| 鞍山の東数十キロ、撫順の南方に同じく数十キロ離れたところに
本渓湖(ほんけいこ/ペンシーフー)があります。
場所は、朝鮮半島との国境の町、安東から奉天へ伸びる鉄道、安奉線の途中にあり、交通の便の良いところです。
安東から出発しますと、美しい渓谷、山、谷川の佳景を見ながら進んでいきますが、その山々の間に、急に黒々と煙を上げる製鉄所の町へ出ます。
ここは石炭と鉄鉱石が算出する事から高麗人による製鉄が行われていたこともあり、製鉄所として有望な土地でした(今日も、大きな製鉄所が稼動し、付近の公害が問題となっています)。
大正三年、製鉄所の稼動が開始されます。大倉財閥の大倉喜八郎は日支(日中)共同による石炭採掘・製鉄の事業を立ち上げ、本渓湖煤鉄有限公司をはじめとする様々な事業を発展させました。 |
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| 四方を山に囲まれ、真ん中を本渓湖河が流れ、河の東は古くからある満人街、そして西側は炭坑と熔鉱炉が聳え立つ製鉄所があります。
中央左に駅がみえ、右上に煙を吐く鉄工所が見えます。
山に囲まれた土地であることがわかります。
最初、人口二千人ほどの小さな町でしたが、ここに製鉄所が出来てからは、直ぐに人口一万人を数える都市となりました。
さらに市街地建設にも多額の資本が投入され、上水道、下水道を完備、公園学校病院などの施設を揃えた文化都市となりました。
満州国の建国は、単に利益が出る施設を作るだけではなく、同時に文化都市というにふさわしい都市計画が伴っています。 |
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| 製鉄所全体を見渡しています。
石炭と鉄、当時は近代文明の花形でした。
この二大資源を両方兼ね備えた本渓湖は、資源の宝庫といえる場所でもあります。
渓谷を切り開いて近代的重工業設備を備え、大きな生産量を確保しました。
さて画像ですが、中央に小川が、そして右下の方にも建物、道路、電柱、などが見えます。
熔鉱炉は、もうもうと白煙を上げ、周囲も霞んでいます。画面左中央あたり、地面が白く見えます。もしかすると、これは雪で、冬場の撮影では、と考えました。 |
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| 先ほどの画像、左側から右へ向けてみている写真と思われます。また撮影は、先ほどの画像の左上に見えた斜面に上って行っているものと考えます。
画像から、熔鉱炉周辺の様子がわかります。画面手前に引込み線が、その向こう、熔鉱炉脇にも線路がしかれています。 |
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| では、引込み線をクローズアップしてみます。
引込み線に貨車が見えます。このすり鉢状のものは鞍山にもありました、骸炭(コークス)を運ぶものでしょう。 |
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| 熔鉱炉から取り出した溶けた鉄を砂型に導いているところです。
工員は、溝の側で鉄が流れてくるのを待っているようです。
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| これは本渓湖ではありませんが、本渓湖でも、おおよそこうしてトロッコを引き、掘っていたものと思います。
こうして満州には、製鉄で有名なドイツのザールと肩を並べる、東洋のザールと呼ばれるものが稼動していたのです。 |
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| 立派な駅舎が見え、さらに5本の線路が見え、貨車がいくつも待機できることがわかります。鉄道を動脈とする満州国ならではです。 |
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| 満州人の街角です。
道路は車道歩道区別もなく、また舗装もされていないように見えます。
派手で大きな看板を掲げるのが満州風です。
龍が二頭、雄たけびを挙げるように空を飛ぶ勇壮な看板ですが、何屋さんでしょうね。 |
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