このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




満州写真館 鞍山・昭和鉄工所


                        
鞍山・昭和鉄工所
明治四十一年に満鉄地質調査反により発見された埋蔵量数億トンの鉱脈に作られた鉄工所です。特に丘に鉄石山という地名がついており、これに興味を感じて調査した結果の発見だそうです。
当初鞍山鉄工所として大正6年から事業を開始、満州鉱産物の中の日支合弁で鞍山を中心とした鉄工所を設立しました。大正8年から熔鉱炉の本格運用が始まります。

満州国成立後は、満鉄資本から昭和鉄工に吸収されました。
鞍山から昭和鉄工となった経緯は資料がなく、よくわかりませんでした。
満鉄では、満州国建設にあたり、基幹産業の株を保有しし、投機の対象となるのを避けていました。が、国政と経済の安定に伴い、満鉄は株の積極的な開放の方針を定め、実行しています。例えば、満州電業も当初は満鉄資本で設立、給電網の整備と主要発電所の建築後、株式は一般に売りに出されています。
この鞍山鉄工所も、その流れであったのではと考えます。
昭和鉄工について、一説によると、行動力を伴う頭脳集団を持つ満鉄に対し、この勢力を嫌った日本国内の軍部と財閥の動きがあったとする資料もありますが、詳細は不明です。

さて、画像は砂型に流した銑鉄を、砂型から取り出すため、ハンマーで叩いているところです。
背景に巨大な熔鉱炉が見えます。

採掘風景
こちらは鉱区です。
推定埋蔵量三億トンの鉄鋼を採集して原料にしています。鞍山の鉄鋼は十数か所の鉱区に分かれています。広く散在していた様ですが、当初から年額20万トンの鉄鉱石の産出を得る優良な鉱山でもありました。ただ、含鉄量は良好とは言いがたく、必ずしもこれらの鉱区から採掘される生産費が引き合いにあわず、稼動当初は今後の生産継続に悲観的な意見もありました。

画像は、爆薬を使って山を吹き飛ばしながらの露天掘りです。
もっとも山を崩しながらなので、地面を掘り下げて、という石炭の露天掘りとは違って見えます。

もうひとつ、爆破しながらの採掘風景です。
爆破を終えたところでしょうか、白煙が上がっています。

鉱石積み出し
機械化された積み出し風景です。
この貨車は、上から積んで下から落とすタイプの様です。

鞍山鉱山選鉄所
鉄鋼も、石炭同じく鉱石を選別する施設があります。
石炭と同じく、ベルトコンベアを利用したのではないか、と想像しています。

鞍山製鉄所全景
大平原の中に、製鉄所が見えます。
手前に貨車が見えます。
熔鉱炉、そして鉄鋼工場に立ち並ぶ煙突は、満鉄沿線からも見え、偉観だったそうです。

さて、この鉱区の鉄鉱石は、貧弱なものでした。これは、製鉄を行う上で大きな欠点と言えます。これは最新式の鞍山式磁化還元焙焼法の導入により、この鉱石の欠点は補われます。
これは梅野博士らによる貧鉄鉱の製鉄技術を展開した、日本独自の技術でした。
1920年(大正9年)から満鉄で開発が進められ1922年に特許をえたものです。
貧鉱に高熱を加えて磁鉄鉱に還元して粉砕し、磁鉄鉱のみをマグネットで吸収して純度の高い鉄鉱とするものです。この方法は多量の熱エネルギーが必要になりますが、熱管理のノウハウも培われ、鞍山鉄鉱の運用は成功を収めます。

焼結鉱の運搬
鞍山式磁化還元焙焼法の運用は順調で、年々、増産を果たします。昭和三年には、さらなる大増産を成し遂げます。

骸炭製造所コークス
骸炭とはコークスのことで、コークスは石炭を蒸し焼きにして得られます。
製鉄には欠かせないものです。
原料の石炭は本渓湖と撫順から運び込まれます。
石炭からは可燃性ガスをはじめ、様々な化学物資が副産物として得られますのでで、これらも回収して工業原料として活用します。ここ鞍山でも、副産物回収のシステムを持っていました。
写真は、コークス炉から取り出したコークスをトロッコに積むところです。コークスは出来たてなのでしょうか、水をかけて冷やしているようです。
コークスは製鉄において重要な役割を果たします。熔鉱炉の中で、まずコークスを焼くことにより熱を得、そしてコークスのカーボン(炭素)は還元剤として作用、溶鉱炉内での鉄の酸化を防ぐ働きをします。
鞍山製鉄所の一日のコークス使用量は最大二千一百トンにも及び、そのコークス生産を支えているのがこちらです。

ちなみに手前のトロッコですが、パンタグラフが付いており、電動トロッコであることがわかります。

鞍山製鉄所骸炭所つみだし
別の角度から。
ぱっと見た目で比較しましても、国内最大級の八幡製鉄所並の骸炭所並の大きさに見えます。

骸炭工場の夜景
夜間も忙しく操業する風景です。
キャプションには
『近代文明の情熱の風景としてはぴったり』
とあります。

さて、石炭を蒸し焼きにすることで、様々な副生成物が得られます。これらも様々な工業の材料になります。
鞍山では回収したピッチも出荷、これは燃焼温度が高いことから、金属の溶解にも用いることが出来るもので、遠くヨーロッパにも輸出されました。

改めて、熔鉱炉全景です。

熔鉱炉を近くで見ています。
炉のそばまで引込み線が敷かれています。
機関車や貨車と比較しても、熔鉱炉の大きさがわかります。

溶けた鉄を型へ導く粗鉄
熔鉱を金型に導くところです。
流し込みとよばれる作業で熔鉱炉から取り出された銑鉄(せんてつ)を鋳型へ導いているところです(恐らく砂型と思われます)。
この型の凹部分の見た目の大きさから想像しますに、この型でできた銑鉄の塊は、二人がかりなら人手で運搬できそうなサイズにも見えます。
また型への流し込みは人の手で行われています。溶けた鉄を扱うので、工員は完全防備で作業にあたっているようです。
ここで砂型のまま冷やして、棒状の鉄を得ます。
この銑鉄は、熔鉱炉内でコークスを用いて焼かれて出来ることもあり、炭素含有量が高く、純粋な鉄(Fe)より融点が低い特徴があります。
この銑鉄は純鉄よりも硬い特徴がありますが、衝撃で割れやすいなどから、そのままでは、様々な用途には対応できません。この銑鉄を原料に、様々な用途に合わせた鉄鋼を生産していきます。

昭和鉄工
昭和鉄工に合併してからの風景です。
熔鉱炉から溶けた鉄を取り出しているところです。

昭和鉄工
鋳型に溶けた鉄を入れて、鉄のインゴットを作っているところです。
めらめらと赤い炎が立ち上がっています。

昭和鉄工圧延機
昭和鉄工・鞍山鉄鋼は、鉄工所も併設していました。
写真は鉄の塊を圧延機で伸ばしているところです。
こうして鉄を鍛え、適切なサイズへ加工していきます。
この他にも、板材を作るロール圧延も完備、近代的な鉄鋼製品を作る一連の設備がまとまって運用されていたようです。

昭和鉄工事務所
建設したてでしょうか。まだ手前の広場は砂利が散らばったままです。

昭和鉄工熔鉱炉周辺の工場風景
引込み線が張り巡らされ、いくつもの施設が併設されていたことがわかります。
煙突が立ち並んでいます。
創業時の活気を伺うことができます。

ここ鞍山は、鉄鋼一貫作業を開始した昭和鉄工を中心に鉄鋼王国が出現しました。
1935年当時に進出した大手の名前を挙げてみます。

・満州鋳鋼:
 神戸鉄鋼子会社で資本金五百万、鋳鋼(ちゅうこう)とは 鋳型(いがた)へ溶かした鉄鋼を直接流し込んで製品化します。
・鞍山鋼材:
 日本レール系資本金五百万円、各種レールを生産。
・満洲ロール:
 東京ロール系資本金五百万、圧延ロールを製作。
・住友鋼管:
 資本金一千万、引き抜き工法による鋼鉄菅を生産。
・日満鋼管:
 日本鋼管系、資本金一千万円。
・日本亜鉛鍍:
 原田絹糸資本金五十万で、薄板への亜鉛鍍(めっき)を行います。

鞍山市街地
では、鞍山市の市街地風景です。
広い道路と規格の整った町並み、満州ならではの風景です。

鞍山市街地
さらに街角を。街灯がならんでいます。
右上、紙、文具とあります。そして画面中央左、コドモヤと読めます。子供向けの玩具か被服などが考えられますね。


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