| 大連埠頭の旅客ターミナルです。
左下に路面電車が見えます。
路面電車や自動車で埠頭に着いた旅行者は、この半円の特徴ある階段を上り、二階に位置する渡り廊下を通って右端にある白く四角い待合室へすすみます。
この第二埠頭ですが、向かって右側のみが旅客用で、反対側は貨物用です。
写真に写っていませんが、第一埠頭が右側にあります。左向こうに第三埠頭が、さらにその向こうに第四埠頭があります。
大連港は防波堤で囲まれた湾で形成、この防波堤内の面積だけで九十五万坪、水深も10メートルを保って作られています。
陸上施設は、多大の工費を投入し全て埋め立てをおこなって建設、埠頭構内面積は七十万坪にもなります。陸上施設には満鉄事務所、水上警察、海務局、税関、運輸事務所を集約しています。
大型桟橋は四つあり、幅は100メートル以上という大掛かりなものです。一度に五千トン級汽船四十隻の横付けが可能。さらに最大二万トンの巨大船も繋留が可能となっています。
さらに、これら埠頭には、すべてに鉄道引込み線が引かれています。
さらに近代的な巨大クレーンを設置した埠頭もあり、荷役の高効率化を図っています。
埠頭にはこのほか、帆を張って進む貨物木造のジャンク船専用の埠頭、大豆油をポンプで積む埠頭も別に設けられています。 |
| |
|
|
| 特徴ある半円形の階段と屋根です。
この半円の階段を上がると黒っぽい屋根の二階にある連絡通路へつながり、待合所につながっています。 |
| |
|
|
| 左右には塀があり、市街地と港湾エリアを分けています。
写真は待合所の半円階段左側を見ています。
塀の内側を馬車が、そして外側の市街地には車が並んで待機しています。乗合自動車(タクシー)と思われます。 |
| |
|
|
| 右側です。
塀の間に入り口があけてあります。
横向きに泊まっている船へ人の流れがあるようにも見えます。
ここは第一埠頭(右上)と第二埠頭(画面の外、左上)の間も桟橋として貨客船が泊まっています。 |
| |
|
|
| 待合室の内部です。
待合室は鉄筋コンクリート作りの建物の二階に設けられ、岸壁側には長さ百十三間( 一間=1.8182メートル )のベランダが設けられていいます。広さも充分で、一度に五千人の旅客及び送迎客を受け入れて尚、余裕があります。
内部の設備も充実、満鉄埠頭先客案内書、汽船会社、銀行の出張所、食堂、娯楽室、化粧室、婦人室、図書室、売店などがあります。
婦人室とは、ご婦人専用に休息などが出来るところです。専用を設けるというのは特徴を感じますが、女性も大いに旅行をしていたとも言えます。
こうした婦人専用は、日本国内では大正時代から大きな施設に設けるのが通例となっており、例えば大正時代に開催された博覧会でも婦人専用休憩室が複数設けられていました。こちら満州でも同じ流れとなったといえます。
さて写真、天井のガラスから光が得られ明るい室内となっています。 |
| |
|
|
| 白い柱と沢山の椅子を配置した、明るい待合室です。
左側、きっぷとあります売店には、柱が邪魔で読みにくいのですが、看板に「ジャパンツーリスト ビューロー」と書いてあります。これは今日のJTBで、戦前から続く、老舗の旅行会社です。 |
| |
|
|
| 先ほどの写真と反対向きに撮影。左側が桟橋と思われます。
和服の女性、子供、かんかん帽の紳士と様々な人が見えます。また皆さん、くつろいでいる様に見えます。 |
| |
|
|
| 日満連絡定期船の大連出港の風景です。
五色のテープが甲板から埠頭船客待合所のベランダに投げられ、見送りの人と船上の人とが互いに最後の別れを惜しんでいます。
図中に見える二つの跨線橋は、汽船と待合所とを繋ぐ移動式跨線橋です。左億にはクレーンが見えます。同じく跨線式です。 |
| |
|
|
| 第二埠頭、旅客埠頭の反対側の倉庫をもつ貨物埠頭です。
引込み線がいくつもしかれているのが見えます。 |
| |
|
|
| こちらも貨物船積み込み風景です。
馬車の上は大豆粕でしょう。
手前に並べられているのは瓶に見えます。 |
| |
|
|
| 近代的なクレーンを配備した埠頭です。
ひときわ高い二つのクレーンは、横方向(岸壁に直角)にスライドできる回転式のクレーンと、その水平のレールの下にも、ぶら下がり式のクレーンを持ちます。
左手前、タグボートと思われます舟が見え、また煙突(白っぽい縦のつつ)に、満鉄のマークが見えます。 |
| |
|
|
| 貨物積み込み風景です。引込み線が二つしかれているのが見えます。
引き込み上の貨車にあるのは石炭と思われます。人力で船に積み込むところでしょう。
当時、貨物船への積み込みは人力に頼って行われていました。また、戦後しばらく1950年代後半まで日本国内でも石炭の積み込みは人力が便りでした。船主にとっては機械をレンタルして積むより、人手の方がコストが安かったのだそうです。
とはいえ勿論、機械化された高効率の石炭積載もあります。日本では明治時代に開発された三池炭坑の快速石炭船積機ダンクロ・ローダーがあります。
こちら大連港でも、カーダンパーと呼ばれる石炭積み込み装置がありました。これは石炭貨車をまるごと船上に抱え挙げて回転させ、石炭を船に積み込むものです。 |
| |
|
|
| ロシア波止場ともいわれる波止場です。
特有の帆を持つジャンクは、大連では殆どこちらに停泊します。
近代的波止場と対照的でもあり、また満州らしい情趣を感じます。 |
| |
|
|
| 満州で生産される豆油は鉄道の貨車(タンク車)で港に運ばれ、そしてタンカーで輸出されます。
こちらの船にはパイプが接続されています。
大連港には、満州国中の豆油が集まりました。また港の東の端には三井の豆油タンクがいくつもありました。 |
| |
|
|
山東移民の大連上陸しな本土より満州への移住民達の上陸 |
| 様々な物資が運び出されている大連ですが、ここへ到着する流れもあります。
移民の流れです。
写真は政情不安定な支那から安定を求めて満州へ到着した人々です。
この様に様々な人の流れが大連港にはありました。
ちなみに、右側向こうを向いている白っぽいズボンの人は、細く束ねた髪を後ろにたらしています。これは辮髪(べんぱつ)と思われます。 |
| |
|