「文礼」だ。そのままだな。往復夜行にしたため、今回は時間があるから、ちょっと観光をしてみるのも悪くない。駅前のバスターミナルからNo.194のバスに乗る。バスのNo.を覚える必要はない。駅にバードパーク行きは194と書いてあるのだ。料金は90セント。このバスターミナルには2階建てバスも来るが、作者が乗ったのは普通のバス。バードパーク行きなので降り損ねる心配はない。
バードパークは一部改装中だったが、入場はできる。パノレール乗車券付き入場券はS$18で少々高いがしかたがない。パノレールってもしかして、鉄道?と思った人は鉄道が好きですね。その通り、園内モノレールで、これに乗る目的もあって観光がてらここまできたのである。まず、バードショーをやっていたので見た後、パノレールで1周する。その後歩いて鳥を見ていく。ロリーロフトという人も入れる大きいケージはなかなか楽しい。ふと見るとインコが重なって交尾中。こら、人が見ているのに少しは恥じらいを感じんか。しかもだんだん動きが激しくなって、お互いのくちばしでも愛しあうほどだ。鳥も人間と変わらんことをするものだな。
人工では世界最大落差の滝を見た後、パノレールで入り口に近い駅へ行き、バスでブーン・レイへ戻る。ここはショッピングモールがあり、フードコートもある。日本食が地元食と値段がたいして変わらなかった。

さて、東西線でシンガポール空港へ。といっても途中のタナメラ(Tanah Merah)でチャンギ空港行きへ乗り換え。この部分が未乗だったのだ。シンガポール空港はチャンギ空港と言われることもある。空港を見て廻ったあと、タンジョンパガー(Tanjong Pagar)まで東西線で戻る。ここから歩いてシンガポール駅へ行こうと思っていたのだが、ぎりぎりの時刻である。歩いて道を間違ったら乗り遅れる。ひまそうな地元の人に聞いたらタクシーで行けという。歩いて行くのならそこを行って曲がってと説明してくれたが、作者のヒアリング能力が悪いからか、要領を得ない。ここは数年前にも来たのだが忘れてしまった。しかたがないのでタクシーに乗り、レールウェイステーションと告げる。S$で3程度。ちょうど$1コインがはけた。

22:15発の列車はもう入線しており、切符を見せてホームへ入る。その後マレーシアの入国手続き。普通の旅行者ならここでパスポートと入国カードを見せるが、作者の場合はワークパーミットがあるので入国カードの記入はなし。係官はコンピュータに情報を入力するが、入国スタンプは押さない。作者の場合はもともとスタンプなしでもいいので同じなのだが、旅行者のパスポートにもスタンプは押されない。以前はこのシンガポール駅でシンガポールの出国とマレーシアの入国処理を行っていたのだが、シンガポールがウッドランズに出入国チェックポイントを強行して作ったため、マレーシアとしてもメンツがあるので、今でもシンガポール駅で入国手続きを意地で行っているわけである。このため、シンガポール出国前にマレーシアの入国スタンプを押すわけにはいかず、誰もが首をかしげるような出入国の仕方になっているのである。係官のスタンプ押し忘れではない。万が一ということもあるので、旅行者の方はマレーシア出国まで、マレー鉄道の切符と入国カードはなくさないように。

列車は今朝来たウッドランズに停まり、シンガポールの出国手続き。荷物検査はないので車内に残してもOK。但し、なくなっても自己責任。全員が再び列車に乗り、さあ出発。

これでシンガポールの鉄道は再び全部乗った。プンゴールのLRT西側線は作っているのが見えたので、付近に住宅ができれば開業するであろう。もうひとつの路線は工事は確認できなかったので、近い時期にできるかは疑問符がつく。
今回新規に乗ったのはLRT全てとMRT東北線、東西線の一部でチャンギ空港への線だったが、今思うと既存線も9割方再び乗っているのである。新規路線を追い続けるというのは、そういうものだ。

平成18(2006)年5月


◇◇◇マレーシアの鉄道(其の1)◇◇◇

マレーシアはシンガポールの隣の国。普通の人はマレーシアというとユーラシア大陸と地続きの半島の方を思い浮かべるだろうが、ボルネオ島の一部もマレーシアである。ボルネオ島にもサバ鉄道というのがあって興味深いのだが、今回の話は首都クアラルンプール(以下KLと略す)近郊の鉄道である。マレーシアというとマレー鉄道を思い浮かべる人も多いとは思うが、これは乗る機会があったら書きましょう。

ホテルから歩いて5分くらいのところにAsia Jayaという駅がある。この鉄道はプトラLRTと呼ばれていて、KLを東西に横切っている。今回(2004年3月)はこれと、2003年に開業したモノレールを使ってKLの繁華街のひとつブキッ・ビンタン(Bukit bintang)に行こうと思う。
自動販売機で切符を買おうと、RM1札2枚を入れようとするが2枚目が入らない。札を買えて再トライするがだめ。思い余って窓口へ。この切符は再利用するのか、運賃が印字されない。自動改札を通ってホームへ。
これもシンガポールのMRTと同じように架線がない第三軌条方式だ。このため遠くから高架線を見るとちょっと見には鉄道の高架かどうか判別しにくい場合がある。プトラLRTは終日2両編成で、もちろん冷房が付いている。

夕刻の上り方向なのに座席はほぼいっぱい。車社会のKLとはいえ鉄道利用者も結構あるものだ。
15分ほどでKL Sentralに到着。ここは文字通り鉄道の要衝で、プトラLRTのほか、KTMコミューター、KTM長距離列車、KLIA Ekspress(KL空港アクセス鉄道、所要28分)、モノレールが乗り入れている。もっとも街全体からみれば中心にあるわけではなく、いくつかある繁華街へは乗り換えなければならない。ブキッ・ビンタンもその1つである。

というわけでKL Sentral駅構内は結構広い。KL空港アクセス鉄道もあるので「空港行き特急電車」などと日本語での案内表示もある。
しかし、なぜかモノレールの文字は見当たらず。駅構内を右往左往するが乗り場はない。右手方向にそれらしき駅は見えるが、どう行けばいいのか。案内所で聞くと、右に行って下に下りるのだそう。なるほど、人があまり出入りしてない扉を出ると階段があった。下りてから、先ほど見た方向へ100mほど歩くとモノレールの駅があった。途中は屋根のない部分があるので雨の日は傘がいる。

ブキッ・ビンタンの1つ先のラジャ・チュラン(Raja chulan)までの切符を買う。自動販売機はない。この距離でRM2.1は割高とは思うが歩くような距離ではないし、タクシーはもっと高いのでしかたがない。
広告が入ったカラフルな車体だ。ちなみに車体だけでなく、各駅にもスポンサ−らしき企業名がついている。
もちろん冷房付きで、跨座座式モノレールの特徴で車両の中央(幅方向から見て)に座席がある。車内アナウンスがあるので安心して乗れる。

ラジャ・チュラン到着少し前から大雨になった。傘は念のため持ってきたが、雨が強いのであまり歩きたくない。が待っているとマレーシア航空のオフィスが閉まってしまう。
マレーシア航空で、キャンセルした分の払い戻しができるか聞いてみたが予想通りダメだった。日本からの格安航空券の場合は、たいていNON REF(払い戻し不可)と航空券に書かれているが、作者の持っているのはその表示がなかったため、ひょっとしたらという考えがあったのだ。30分ほど待って雨がやんでからブキッ・ビンタンまで歩く。

伊勢丹の地下のフードコートで食事をし、スンガイワン(Sungai Wang)を歩く。ここは小さい店がたくさんある。マネーチェンジャーは2階のが一番よかった。なお、マレーシアはイギリスの植民地だったため、階の数え方が、日本でいう1階がグランドフロア(通常Gと書く)で、その上が1階となる。
帰りはスンガイワン2階からダイレクトにモノレールのブキッ・ビンタン駅へ行けるのでそこから乗る。外はまた雨だ。雨が降っているからかはわからないけど、乗客は来たときより多い。でも大混雑というわけではないからこれで帰ろう。


◇◇◇マレーシアの鉄道(其の2)◇◇◇

第1編 旅立ちの夜

マレー鉄道。どこかで聞いたことはあるのではないだろうか。そう、マレー半島のタイ国境からシンガポールに至る鉄道をそう呼ぶことが多い。もちろんその路線もそうだが、途中のGemasから分岐して東海岸のTumpat(タイ国境に近い街)までの東海岸線もマレー鉄道である。ほかにもいくつか短い路線がある。

金曜の夕方、タクシーに乗ってKL Sentral駅へ向かう。19:20頃到着。列車の発車が19:55なので3階にあるフードコートで食事をするとちょうどいい時刻である。
改札口は、空港特急KLIA EkspresやKTMコミューター、LRTの改札口のある1階ではなく、2階である。改札口付近の人だかりをよけて係員に切符を見せ(見せるだけ、入鋏はしない)、ホームへ。すでにTumpat行きEkspres WAU号が入線している。大型ディーゼル機関車を先頭に14両ほどの長い編成で、日本では数少なくなった食堂車も連結されている。ちなみにWAUというのはマレーシア伝統の凧のことで、これはマレーシア航空の尾翼にも描かれている。
さて、私の買った切符は2等座席車で、号車がGXと書かれている。買ったあとはGX??と思ったものだ。1号車、2号車と数えるという日本の常識は当てはまらなかった。
そのGX車に乗り、座席まで行くと私の座席(窓側)にジルバブ姿の女性が座っている。切符を見せて確認させたがどこうとはしない。これはマレーシア流なのか、人によるのか? 若い女性にマレー語で文句を言うのも気がひけるので通路側の席に座る。
発車時刻になった。でも発車しない。遅れるとのアナウンスもない。10分後に発車。客車列車にありがちな発車時にガクンと揺れることなく発車する。連結器が違うのかあるいは運転手の腕がいいからか。降りる予定の駅に着くのが早朝なので2時間くらいなら遅れても大丈夫、というか多少遅れてもらったほうがありがたいくらいだ。
開業したばかりのMid Valley駅を通過する。Mid Valley駅はその名のMid Valley(ショッピングセンター)の最寄り駅だ。
東海岸に向かう東海岸線に乗る外国人は少なく、この列車では作者だけだろうと思っていたら、通路を歩いていた人が日本語をしゃべっていたので一瞬、えっ、と思った。後ろ向きだったのでよくわからなかったが、しゃべっていた人の顔が黒かったのだ。後ろに女性がいたので、その人に話していたのだと思うが、その女性が日本人で、しゃべっていた人は日本語ができるマレー人かもしれない。
次の停車駅Kajangを過ぎたころ車内改札があった。その次の停車駅SerembanでGX車内はほぼ満席になった。Serembanまでは近郊電車のKTMコミューターがあるので、それでここまで来て乗る人もいるであろう。

Gemasで隣の女性は降りていったので、窓側席に移る。するとすかさずこの駅からやはりジルバブ姿の女性が隣に座った。座席は一晩一人使用ではないとみえる。
Gemasで進行方向が逆になる。ところが座席は方向固定なので向きを変えることはできない(車両中央からの離反型配置)。
機関車が隣の線路を走って行って先頭につく。機関車自体はこの駅では変わらないということだ。2〜3分後シンガポールからのエコノミー列車が、今、機関車が走って行った線路に到着した。少しダイヤが乱れると機関車の付け替えができなくなるのでは、というようなタイミングだ。もっとももう1線あるようだが。
列車はGemasを7分ほど遅れて発車した。
ここからは東海岸線。ジャングルトレインという俗称もある。なので景色は列車のあかりが窓からもれた範囲しか見えない。もっとも”ジャングル”なのだからジャングルしか見えないが。

早朝のまだ暗い4:30頃Gua Musang到着のアナウンスが流れる。マレー語と英語で。ここまでの車内放送は発車後15分くらいに流れた食堂車の営業案内だけだったので、この列車は車内放送がないものかと思っていたほどだ。
Gua Musangには定刻より若干早く到着する。この駅のホームは改修したのかわりときれいである。
暗い時刻に一人で暗い駅にいることになったらどうしよう、なんて考えていたが20人以上は下車したので、そんな不安は吹っ飛んだ。駅自体もちゃんとした駅である。もっとも改札口はないが(改札口を作ってもそこらへんからいくらでも入れるので意味はないとも言える)。もちろん切符の回収はないから、記念にしたい人は手元に残せる。
5:10にシンガポール行き普通列車が発車する。この列車は普通列車なのに食堂車を連結している(営業しているかは不明)。この駅からのGemas方面行きはこの普通列車ともう1本の普通列車、夜行急行が2本の計4本しかない。Tumpat(終着駅)方面だって普通列車3本と夜行急行2本だけだ。作者はTumpat行きの普通列車を待つ。

なぜEkspresがTumpat行きなのにわざわざ普通列車に乗り換えるのか。せっかくジャングルトレインに乗るのだから景色を見たい。もうひとつは普通列車だと地元の人の生活列車というのが見えてくるからだ。なお、運賃的には通算されないので乗り換えると反って若干高くなる。
7時ちょうどの普通列車は大型ディーゼル機関車+3等客車4両編成。普通に考えれば通勤通学時間帯なのだが、なぜかガラすき。最後尾車両にいたってはKTM職員しか乗っていない。待ちくたびれた7時18分頃ようやく発車する。右側は暑くなりそうなので左側に座る。左側に座ったもうひとつの理由は少し後で。しかし途中駅のホ-ムが右側に多いので、駅の様子を見るなら右側のほうがよい。
途中駅の多くは駅といっても簡単なホームと、棒に鉄板をつけて駅名を書いたような駅。乗り降りが済むと、最後尾のKTM職員が緑の旗を出して発車OKを運転士へ知らせる。もちろん発車ベルなどはなく、機関車のタイフォンの音が発車の合図だ(タイフォンを鳴らすのは乗客のためではない)。ドアはもちろん手動だし、冷房もない(トイレはあり)。

列車が進むにつれて少しずつ人が増えていく。途中から物売りが乗ってきたので、ナシレマ(マレーシアの伝統的料理)かと聞くと、ナシブンクス(ごはんを包んだもの)という。1パック(7個入り)でRM2(RM=マレーシアリンギット、1リンギットは約29円)。まずいわけではないのだが、油が多いので一度に全部は食べられず、時間をおいて2回に分けて食べることにする。
景色は、といえば日本での山間部をイメージするとわかりやすいかもしれない。ただ生えている植物が熱帯植物だ。
途中駅で2回対向列車とすれ違う。最初のすれ違い列車はTumpatを早朝3:10に発車した列車である。そんな時刻に乗る人がいるのかと思う。その次のすれ違い列車はTumpat5:45発である。なぜそんな時刻なのか?明るくなったころに乗ってくる乗客をあてにしているとしか思えない。事実対向列車には結構人が乗っていた。
対向列車の機関車は凸型で、こちらの機関車とは違う。こちらの機関車は西海岸線で多く使われている大型だ。
Gua Musang発車時には半そででは寒かったくらいの車内は時間が経つにつれて暑くなる。もちろんドアは開けっ放し。
途中のある駅で発車しかけた瞬間、イスラム服の女性数人が駅へやってきて、列車は女性たちの乗車を待った。最初はこの女性たちが遅れて駅に来たのだと思っていたが、時刻表を見ると列車のほうが早く発車していたのである。始発駅を18分遅れで発車していつの間にか所定時刻よりも早いのだから、ダイヤに余裕があり過ぎるのか、強力な大型機関車の威力なのか。マレー鉄道は遅れが多いようなことを聞いていたが、作者の乗った限りでは定刻か早いくらいである。

さて右側からもう一本線路が寄り添ってきて、タイ国境の最寄り駅Pasir Masに着く。席を左側にしたもうひとつの理由は、この線路を見るためである。レールの光具合から考えると少なくても数日に1回以上は列車が走っているようだ。この線路はガイドブックなどにも線が書かれていることがあるが、貨物専用線だ。この線路をたどっていって、国境を越え、タイ側に入るとそこからは旅客が乗れるそうだ。もちろん国境越えやタイの鉄道にも興味はあるが、今回はそこまでの時間もないし、マレー鉄道に乗るのが目的と割り切った。
Pasir Masから3駅めのWakaf Bahruで下車。終点のTumpatまではもう3駅あるが、帰りに乗るので、降りることにした。ここはコタバル(Kota Bharu)の最寄駅である。

第2編 コタバルにて

さてWakaf Bahruにももちろん改札口はない。なのでタクシーの客引きが待ち構えている。もちろん私のところへもきてRM10でコタバルまでどうだという(メーター制ではない)。RM8で交渉成立したのだが、冷房もなく屋根上のタクシーを示すランプもない普通の乗用車である。Gelangan seniへ行ってくれと言うと、途中の時計塔で、ここがコタバルだ、と言ったのでもしかしたらこいつ・・・と思っていたら、やはりGelangan seniへ着いたら、ここはコタバルではないからRM10だ、などとふざけたことを言う。ここはコタバルだろうが、と言い返したらOKなどと言っていたが・・・。
このGelangan seni、ガイドブックにはお勧めマークがついている。建物の中に入ると大人用と子供用に入り口が分かれているので変だなと思って受付へ行くと、あなたは本を読みますか、と聞かれたのでNoと答えた。係りの人も不思議そうだったが、作者は、なぜこういう質問があったのかもっと不思議だった。なぜならここは、ワヤン・クリッや民族舞踊が見られることになっているからだ。階段を上ると、、、本が棚にたくさん並べてあるではないか。そう、この建物は図書館なのだ。作者が建物を間違えたのかというと、そうではない。ガイドブックの写真と同じ建物だし、タクシーの運転手もここだと言っていたのだから。
隣の建物にGelangan seniの看板がある。どうも閉まっているようなので、同じ敷地の軽食堂で聞くとここがそうだという。念のため扉を確かめたが、開かない。
仕方がないので別のところへ行くことにする。念のため、タクシースタンドとバスターミナルの位置を確認しておく。
バスターミナル付近は商店が多い。とりあえず昼食をとりたいのでファストフード店へ入る。ここまで来てファストフードを食べるのか、と思う向きもあるだろうが、冷房にひたりたかったのとお札をくずしたかったのだ。セット品が安いので注文すると、飲み物はRoot beerだと言う。作者は宗教上アルコールは飲めないので、アルコール入りなのかと聞いたら(余談・日本語のアルコールという発音で聞いたら通じた)、そうではないとのことだった。

少し歩くとKelantan川にでる。あまり水はきれいとはいえない(水が茶色い)。川にいてもあまり涼しくはなく、日陰もなのいで数分で引き返す。

イスタナ・ジャハールかイスタナ・バトゥへ入るか迷ったが、イスタナ・ジャハールにした。外観的にはイスタナ・バトゥのほうがきれいである。イスタナ・ジャハールは木造2階建てで2階部分は一部オープンエアである(写真はイスタナ・バトゥ)。
イスタナ・ジャハールは博物館なのだが、ざっと見れば30分もかからない。もちろん、マレー語や英語の説明文を丹念に読めば2時間くらいはかかるであろう。敷地内の洗面所で手や顔を洗って汗をとる。
イスタナ・バトゥで写真を撮っていたら、欧米人から道を聞かれた。おそらく、同じ外国人同士だからということであろう。行き先は作者の知らないところだったが、その人もガイドブックを持っていたので、今はここですよと教えたら、行く方向がわかったようだ。

他にも戦争博物館などいくつかあるが、歴史関係のや民族工芸品などが主で似たり寄ったりなので、あまり気乗りしない。
モスクがあったので入ってみる。通路を歩いてみたら、ムスリム女性が手招きしている。とりあえずそばへ行く。この建物は女性用なので男は隣の建物だということだった。そういえばここにいるのは女性ばかりだ。隣にも同じような建物があってそこが男性用ということだ。話はそこで終わらない。どこから来たのかとか、結婚しているかとか、宗教はなにかとか。同じイスラムとわかると妙に親しげ。イスラム教はバグース(よい)と言っていたのが印象的。5時(午後)にここへ来てね、と言っていた。コタバル名物?のナイトマーケットを案内してくれるのか、宗教の話をしたいのか。
その男性用の建物でしばし寝ころぶ。
起きた後、気づいたが、5時頃にはコタバルを出発しないと6時の列車に間に合わなくなってしまう。もちろんタクシーを使えば5時20分頃出ればいいのだが、タクシーはさっきの件もあるし、Tumpatまでは距離が長いから高くなるし、再度先ほどの女性と会っても会ったらさよならでは意味がない。ので、5時前に先ほどのバスターミナルに行きTumpat行きバスを探す。ムスリム女性の方、ごめんなさい。会って話を聞きたいのはやまやまだけれど、6時の列車を逃すとクアラルンプールに帰れるのが丸1日遅くなってしまうのだ。ワンマンバスの運転手に行き先を確認して乗る。RM1.7だ。

第3編 帰りの夜汽車

ここのバスはいつ発車するかわからない。あまり発車しないようだとまずいのだが、ちょうど5時に発車した。バスは満員盛況だ。ということは乗り降りに時間がかかるということである。
途中の標識にTumpatまで13kmと表示されていたが、バスは途中で曲がってしまった。最短距離で行かないの?と思ったが、どうやら集落を経由して走るようだ。そりゃそうだ、人のいないところを走ったってもうからないだろう。事実、百メートルから数百メートルおきに停まって数人ずつ降りてゆく。標識にはTumpatまで15kmと表示される。え〜、遠くなってるやん。と気をもむうちにもバスは走って行く。運転席直後の席が空いたのでそこに移動して、かぶりつきで前を見る。車内放送はないから、自分で降りるところを見るか、運転手に頼むしかない。
ある場所で、停まり、ここがTumpatだと運転手が教えてくれた。頼んではいなかったが、”よそ者”ということで教えてくれたのだろう。ありがたい。駅はどこ、と聞くと左だと言っていた。
先におりた女性から、どこへ行きたいのかと聞かれたので、駅、と言ったらこっちですよと、駅まで案内してくれた。コタバルの人は親切だ。ありがとう。
こうして、発車15分前に、無事に駅に着くことができた。

帰りは2等寝台の下段である。上段だと、RM2.5安いのだが、下段だと日没まで景色を見ることができる。上段でも小さな窓はあるから見えないことはないが。Tumpatからの乗客はそう多くない。やはりWakaf BahruやPasir Masから乗って来る人が多い。
食堂車で何か食べようと思って行ってみたらすでに満席だったので引き返した。戻ったら、ちょうど車内販売が来ていたので、ミーゴレンと水を買った。RM5.5なので高いわけではない。日本ではコーヒー一杯400円(それも紙コップにポットで入れるだけの)くらいするのでなるべく買わないようにしているのだが・・・

寝台なので通路側カーテンを閉め、すっかりくつろいでいると対向列車との行き違い。対向列車の乗客が見ているではないか。あわてて窓側カーテンを閉める。ちなみに東海岸線では急行が普通を追い抜くことは通常はない。
午後7時過ぎには暗くなり、景色も見えなくなったので、昨夜の寝不足もあり、早々と寝ることにする。KL Sentralまで13時間半だ。
冷房は寒すぎず暑くもなくほどよく効いている。掛け物は毛布ではなくシーツのような白い布1枚だが、不自由はない。寝台は日本のB寝台のような側通路式ではなく、通路の両側に並んでいる方式である。

翌朝7時過ぎに車内放送。乗り換え案内をしている。列車は十数分遅れているようだ。気の早い人や荷物の多い人は降りる準備をしている。KL Sentral駅手前で列車はスローダウン。信号の影響だろうが、これは長距離列車にはよくあることだ。
終点に着く。みんな降りてゆくが、まだベッドで寝ている人もいて、係員が起こしていく。寝台車ならではの光景だ。
向かい側ホームの電光掲示板はシンガポール行き8:30発の列車を表示していた。

平成16(2004)年9月


◇◇◇マレーシアの鉄道(其の3)◇◇◇

サバ鉄道。別名北ボルネオ鉄道。そう、この名のとおり、この鉄道はボルネオ島の北にある。ボルネオは熱帯雨林関係の報道などで日本でも知名度は上がりつつある。

10月の終わりにマレーシア航空でクアラルンプール国際空港(KLIA)からボルネオ島マレーシア領サバ州の州都Kota Kinabalu空港へ行く。KLIAからKota Kinabaluまでは2時間半。Jakartaへ行くより遠い。
Kota Kinabalu空港ではパスポートチェックがある。外国から来た人はもちろん、マレーシア在住(旅行者の場合は入国後)であってもサバ州以外から来た人は入国審査を受ける。私の場合は入国はしているので入州審査か。
空港にはもちろんタクシーもあるが、地図で見た限りではサバ鉄道の駅は歩いても行けそうな距離である。空港を出て左方向に歩く。広い道路に出るがそれがバス通りだ。バスと言ってもxxxなのだが・・・

地元の人に駅まで何分くらいかかるか聞いたら、遠いからバスで行けと言われてしまった。まあ、それでも歩いたが。道路を横切るとサバ鉄道が併走しているのがわかる。単線の細いレールだ。見た目では37kgレールのような感じだ。30分くらい歩くと、Tanjung Aru駅があり、それがサバ鉄道Kota Kinabalu側の始発駅。
駅構内にはSL列車用と思われる客車が留置してある。ミニショップやミニ食堂もある。かつて使っていた車両も静態保存してあって、始発駅らしい趣をしている。駅にある時刻表を眺めていたら、駅員?が来たので、時刻表をもらえるかと聞いたら出してきてくれた。時刻は事前にインターネットで調べておいたが、外国の鉄道、それもローカルな鉄道は時刻が変わっていたり、時刻表に書いてあっても運行しないことがあるので確認が必要だ。その駅員に終点のTenomへ行くと言うと、この列車とこの列車と、、、という感じで教えてくれた。やはり調べたとおり、1日で往復するには朝7:45発のに乗らないと無理なようだ。その駅員は列車がホームへ着くと行ってしまった。

駅を過ぎても車庫などでまだレールは続いている。地図上では1kmくらい。車庫にKTM(マレー半島側の鉄道会社)のマークがあったのが興味深い。何かしらの協力関係でもあるのだろうか。余談ではあるが、KTMはサラワク州KuchingからKota Kinabaluまでの鉄道敷設という壮大な計画をしているという。サバ鉄道の延長、線路改良も計画にあるという。ただし、これはあくまで計画。実現するかどうかはわからない。

バスでKota Kinabalu市内まで行く。Kota Kinabaluは地元でもKKと言えばわかる。バスはワンボックスカーに長いすをつけたものでミニバスと呼ばれ、定員は11人程度である。空港やTanjung Aru駅からKKへは17番バスで行け、結構頻繁に来る。降りる時は、運転士に予め行き先を言っておくか、ブザーを鳴らす。運賃は降りる時に払う。ミニバスは定員が少ないため、乗り降りの回数が大型バスに比べて少なく、加速も乗用車とさほど変わらないため速い。終点で下車。ここはミニバスターミナルで、地理上の目標としては近くに郵便局や歩道橋、中国鳥居のようなものがある。南下するとオープン食堂があったので、ナシゴレンとテーオーアイスにした。テーオーアイスというのはインドネシアのエス テーと似た飲み物である。ちなみに飲み水はアイルコソン。

1夜明けて、タクシーでTanjung Aru駅へ。ホテルで朝食をとってからタクシーで行くか、朝食をとらずに早めに出てミニバスで行くか、結構考えたが、結局前者にした。なぜならミニバスは安いのはいいが、いつ発車するかわからないので、列車に乗り遅れたらここに来た甲斐がなくなってしまうし、タクシーは高いのと降りる時に料金のことでもめることがあるのであまり好きではないためだ。
タクシーはメーターはついているが、運転手は使わない、という(ほらね)。ではいくらかと聞くとRM10。まあ、ぼっているというほどではないだろう。メーターでいけば何割か安いとは思うが。
7時半前に駅へ着いた時にはもう切符売り場に列ができていた。自動販売機はない。切符は、日本では珍しくなりつつある硬券で、列車番号を切符に記入する。TenomまでRM7.5だ。今日は祭日ではあるが、休日ダイヤではない。日曜ダイヤと月〜土曜ダイヤというのがあるが、祭日は関係ないらしい。改札はなく、そのままホームへ入れる。

ホームへ入って来たのは2両編成のディーゼルカー。いくらかでも海の見れそうな右側に席をとる。もちろん冷房はないし、車内放送もない。Tanjung Aruでは満席にならずに発車する。途中いくつかの駅へ停まるごとに乗客が増えてゆく。不思議に思ったのは通過した駅?に人がいたことだ。もちろんそれはバス停ではなく、上り列車も数時間後という状況で。地元の人が数時間前に駅へ来るというのは考えにくい。
空港付近に駅はあるかと思ってよく見ていたつもりだったがよくわからなかった。線路の盛土の直ぐ脇に湿地があり、大雨が降ったら盛土が崩れてしまいそうなところをディーゼルカーが飛ばしてゆく。海も何回か見える。
途中のPaparはSL列車の折り返し駅。よく旅行会社の現地ツアーなどでSL列車体験乗車というのを見かけるが、この駅までである。SL列車も乗ってみたいのだが、それは水、土曜のみだし、それに乗ると1日でサバ鉄道を全線往復できない。時間のある方にはいいと思う。
この列車、駅に改札がない代わり、車内改札がある。車掌が切符をチェックしていく。
このディーゼルカーは2両固定でエンジンがついているのはTanjung Aru側の1両だけだ。運転席の後ろの車内にエンジンがはみだして見える、日本では類をみないタイプである。このためその車両は若干うるさい。

さて、このディーゼルカーもBeauFortが終点。定刻+3分くらいの9:58ごろ着いた。乗り換え列車は10:00発車のはずだがまだ来ていない。改札もないので駅前にも出てみる。駅の中には店もあって食料も買える。
30分ほどして列車が到着。折り返して出発と思いきや、私の乗った機関車に近い車両はTanjung Aru方向に走り出すではないか。何だ、何だと思っていると、停まって折り返す。要するに貨車の入れ替えだ。そう、ここからは客車と貨車の混合列車なのだ。自動車も載せてきたのでそれも降ろし、載せるという作業を行う。作業自体も非効率な感じがしたが、客を乗せたまま入れ替えをするわけである。このため、さらに遅れ、出発したのは11:33だった。なお、機関車は日本製。
ここからは川に沿って進む。森林鉄道のような趣である。曲がりくねった川沿いに線路も曲がりくねっている。曲がっているだけではなくよく揺れるのである。切符に、命の保証せず、と書いていないのが不思議なくらいだ。場所によっては線路の直ぐ下を川の水がひたひたと洗っているようなところもある。少し川が暴れたら、路盤までさらわれそうだ。線路だってもう少し手入れすれば多少はスピードだって上げられるだろう。Tanjung AruからBeauFortまでが全線134kmのうちの85km、その先が49kmである。時間的にはどちらも2時間くらいなのだから、どのくらい遅いかわかるだろう。
途中の駅はホームらしきものが1両分あるだけのところもある。そうした駅付近にある家は木造高床式の簡単な造りの家が多い。果たしてここには電気がきているのか?TVは映るのか?でも駅から離れた山の中にもきっと人は住んでいるのであろう。1日2〜3本の列車であっても鉄道があるのはいいほうとも言えるかもしれない。
Rayohは比較的まともな駅で、時刻表上ではここで上り列車と行き違うはずだが、対向列車はないように思えた。私の見落としなのだろうか。
Pangiで向かい側の席にいた白人たちが降りていった。ここからラフティングができるらしく、それ用のボートが見える。川はどろ混じりなので、泥川くだりといえなくもない。

終点Tenomは街である。降りた人たちは、ミニバスに吸い込まれていった。ここからKKまでバスもあるようだが、鉄道で折り返してみようと思う。しかし、列車がいい加減遅れたので、昼食をとる時間がなくなってしまった。なので、14:50の列車の切符をまず買ってから、パン屋で菓子パンを買った。街中も散歩したかったのだが無理。しかたなく駅の椅子に座って食べながら列車を待った。

帰りの列車は川と反対側の席にしかありつけなかったので、景色は山肌ばかり。Pangi駅はよく見ることができたが・・・
Tenomを18分遅れで発車し、BeauFortに37分遅れで到着した。この列車は時刻表上では折り返さないように見えるがなぜか乗客は乗ったようだ。ようだ、というのはその列車の発車を確認していないからである。
本来は接続列車はBeauFort発がは17:58だが予想どおり発車を待っていてくれた。結局Tanjung Aruには50分後れの19:50に到着した。鉄道好きな私でも、往復乗るのは多少の忍耐が必要なくらいであった。遅れるのがどうのこうのではなく、疲れるのである・・・・・

平成17(2005)年11月


◇◇◇マレーシアの鉄道(其の4)◇◇◇

さて、マレーシアにはほとんどの人が知らない鉄道がある。それは、マラッカのモノレール。
このマラッカのモノレール、開業してから故障などで数回運行停止になった。今日行って乗れるのか?

モノレールの話だからそれ以外のことをくどくど書くのはやめようかとも思ったが、行きかた等がわからないといけないので書くことにした。
バスでマラッカセントラルというバスターミナルに着く。ここでは食事などもできる。ここからマラッカ市街へ行くのだがローカルバスがわからない。Domesticエリアから出ているバスだろうと思って行っても何番バスに乗ればいいのかわからない。23番バスの経由がTaman Merdeka(独立公園)と書いてあったのでそれに乗った。乗ること40分。景色が市街地っぽくならないなあとも思いながらも運転手がここだよ、と言って教えてくれて下りた場所は全然それっぽくない。付近の商店で聞いたら、このあたりがTaman Merdekaだと言う。Muzium Samuderaに歩いて行きたいと言うと、タクシーに乗れという。ガイドブック上の地図ではそんなに離れていないはずだが。
ちょうどタクシーが来たので乗り、スタダイスへ行ってくれと言った。ここのタクシーは交渉制なので値段を聞いておく。タクシーはさっきのマラッカセントラルの前を過ぎ、だんだん市街っぽいところに行く。着いたよ、と言ったところで降りるとその位置だった(当たり前だが)。これなら最初からタクシーに乗ったほうがよかった。結論を書いてしまうとTaman Merdekaという地名が違うところにあるということである。とんだ時間の浪費だがそういうこともある。
タクシーを降りたところで見ていたら17番バスが停車して行った。これから来る人は17番に乗るように。

時計台やモスク、Muzium Samudera(海洋博物館)などを見てから、Taman Merdekaを歩く。
鉄道車両の静態保存があったのでごろうじろ。

連結器が自動連結器ではないですね。あと、機関車を作ったのは日本の汽車製造会社。

歩いてマラッカ川上流に向かう。マラッカ川は蛇行しているので、道路をまっすぐ行くほうが近い。
見えてきたのがモノレールの橋げた。しかし左右を見ても駅は見えない。どちらに行っても駅はあるはずだ、と思って下流側に歩く。川沿いが遊歩道になっているので、川沿いに歩けるのだ。

下流側に歩いて10分ほど、見えてきたのがHang Tuah駅。でもこの駅シャッターが閉まってて入れないぞ。で、そこにいた人にモノレールは走っていないのかと尋ねてみた。そしたら、なんと
「向こう(上流側)の駅から来てここで折り返していく。だから乗るのは向こうの駅からだよ。」
え、そんなモノレールってあり?オーストラリアで乗ったロープウェイは半分の位置まで走って折り返したけどさ。しょうがないので上流側へ向かって歩いて行く。距離は1.6kmだから20分くらいかな。でも、待てよ、歩いている最中に1度もモノレールが走って来なかったな。本当に運行しているのか?

見えて来ました、モノレール車両と駅。階段を上がって窓口へ。切符は下のチケット売り場で買ってくれって?でもチケットカウンターて書いてあるじゃん。まあいいや。下のチケット売り場へ行くと次の運行は1時間後の17:30だという。近くに屋台はあったが敬遠し、ガソリンスタンドの売店でパンを買って食事と時間つぶし。
この駅(Hang Jebat)はマラッカ川クルーズ船の乗降場と同じ位置にある。
この位置と運行の仕方を考え合わせると、モノレールは輸送用ではなく観光用にほかならない。でも観光といっても一般観光客が来る時計台周辺や独立公園からは遠く、クルーズ船で来た人しかまず気づかない。しかも運行間隔が1時間以上あくというのはやる気があるのか(乗客がいなければその時刻の列車は運休になるのかもしれないが)。

5時半が近づいたので切符を買う(RM10≒270円)。切符はなんとクルーズ船のもので、プリンターの印刷でMonorelと書いてあった。
モノレールは3両連接だが、各車両にドアがあり、互いの車両には行き来できない構造になっている。重さを支えているのはゴムタイヤみたいだが(見えない)、左右方向を支えているのは小さい鉄製?ローラーだ。あんな位置についていて左右にひっくり返らないのか、という感じではある。
走り出したが、スピードは遅い。あの構造でスピードを出すのは危険かもしれないが。観光用なので遅いのか。途中の見所などで英語のアナウンスが入る。さすがに高いところを走っているだけあって眺めはよい。混むことはないかもしれないが、川沿いの席のほうがいいだろう。
Hang Tuah駅で折り返す。正確にいえばホームの手前で折り返した。乗客は私1人だった。

約20分のモノレールの旅は終わった。いろいろあったが、とりあえずはモノレールに乗るという目的を達成できたので、まあよしとしよう。
さて、どうやってJalan Tun Razak沿いのマラッカセントラルに行こうかな。タクシーがつかまればタクシーでいいけど、歩いても30分くらいだ。

平成24年(2012)12月


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