このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




満州写真館 蘇家屯


                        
満州国の発展は鉄道の発展と共にありました。

そうした鉄道交通を支える拠点はいくつもありましたが、そのなかから蘇家屯を紹介いたします。
南の満州の玄関である大連から伸びる鉄道大動脈にあった交通の要所で、大きな機関車整備操車場がありました。

画像は蘇家屯機関区車庫内です。
画像では暗いこともあってわかりにくいのですが、まず画像に大きく写っている機関車は
台座の上に乗っています。この台座は横にスライドするものです。
機関車はずらりと並んで収められ、格納や引き出しには、このスライドテーブルが横へ動き、機関車を載せたり降ろしたりしているわけです。
またキャプションには「ロシア時代は支線分岐の一小駅であったものが、いまや重要な駅となった。」とあります。

画像左側をクローズアップします。
左上、柱があってよくわかりませんが、ずらりと機関車が並んでいます。

蘇家屯機関区
全景東洋一とキャプションにあります、大きな機関車庫で、何両もの機関車が見えます。
安定した鉄道輸送のために、いくつもの車両を待機させていたものと想像します。

蘇家屯機関区事務所

蘇家屯の給炭システムです(コーリングタワー)。同じデザインのものは満鉄のあちこちの駅にあり、満鉄自慢の巨大なものです。
非常に背が高いことがわかります。このタワーに石炭をためておき、機関車の給炭車に、一気に石炭を搭載するわけです。この駅以外に設置されたコーリングタワーも同じデザインでした。私が見た写真ではいずれも機関車は客車と切り離されてから、このコーリングタワーへ進み石炭を補給しています。

蘇家屯駅
セメント製の駅舎です。
和装の男性が2名見えます。

さらにこの蘇家屯には鉄道枕木の工場がありました。
木材から枕木の切り出しと、クレオソート注入を行っています。

もう一枚、枕木工場です。処理を終えて黒々とした枕木が
数え切れないほど置かれています。

蘇家屯満鉄写真独身寮
満鉄の社員寮です。
独身寮を持つ企業は、戦前から日本国内(いわゆる内地)でも多く有りました。
こちら満州でも満鉄は社員福利厚生として、こうした独身寮を建てていました。
出窓の付いたセメントの建物です。
玄関の上に、散髪屋のくるくる表示があり、
寮内の散髪屋は、一般にも開放されているのか、とも想像しました。

蘇家屯満鉄社員倶楽部
社員クラブです。大きな煙突が印象的です。
これも戦前から国内でも
多く会社の倶楽部ハウスがありました。大手炭坑は大抵、
これをもっています。
こちら満州の満鉄でも各地にクラブハウスがありました。

蘇家屯市昭和どおりより駅を望む
蘇家屯の町並みで蘇家屯の整備された町並みが広がります。
区画整備の行き届いた町並みと、広い道路が印象的です。
道路の正面には蘇家屯駅が見えます右側の看板は、満洲日日新聞支局と書いてあります。その看板の後ろの四角い二階家は、一階部分が広いガラス窓となっています。ショーウィンドウでしょうか。
左側の歩道には、同じく看板があり、質屋貸出と書いてあります。左の角から二番目の白い看板のある家が質屋さんの様です。
鉄筋の駅車、そこから整備された道路が延びる、満州ならではの市街地です。
こうした駅を中心にした都市の区画整理は満州のあちこちにありましたが、蘇家屯の様な地方の小さな都市までそれが徹底していることが伺える写真です。そしてこんな地方都市でも、まるで21世紀の今日の交通量でも問題ないほどの道路の幅、そして街路樹つきで歩道も確保されています。
こうした、駅を中心とした区画と街づくりは、今日の日本では東京都の田園調布駅くらいしかみあたりません(是非、地図検索でご確認ください)。せいぜい、駅前のバスロータリーがある程度です。残念ながら、計画的都市づくりという点では、どうやら日本は満州に劣っているといっていいかもしれません。

さて画像の左上をクローズアップします。
そして、角の二階家の右上、○印がつけられ「私の家です」と書き込みがされていました。
この写真は絵葉書ですが、駅前の大通りに家を構えた方が、内地へ自分の町の絵葉書を送るのにあたり、書き込まれたものと思われます。どうも店舗では見せません。お医者さんか、何かの事務所兼自宅でしょうか。
表通りの近代西洋風の町並みの一等地に、我が家が写っていることは、さぞ、自慢であったものと思われます。


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