| ではここから、軍艦『淀』の乗組員が撮影されたハルピンをご紹介致します。
満州は、国中に多種多様な宗教が集合していました。満州北部には回教の寺院もありました。
そしてハルピンには、白系ロシア人らによるロシア正教が数多くありました。
写真はその中のひとつです。ハルピンに数多くある教会の中でも最大のウクライナ寺院です。
ロシア革命を逃れた白系ロシア人らは、沢山の教会を建てています。これらの中に、ロシア兵を祭るものもありました。兵士として国に殉じた彼らのために、邦人らも訪れたとされます。
撮影された淀の水兵様方も訪問されたのではないでしょうか。 |
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| こちらは中国風の建物です。
推定ですが、以前見かけた軍管区司令部(第四軍管区司令部)の建物に良く似ていますが、私が見た写真は撮影した角度が異なり、一寸、判断が付きません。
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| 松花江の鉄橋です。
橋脚は左側が大きく突き出しており、おそらくこちら左が川上と思われます。松花江は5ヶ月もの間、冬の氷に閉ざされます。が、春先にはこれらの氷が解けてどっと川を下り、ところによってはその氷が河をせきとめて、洪水が起きることもあります。
橋脚は、春先の流氷にも耐える必要が有ると考えられます。橋脚の向かって左側が凸で造られているのは氷除けも兼ねているように考えます。 |
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| 松花江のボート遊び風景です。
冬の厳しさもあって、夏の間は大いにバカンスに勤しんでいました。
ヨットなどボート遊びは、そうしたバカンスからも人気があったようです。 |
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| 当時流行の白いスラックスの日本モダンボーイと
ロシア人らです。
ボート遊びを覗き込んでいるところでしょうか。
若いロシア娘たちの健康美は、さぞまぶしかったものと思われます。
川の向こうには簡単な小屋の様な建物が見えます。また、これは、もしかすると太陽島かもしえません。ハルピン市街地の北側、松花江に浮かぶ島です。今日も観光地ですが、当時も避暑地として人気がありました。 |
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| 水没した民家です。住宅街が水害に見舞われたのでしょう。
写真から考えますに、手前に並んでいます板は、家の塀でしょう。小さな庭は濁った水に水没しています。
そして、屋根の上には夫婦が座っていて、一人は魚釣りをしています。
家は一階部分が窓まで水がきています。この家は、粗末なつくりではありますが、白い壁はペンキが縫ってあり、手入れがなされているように見えます。屋根の左上側、三角になっており、ここは中二階ではないでしょうか。
屋根の上には家具と思われるものもあり、増水に伴い、家具を屋根の上へ避難したのでしょう。 |
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| クローズアップです。
左側は屋根用の窓、小さな煙突が見えます。
洗濯物と思われる衣類が無造作にぶら下げられています。
右側、奥さんの方は諦めムードといいますか、とりあえず、水が引くまではする事が無いといった風に見えます。
旦那さんのほうは、釣りを取り合えず楽しんでいます。
背景遠く、他の家でも屋根の上に批難している人が見えます。
水害と言うと、日本では濁流が一気に押し寄せるイメージがありますが、大陸では遠くで大雨が降るなどしてじわじわ水位が上がるということもあります。もうひとつ春先になると、溶けて流れ始めた多量の水が氷結していた川面の氷を押し流し、この氷がダムを形成して水が溢れるといった水害も発生します。
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| 外輪船が多く見られます。
右側の船は大きな車輪が見えますが、これが回転して船を進めます。
外輪線はスクリュー船より推進に無駄が多く、今日では廃れています。
一方で、安価に作ることが出来るので、満州ではまだまだ多用されていたようです。特にスクリューの場合、スクリューと動力を伝える棒は水面下に配置するため、浸水を止める技術が必要ですが、外輪線ならその心配は要りません。
左側の船も外輪船です。右上の船と同じく、外輪には、水を後ろへ押しやる板が見えません。冬場の使用しないときは外すのでしょう。 |
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| 右下をクローズアップ。
船に沿って氷が切り取られているのがお解かりいただけるでしょうか。さらに氷は船を固定する様に棒状に残されています。
これは氷で船体が押しつぶされないようにするために行われるものです。ただ、こうして氷を切り取っても直ぐに凍ってしまうので、冬の間、継続する必要があります。
写真から氷の厚みもわかりますね。 |
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| 一転して冬の風景です。
女性の後姿でしょうか。
また後援での撮影と想われます。
左側遠くに中国風の屋根を持つ東屋が見えます。 |
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| 市街地を撮影したもので、白系ロシア人の女性が見えます。
歩道と車道が分けられ、鉄筋のビルが見えます。
冬場でしょうか、随分と寒そうです。また路面は白っぽく、凍結しているのかもしれません。 |
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| 駅前のロータリーと、沢山の自動車が見えます。新京や奉天の駅とちがって、駅前に広い広場は無くロータリーが作られています。また自動車はタクシーでしょか。駅舎をでたところにずらりと並んでおり、これも馬車がつめかけていた新京や奉天の駅とは違う印象です。
駅には中央アーチの上に、扇の様な看板が見えます。
写真によってはこれが写っていないものがあります。満州国設立後、しばらくしてから取り付けられたのでしょう。 |
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| 満州は、国中に多種多様な宗教が集合していましたが、ハルピンへ移住した日本人も自らの習慣と宗教を信仰していました。
こちらはお祭りの山車です。
太鼓に三味線が演奏されており、活気が感じられます。
道路は石畳で、整備が行き届いています。歩道では地元満州人の人々が物珍しそうに見ています。 |
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| 秋祭りでしょうか。みこしが勢いよくかけてきます。
秋祭りは五穀の実りを感謝するのが一般ですが、こちら満州でも同じだったのでしょう。
道路は石畳で干そう、中央下あたりにはマンホールも見え、下水などが配置されているものと想像されます。
右手前、犬も興奮しているようです。 |
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| 同じく舗装の行き届いた道路の行列風景です。行列は随分遠くまで続いています。幟の字が判別できず、どういった行列かはわかりませんが、秋祭りか出征かと、いろいろ想像しています。
どうも雨上がりなのか、歩道やその付近は濡れているように見えます。 |
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| ハルピンの街角、交通巡査でしょうか。
人々が行きかい、荷車も見えます。 |
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| 大きな忠魂碑です。
クローズアップは、実はこの写真で初めてみたのですが、非常に背の高い、セメント製です。 |
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| 左下をクローズアップ、洋装の女の子が見えます。
満州で生まれた子でしょうか。戦後、無事に日本に戻れたのでしょうか。 |
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