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日本一周20キロの旅



これは2001年7月に、作者が未乗新線に乗りに行った時のプランニングと旅行記である。いかに安く、確実に、効率よく乗ろうとしたかを書こうと思う。横浜から出発して名古屋、関、神戸、小倉、札幌、仙台とまわって新線の乗車距離は20.0km。これを3泊4日全車中泊という行程だが、安くするには宿泊費削減だけではなく、自分の行動力や知識も必要だということが、これを読めばわかるであろう。


1日め
2日め
3日め


◆◆◆ 1日め(7/21) ◆◆◆

7月20日の夜、横浜に行く。そう、21日の0:11発「ムーンライトながら」に乗るためだ。3泊4日の初日は自宅から横浜までしかないし、青春18切符の使用開始は21日からなので、ここでは21日を1日めとする。
指定券は旅行会社で品川〜名古屋として買っておいた。なぜ品川かというと、旅行会社ではたいてい指定券申込書を1ヶ月以上前から受け付けてくれるが、夜行で日付をまたがるときは発売日の翌日に発券処理をする可能性があるためだ。これは普通列車の指定券ならではの指定方法(料金が距離に関係ない)である。
0:01頃改札を入る。念のため21日の日付、と駅員に言うとはいはいと行って21日の日付を入れてくれた。手慣れたものである。4分先発の小田原行き941Mを見送る。休日のせいか通勤客は少ない。「ムーンライトながら」の1号車に乗車。安く済ませるのならば臨時の9375Mに乗れば510円払わなくてよいのだが、165系大垣夜行はイヤと言うほど乗ったし、510円で1晩特急形の快適な座席が保証されるなら、いいではないかと思う。
忘れたころに車内改札があり、一応、「横浜から」と言ったが指定券については全くトラブルはなし。指定席は満席ということで、国府津から指定券なしで乗ってきた人が、後方車両(小田原から自由席)に移るよう注意された。熱海を過ぎても隣の席は空いたままなので、横になる。リクライニングシートとはいえ横になったほうが楽なのだ。
5時半の安城あたりで目覚め。でもまだ横になったまま。1〜3号車は名古屋まで指定席なのでこういうことができる。名古屋の1つ前の金山で下車。作者のいた席に別の人が座る。おいおい、まだそこは指定席だよ。
(2007年3月改正により、ムーンライトながら下りの全車指定席区間は東京〜豊橋。日付が変わる最初の停車駅は小田原:注釈追加2008/6)

中央本線で大曽根へ。金山で中央本線に乗り換えたのは10年ぶり。このときは勝川まで行き、東海交通事業に乗っている。今回は大曽根から本邦唯一のガイドウェイバスに乗る。一応「駅」から発車するので切符がいるのかとも思ったが、整理券をとって乗ればいい普通のバス。土曜日の朝とあって乗客は2〜3人。カーブの手前の路上(法的には軌道上?)に制限速度が表示されているが、制限速度標識は鉄道のもの。バスの運転手が「速度制限解除」などと指差確認しながら進んで行く。ギアはオートマチックだから運転手はアクセルとブレーキを操作するだけだ。カーブではハンドルがかってにまわる。
軌道区間の終点、小幡緑地までに他の乗客は降りてしまった。作者も小幡緑地まで乗ればいいのだが、一般道との接点を見たいので次の竜泉寺入口まで乗車。高架橋を降りたところに踏切のような遮断機があり、バスが少し停まると開いた。一般道に出るところに信号があり、右に曲がると竜泉寺入口。小幡緑地までより60円高い300円だが、高架橋終点まで乗ったということでまあいいでしょう。竜泉寺を見ようと一瞬思ったが、坂を上るのがおっくうなので行かずに、小幡緑地からバスで砂田橋まで引き返す。バスの運賃を払おうとすると、「旧500円玉は両替できません」の表示。新しく両替機を作るのなら、これから出回るであろう新500円玉に対応したほうがいいとの判断だ。
ついでに書かせてもらうなら、2000円札や新500円玉が流通しないのは政府や日銀の無策などではなく、民間がいけないのだと作者は思っている。なぜなら、流通しない(使いにくい)のは銀行のATMや各種自販機業界が、対応コストを負担したくないがために新紙幣や硬貨の対応を渋っているためとみる。対応したって直接売り上げ増になるわけではないからだが、もしバブル期に2000円札や新500円玉が発行されていれば、すぐにでも対応したであろう。郵便局や一部の銀行のATM、舞浜リゾートラインなどでは2000円札を使用できるが(といっても作者のもとへはなぜか流通してこないが)。
話が横道にそれたが、砂田橋で地下鉄に乗り換え。大曽根まで2駅だ。乗客はまばら。この区間はガイドウェイバスの高架橋の下を通る。今のところ名城線(2号線)の延長のような形だが、本当は本山を通って新瑞橋までの一部区間だ。
(新瑞橋までは4号線として2004年10月6日開業済み:注釈追加2005/6)
地下鉄だけでも名古屋へ行けるが、なるべく安くするため大曽根から中央本線で名古屋へ。6年ぶりにホームで名物のきしめんを食べる。名物はあまり食べないが(きらいなわけではない)、名古屋といったらこれである。
予定より若干早いので、快速ではなく普通列車で岐阜へ。岐阜で高山本線に乗り換え。しばらく降りないうちにきれいな駅になったような。予定よりも1本前の8:30発の3713Dはキハ48を冷房改造したものでボックスシートだ。すいているので足を前の座席へ。天井の扇風機には「JNR」マークが健在なのはうれしいような懐かしいような。終点の美濃太田で降りる。
長良川鉄道のホームには改札口はない。車内で運賃を払うからだが、美濃太田や関など主要駅では、改札口がないのになぜか、硬券入場券を売っている(乗車券は券売機で購入)。関までは410円だ。
20分で関へ。関での乗り換えは今回の旅で1番タイトな接続時間だ(9:54着。9:58発)。名鉄関駅は降りたホームの後方にあるが、入場券を買うため、一旦線路を渡り駅舎へ。また線路を渡って引き返し、名鉄880形に乗る。しかしギリギリで飛び乗ったというほどではなかった。関〜新関は時刻表によると1時間おきなので乗り遅れるとたった0.3キロのために1時間待たなければならない。そこでこの時刻は予めホームページで調べておいた。文明の利器を使えばタイトな接続でも落ち着いて行動することも可能だ。
880形は発車直後急カーブにはいる。しかもそこで一旦停止。踏切で遮断機が降りてから発車する。踏切を渡るとまた急カーブを曲がり、新関へ着く。このわずか1〜2分のためにここへきたわけで、一般人にこれを話してもおそらく理解されないであろう。新関では降りずに終点の新岐阜まで乗る。新岐阜から美濃町線往復でもよかったのだけれど、片道、美濃太田を経由したほうが120円安いし、違うルートのほうが景色などを楽しめる。関から新岐阜までは約1時間。この間併走するバスに追い抜かれても我が道(線路)をたんたんと進む。各務原線との共用区間に入る前に冷房が切られてしまった。880形の冷房は600V専用なのだ。複電圧対応の冷房装置をつける場所がないのだという。1駅だとわかっているので窓を開ける人もおらずに、新岐阜到着。精算所で運賃を払い、外に出る。
(名鉄美濃町線、田神線、岐阜市内線は2005年3月末廃止:注釈追加2005/6)
JR岐阜までは名鉄岐阜市内線で1駅なのだが、歩いても10分かからない。駅へ入る前にぱるるプラザ(だったかな)が見えたのでそちらへ。暑い中を歩いたが、入り口が見つからない。というかふさがれている。工事中だった。運がいいと書いてきた作者だが、これはアンラッキー(運の問題ではない?)。
大垣乗り換えで米原へ。ここからは新快速でもいいが、時間があるので普通(高槻〜西明石間快速)に乗る。2時間10分後の三ノ宮で下車。案内板を見て駅の南側へ出る。途中で案内板を見失い、暑い中10分程よけいな所を歩いてしまった。海岸線の三宮・花時計前の位置は事前に地図などで調べていない。開業したばかりなので、東京で売られている地図には載っていなかったのだ。駅前広場を歩道橋で渡り、2〜300mくらい歩くと国際会館があり、駅入口もあった。国際会館1Fには郵便局がある。作者は郵便局があればATMで1000円程出金か入金をする。なぜATMかというと、旅行で通帳を持ち歩くのは不安があるし、窓口より出入金可能な時間が長いからだ。
切符を買ってホームに出る。開業したばかりなのでホ−ムも電車も新しい。車輪式リニアモータなのでこぢんまりしている。ここの車両は第三軌条ではなく、パンタグラフ集電なのでトンネルの高さはやや高い。

土曜の昼下がりのせいか、1両に15人程度。でも各駅での乗降はある程度はあった。和田岬ではJR乗り換えの案内放送があるかと思ったが、ナシ。神戸市交通局側では乗換駅とは見なしていないらしい。15分で新長田到着。これで今日の新線乗車は終わり。JRの201系各駅停車で明石まで乗り、そこで姫路行きに乗り換え。このあとの予定はムーンライト九州に乗ることだけなのだから、急ぐ必要はない。
姫路では駅の立ち食いそばがお目当て。ここのそばは麺が黄色っぽい中華風で、日本そばのような茶色ではない。中華風といってもラーメンのようにちぢれてもいない、ここ独自のそばである。日本全国の鉄道に乗り、立ち食いそばを食べてきた作者(生活レベルがバレてしまう^_^;)だが、中華風のそばは姫路駅以外では食べたことがない。皆さんも1度お試しを。
駅の外に出る。右手に交番があるので風呂屋の場所を聞いてみる。駅の左手2〜3分の所にあると教えてくれた、、、しかし。そこは改装中で営業していなかった~_~。交番へ苦情を言いに行こうかとも思ったが、教えてくれている時に他の風呂屋は遠いようなことを思いだし、姫路で風呂に入るのはあきらめた。16:50の新快速で京都へ向かう。先ほど急ぐ必要はないと書いたが風呂屋だって営業時間がある。京都まで約1時間半、普通運賃なら2210円のところだが青春18切符なら躊躇しないで乗れる(2210円は青春18切符の1日分弱の値段)。
京都タワー地下3階に浴場がある。ここはいわゆる銭湯ではない。750円と、銭湯より高めだが、石鹸やシャンプーは浴室内にあり、タオルも無料で貸してくれるのでリーズナブルである。ちなみにリーズナブルという語は安いという意味ではなく、妥当なという意味である。参考までに書くと営業時間は7:00〜20:30。
営業時間ぎりぎりまで休息し、外に出る。ファストフード店を探すまでもなくMのマークが目に入った。セット品を注文し、また営業時間ぎりぎりの21:00までいた。思えばこれが今回で一番高い食事であった(中流ではない庶民の生活だな(汗))。
ムーンライト九州の指定席券は大阪からを用意しておいたが、指定席券は距離によって値段が変わるわけではないし、夜行列車で京都〜大阪だけ同じ席を別の人に売ることもないであろうから、京都から乗ることにした。この列車は全車指定席で、ムーンライトながらの救済列車9375Mのような列車もないので、実は2つの旅行会社に指定席券を申し込んでおいたところ、両方で席が確保できてしまった(ムーンライトながらも一諸に申し込んでおいたがこれについては後述)。1枚は1号車、もう1枚は2号車なのだが、1号車の指定席券はあとで乗るJR北海道のエアポート指定席に変更した。なぜエアポート指定席にしたかというと、どうせ乗るのだし(距離やフリークェンシ−などを考えればわざわざ買うことはないとは思うが)、払い戻すよりも20円得で、JR北海道が売り出し中?のUシートも体験してみたいからだ。なぜ2号車を残したかというと、1号車は列車の端(機関車は別として)なので床下に発電用のディーゼルエンジンがあり、少しうるさいかもしれないと予想したからだ。
京都駅に戻ると、ムーンライト九州とおぼしき列車が見えるではないか。ホームについているわけではなく通過線上に停まっていたが、予想通り九州寄りの1号車からはディーゼルエンジンの騒音と排煙が出ている。乗り場の案内表示がなかったので係員に聞いて確認する。やがてテールランプを点けたEF65を先頭に入線。14系座席客車のリニューアル車で、最後尾にはサロンもある。サロンにも行って見たが、そこにはもうすでに鉄ちゃんとみられる中高生で席は埋まっており、異様な雰囲気。邪魔者がきたような顔をされたので退散した。一般の乗客なら入るのもはばかられるような雰囲気だったが、鉄道はファンのためにあるわけではないので、こういう雰囲気はよろしくないと思う。2号車に戻る。このリニューアル車はスキー臨に使用することもあるので車端に荷物置き場と更衣室がある。さらにいえば14系オリジナルのような簡易リクライニングシートではなく、フリーストップタイプでわりと深く倒せる。この設備で510円の指定席券で1晩過ごせるのだからお徳用である。
なつかしい汽笛一声新橋を♪のメロディのあとにアナウンスがある。このメロディは以前はたくさん聞いたが最近はめっきり減った。この音も録音しておくとあとでプレミアがつく!?(まさか)。車掌には京都から乗る旨を車内改札の際つたえてOKをもらった。発車や加速のしかたは客車列車独特である。山陽路の14系客車は1980(昭和55)年7月の急行雲仙・西海(長崎・佐世保行き)以来。当時の雲仙・西海は大阪を20:42に発車し小倉には6:40に着いている。ムーンライト九州は大阪を22:08に発車し小倉には6:06に着く。停車駅に関しては、ムーンライト九州は岡山を出ると厚狭までノンストップだが、雲仙・西海は岡山、倉敷、新倉敷、金光など細かく停車していく。真夜中の広島、岩国へも停車する。おまけついでに書くと岡山では581系なは(京都〜西鹿児島)に抜かれるのだ(ムーンライト九州は後続の夜行には抜かれない)。雲仙・西海はこの年の10月号時刻表にはないから、9月までの運転だったと思われる。ついでのついでで恐縮ではあるが、10月号には夜行急行さんべ(米子〜博多)や寝台車連結夜行鈍行のながさき(門司港〜長崎・佐世保)の名前はあったから雲仙・西海は早く姿を消したことになる。
話がそれたが、要するに以前の急行より今の快速のほうが速くて、設備もよいということ。違うのは定期か臨時かということである。新大阪、大阪、三宮、と停車して乗客を拾ってゆくが、乗車率は80%くらいとみた。夜行列車から見る景色は、都市部ではネオンサインなども見えるが、地方へ行くと併走する道路を走る車のライトと信号くらいで駅へ近づくと少し街灯がある程度である。北海道の石北峠などは客車(そのころは客車だったんだなあ)の窓から洩れる光が照らす範囲以外何も見えなかった記憶がある。後ろにいる人が寝入ったころにめいっぱいリクライニングシートを倒して眠ろう。岡山到着少し前に次の日を迎える・・・。


◆◆◆ 2日め(7/22) ◆◆◆

小倉には6:06に到着する。降りる前に、後ろの人のためにリクライニングは戻しておこう。実はプランニングの時は、ムーンライト九州を使うのではなく、岡山〜博多間の夜行高速バスに倉敷〜小倉間乗る予定だった。作者は基本的には定期列車でプランニングするからである。飛行機のチケット関係で、日程がある程度限定されたので、ムーンライト九州の利用が可能になった。倉敷〜小倉間の夜行高速バスが5900円なのだから5390円の節約である(倉敷〜小倉間の夜行高速バスの運賃は時刻表には載っていないが、Nバスのホームページに載っている)。夜行高速バスの小倉到着時刻はムーンライト九州とほぼ同時刻なのでプラン変更が容易だし、もしムーンライト九州の指定席券が入手できなかったときでも旅をあきらめないですむ。
小倉も駅ビルが改築されていて、改札口を出ると同じフロアにモノレールの改札口がある。次の平和通まで0.4キロ、150円である。ホームに上がってみると、平和通駅がそばにみえる。モノレールの車両が平和通駅の向こう側のポイントで、向かって左側のレールに入り、近づいてくる。以前は平和通駅が小倉駅と名乗っていてそこが始発だったので、平和通の向こう側にポイントがあるのだ。このため0.4キロが未乗になったわけである。
始発列車の次なのに、1両あたり2〜3人の乗車がある。運転席の後ろから前方を眺める。といっても既に次の駅が見えているので特別な感慨はない。でもこのために来たのだからこの時間を大切にしたい。
平和通で下車。0.4キロなので歩いて小倉に戻る。日曜の早朝のためか車や人は少ない。そばで見るとモノレールの橋脚が異様に高く見える。
6:46の813系普通で博多へ向かう。途中の遠賀川で快速に抜かれるが、福岡空港に10:40ごろまでに着けばいいのだから、早く行く必要性はない。日曜の朝、それも快速に抜かれる列車だから、博多到着間際まではすいている。スペースワールドの前で北九州博覧会をやっているのだが、それを見るほどの時間はない。博多には8:19着。さて、ここでも駅のそば屋で朝食をとる。安いかしわそばは肉も入っていて、つゆの味もよく、けっこういける。
地下鉄で福岡空港へ。2駅で250円は割高だと思うのだが、市内中心駅から2駅というのは便利である(宮崎空港だって3駅)。福岡空港駅の改札口を出たところにある案内板はJASカウンターへの矢印が2方向に向いている。どちらに行ったらいいものかと思ったが、いずれにしろ国内線なので間違えてもたいしたことはないだろうと思って出発ロビーへ。ここから札幌へ飛ぶが、これのチケット代は9800円。バースデー割得で10000円、さらにチケットレスで200円引き。通常は44000円だからざっと78%引きの計算になる。これが国内で一番長距離なのかと思ったら、ANAの仙台〜沖縄が一番長い(夏期以外はJALの札幌〜沖縄が最長)。蛇足ではあるがJASは、ノースウェスト航空のワールドパークス(マイレージ)と提携しているのでマイルを加算でき、このマイルはJALやANAのように有効期限がないからいい。
(JASはJALに吸収される形で2004年4月合併完了:注釈追加2005/6)
チェックインを済ませてもまだ時間が余るので、空港内を1周したり、見学デッキで過ごす。見学デッキは無料だ。
乗るのは11:00のJAS961便でマクドネルダグラス(現・ボーイング)MD81だ。この飛行機はエンジンが翼の下ではなく、胴体の後方についている。このため前方の席のほうが静かなので、チェックインカウンターの係員が、前方の席をとってくれた。マクドネルダグラスに乗るのは初めてなのだが、163席の小さい飛行機である。通路を挟んで2列と3列で新幹線のような配置で、A席があるほうが2列である(新幹線はA席があるほうが3列)。しかし窓側席は胴体の丸みで圧迫感があるのは否めない。B747やA340のようなワイドボディ機ならあまり圧迫感はない。
飛行機は17分ほど遅れて離陸。途中で飲み物とお菓子のサービスがあるが、国際線のようなサービスは望むべくもない。でも寝ているだけなのでかまわない。陸地の上を飛ぶ路線なら窓側の楽しみがあるが、ハワイ行きなどに乗ると外を見ていても海ばかりだ。でもこの路線は陸の上を飛んでいる割合が長いようだ。
10分程遅れて13:25ごろ新千歳空港に到着する。国内線、しかも荷物を預けていないので、すばやく行動できる。飛行機が遅れることも考えて、13:48のエアポート137号の指定席券を用意しておいたが、13:33の135号に間に合った。車掌に指定席券を見せて尋ねると、席があいていれば座っていいとのこと。2席あいていたのでそこに座る。作者の指定席券はすでに1回乗変したものなのだが、さらにこれを車内で変更した形になった。規則上乗変は乗車前1回に限っているが、乗車後の変更はこれに含まれないのだ。第一、1本早い列車に客を乗せたってJRからみれば損はない。現場の現実的な判断であろう。
エアポート135号が札幌に着くと同時にトワイライトエクスプレスが23時間の長旅を始めていった。
札幌で列車を降り、そば屋で腹ごしらえ。そのあといしかりライナーで1駅の琴似で下車。地下鉄の琴似は南へ約800m。ここはけっこう店なども多い。
地下鉄の琴似から西へ2駅の宮の沢までが初乗り区間だ。前回会社の旅行で来たときは開通の3日前で苦虫を噛んだものだった。会社の旅行では日程は自分だけでは決められないからしかたがないが。
末端区間なので乗客はまばらだ。札幌の地下鉄はタイヤを使用しているので加速が速い(今回気づいたわけではないけどね)。
宮の沢からはJR駅で一番近い発寒まで歩く。これは予め地図で調べておいたが、一番西側の出口にある地図でもう一度確認。まっすぐ西へ進んで大きな交差点を右へ曲がるだけだ(といっても20分くらいかかる)。エアポートが1本早かったので15分余裕があるのは心理的に楽。途中で雨がポツリポツリ降ってくるが傘をささずに済んだのはラッキー。実は列車に乗ってから本格的に降り始めるのだ。
発寒駅前に郵便局があったので、ATMに立ち寄る。発寒も自動改札だったが、全部に扉がある。係員に青春18きっぷを見せると、リモコンで扉を開けてくれた。こうゆう自動改札の通りかたは初めてである。
手稲でニセコライナーに乗り換え。この時点で雨が降っている。ニセコライナーはキハ150系2両で最初は座れなかった。
蘭島では183系臨時列車とすれ違い。乗客はだんだん減っていき、すきな席に座れるようになった。右側のほうが景色がよさそうなので、右側の2人向かい合わせ席へ。伊達紋別へ行くのに”山線”を通ることもなかろうと思う方もいるかもしれないが、作者は久々にこちらの景色を見ていたいのだ。
倶知安で33分の停車。ホームにそば屋があり、結構繁盛する。このそば屋の営業はこの列車まで。1日に数本しかない駅構内では、これ以上営業しても無意味であろう。ちょうど駅右手でなにかのコンサートらしきものをやっていたので、乗客は暇つぶしに見ていた。
長万部で苫小牧行きに乗り換え。反対方向の森行きも同じホームから出るので注意が必要だ。苫小牧行きはキハ40の1両編成でワンマンだ。乗客は作者のほか2〜3人。途中で降りる人もいるが、乗ってくる人もいるので1人ぽっちになることはなかった。新しいキハ150より古いキハ40のほうが落ち着くから不思議である。この列車で伊達紋別で降りると時間が余りすぎるので、少し先の本輪西まで行って折り返す。
伊達紋別の窓口営業時間は21:50まで。急行はまなすの乗車券は、ここで買おうかということも考えたが、事前に買っておいて正解だった。


◆◆◆ 3日め(7/23) ◆◆◆

はまなすの指定席券は、ムーンライトながらから変更したものだ。ムーンライトながらは品川〜名古屋を別の旅行会社で指定席券を申し込んで両方買えたので、品川〜小田原のをはまなすに変更したのだ。なぜ品川〜小田原かは書かなくてもわかる方が多いだろう。はまなすで青森に着いた後、普通列車だけでも東京に今日たどりつけるが、青森〜野辺地だけ特急はつかりに乗ると、2時間くらい早く着く上に、はまなすも乗り継ぎ割引で安くなる。ただし、乗車券を買う区間が長くなるのでトータル的には440円高くなる(8000 VS 7560)。実は、苫小牧〜仙台のフェリーを利用すると、7800円でしかも仙台には早く着く。これはプランニングの時からわかっていたが、船は天候に左右されやすく、この航路は外洋を通るので船酔いも心配だ。結果的には天候は問題なかったけどね。
伊達紋別の待合室にいたのは作者1人だけ。駅前を歩こうともしたが雨が降っているのでやめた。乗車間際になってからもう1人が友人に見送られてやってきた。
指定席券は座席のドリームカーである。DD51に引かれてやってくる。カーペットカーも連結されている。指定席券を申し込むとき、カーペットカーを頼んだのだが、マルスと格闘してうまく発券できない係員は時刻表を見て「カーペットカーは連結されない日もあります」と書いてあるから連結されてないんですよと言っていた。これは結果的にはウソになったが、次に乗るときは4号車と指定してみよう。
さて、ドリームカーは14系客車なのだが、座席はグリーン車(キロ26と同等)のものだからお徳用ともいえる。念のため車掌にカーペットカーの空きはないか尋ねてみたが満席とのこと。後ろの人も隣の人もいないので、座席を2つともリクライニングさせて寝ることにする。室内灯も減光していたのはGOODだ。
この列車は途中、函館にだけ停車する。朝起きたら後ろに人がいたのは、函館から乗って来た人か? 早朝の青森ではもそば屋や売店が営業している。
乗るのはこの旅唯一の特急はつかりだ。このリニューアルした485系は、新車投入と新幹線延伸でどうなるか。ちなみに4個ついているヘッドライトの中央よりの青白い2個はメタルハライドランプと呼ばれる高照度灯だ。ヘッドライトは前を照らすためにあるのではない、といったら驚くだろうか。正式には前部標識灯という。テールライトは後部標識灯だ。
早朝だから自由席でも楽々座れる。今日は平日だからビジネスマンの姿も目立つ。
野辺地で盛岡行き普通に乗り換え。しばらく南部縦貫鉄道の跡(正式には2001年7月現在は休止中。2002年8月1日廃止)が見える。東北では701系が幅をきかせているので、この先仙台まで701系のロングシートに乗るはめになる。どうせ居眠りしているのだからいいとはいえ、盛岡まで2時間半もあるのにロングシートとはね。この区間は再来年には青春18きっぷでは乗れなくなる予定だし、JASのバースデー割得も30周年記念なので1年だけだろうと思って今回の旅を企画したというわけである(バースデー割得は2002年度も継続された)。
盛岡で一ノ関行きに乗り換え。701系の2両で地元の人たちの乗降を繰り返して走って行く。一ノ関で跨線橋を渡って仙台行きのやはり701系2両編成に乗り換える。この列車は小牛田で2両増結する。松島付近で仙石線と少し併走する。このあたりは仙台周辺なので増結したのに立ち客も大勢いる。
仙台では階段で跨線橋に上がり、西側に歩き、長いエスカレータで降りて仙石線ホームへ向かう。地下道を作れば上がって降りるという非効率なことをしなくてもいいと思うのだが、駅構造の関係なのか、建設費の関係なのか。仙石線に乗るのは1980年夏以来で、その時は103系もどきの72系であった。今回は正真正銘の103系である。次のあおば通りまで1駅で約2分だが、地下なので景色は見えないからホームの様子などを見る。
あおば通りからは列車で仙台に戻ろうかとも思ったが発車が14分後なのと、仙台駅の階段とエスカレータに嫌気がさしたので地下道を歩いて仙台に戻った。
仙台からは常磐線経由で帰ることにした。東北本線経由でも上野に着く時間はほとんど変わらないが、乗り換えが多い上、乗った回数が多いので、常磐線にした。717系のいわき行きは若干立つ人がいるくらいで発車した。3〜4駅で車内はすいてくる。仙台空港鉄道が分岐する予定の名取は工事が進んでいるようには見えなかった
(仙台空港鉄道は2007年3月18日開業した:注釈追加2007/4)。このあといわきで上野行きに乗り換えて、この旅最後の長距離列車の旅が終わる。

◆◆◆ あとがき ◆◆◆

今回の旅で乗った新線は20km。今回はガイドウェイバスの砂田橋〜小幡緑地間以外は片道のみにして、できるだけ経費を減らしてみたが、経費の割には新線の乗車距離が短いのはやむを得ないであろう。札幌の地下鉄など、新さっぽろから乗ったほうがはるかに楽だし、小倉のモノレールも1駅で降りて歩いて戻っている。
仙石線の地下区間などもできれば乗りたいし、神戸や札幌の街も歩きたかったが、新線に乗る旅だと割り切った。いくら観光が目的ではないとはいえ、少し無味乾燥な気がしないでもない。
しかし、これでコンマ数キロ〜数キロだけ残っていた区間はだいぶなくなった。旅はつづくよいつまでも。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください