| 新京は、満州国の首都です。
長春という古くからある都市に隣接して新しい計各都市が作られました(この配置は奉天に似ています)。
長春の古い町の部分は上から見ると三角形に配置された城壁でできた都市です。この城壁は北門を正門にもち、全体は上から見ると三角形となっています。
ただこの城壁も、一部は土塁だったとする資料があり、奉天ほど立派な城壁ではなかった様です。
この地図では、駅を中心にしたロータリーと区画の整った市街地が見えますが、しかし市街地は未だ小さい状態です。
満州国設立後、さらに広く整理された区画の市街地は広がりをみせます。
この新たな都市が作られた場所は、かつては高粱畑がところどころにあるだけの荒れ野でした。またこの付近は雨が降ると泥濘が出来て、それは馬が泥に溺れこともあるほどで、交通が麻痺してしまったそうです。
そんな荒れ野に、壮大な計画都市の建設が始まりました。
画像は、長春の地図です。
ただ、実は新京の地図としましては、左上、区画の整った市街地がさらに広いものがあります。
ネットに掲載されている方もおられますので、検索の上、ご覧になることをお勧めします。
これよりもさらに区画の整った市街地が広がっており、驚かれることと存じます。 |
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| 新京の巨大なロータリー付近の整備を進めている途中の状態を捉えた写真です。
左下から右上へ斜めに白い道路が見えます。そして画面の下の右から左へ同じく道路があり、この道路は円弧を描いており、ロータリーを形成しつつあります。
早速、遠くでは建物が建設されつつありますが、ほとんどが未だ整地を進めている状態です。
平らな土地が、整地されていく様子がわかります。
まず、道路を作り、区画を作って整地していくわけです。
ちなみに、この道路を張り巡らすにあたり、昔からある祠が丁度、道路の建設予定の線上にあり、道路がこの祠を避けた箇所があります。道路の位置をずらしてこの祠があるところはグリーンベルトにして、地元の人がお参りに行ける様にしています。
昔から土木工事は古い井戸や古い祠に対し、畏怖をもって接しますが、こちら満州でも同じであることは興味深く感じます。 |
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| 完成したロータリーです。
奉天のそれよりも一回り大きく見えます。ビルディング、緑に囲まれた円形の道路が見えます。
道路が如何に大きなものであるかがお解かりいただけると思います。
満州国は国作りにおいて鉄道を敷き、飛躍的発展をしました。
都市計画においても道路を整備することで、ご覧の大きな都市が出来上がっています。
このロータリーは一周が一キロメートルもあったそうです。この一周一キロメートルを元に単純計算しますと、このロータリーの面積は7万9千平方メートルを越え、東京ドームが、まるごとすっぽり入ってしまいます。
(東京ドームは46,755 m2/参考http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/shisetu/01.htm) |
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| では新京市街地を見て回りましょう。
まずは駅から。これが撮影されたときは未だ長春駅と呼ばれていました。
駅前は広い広場になっていて、馬車が整然と並んでいます。長春駅前にバスが三台とまっております。
このバスはアメリカ製トラックをベースにしたものです。
ベースとなりましたものはFord Model-T_Pickup Truckで、このトラックは日本に1923年に導入、そのきっかけは関東大震災で壊滅した東京市電の代替用として米・フォード社から輸入されたものだそうです。日本には800台が輸入、当時は「円太郎バス」と呼ばれました。
当時からアメリカの自動車の信頼性が高かったのでしょう。こちら満州でも導入されています。
満州国設立後に新京駅と改名した頃、駅舎の広場側に庇が増設されるなど若干の改修がなされており、これは満州国設立後の撮影かどうかの識別点です。 |
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| 完成した市街地を見てみます。
まず駅前から。
大きな円弧を描くロータリーが見え、バスが疾走しています。
奥方向へ道路が延びており、ビルが遠くへ並んでいるのがわかります。
バス、左上に鉄筋の塔が見えます。恐らく垂れ幕をぶら下げるものでしょう |
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| 大通りに沿って出来た大同大街です。道路の幅は70メートルから100メートルもありました。
また、ご覧の通り電柱がありません。これは全て地下に配線を埋めた為で、表通りはすべて電柱をなくしていました。実にすっきりした町並みとなっています。
先の駅前の写真も電柱はまったく見当たりません。
街路樹やホテルのにわにあるライラックが美しく咲いたそうで、町全体が公園の様に美しかったとか。さらに六月には街路樹の揚柳が綿のような花が咲いたそうで、まさに楽土の首都に相応しい風景であったそうです。
このほか、上下水道が整備、この点でも日本の地方都市よりはるかに進んでいます。
また新京は多くの百貨店がある一大消費都市でもありました。
正面にあるのも百貨店で、三中井(みなかい)です。
垂れ幕があり、左側はコドモ乗物大会と読めます。三輪車や乳母車などの特売でしょうか。右側は「本日ハ自粛哀悼日」とあり、慰霊など何らかの記念日であったものと思われます。屋上には丸い電燈、木が見えます。 |
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| 三中井(みなかい)は京城(現在のソウル)に本店を持つデパートチェーンで、半島から満州にいくつも支店を持ち、新京にも作られました。
京城でも満州でも大繁盛しており、消費文化の盛り上がりとなりました。
三中井は店員に語学の堪能なものをそろえたという特徴があったそうです(ハングル、中国語)。
これは、三中井が現地に住む市民に広く支持された要因でもあります。そして京城他、半島には12店舗を展開、各都市で消費者文化を盛り上げました。こうした消費は流行を生み、モダンボーイ化した半島の青年達を描いた漫画が、当時の新聞に載ったりしました。
満州にも3店舗あったそうです(新京、奉天、大連)。
こちらに紹介しますのは三中井の広告です。新京の三中井は五階建てですが、六階催事場と記載があり、新京のものではなさそうです。一方で京城本店は地上六階との資料があり、この広告は京城のものでは、と思います。
『内地各県からわざわざ寄せられた地方色ゆたかな郷土人形ほか、微笑ましい童心の世界へ還るこれは懐郷の展覧会です。
お子たち連れで、ぜひ一度』
内地とは日本国内のことです。国内から様々商品を取り寄せたのでしょう。
取り寄せた、といえば、新京の百貨店で、アメリカ製のセルロイド人形も売られていたという話もあります。 |
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| 同じく大同大街の先ほどの三中井の右側に見えた建物を見ています。これは康徳会館です。
さらにその右は日本毛織ビルです。ビルの角にカーブを持たせた凝ったデザインです。
屋上には突起があります。
さて新京は国都(首都)であったことから、壮大な建設計画が立てられました。まずその第一歩として、街路網の製作から着手されました。
街路の幅を幹線、支線、補助線に分け、幹線と支線はすべて車道と歩道を設けます。そして間に並木を植えるものでした。
写真は冬場の大同大街、道路は凍て付いていてわかりませんが、幹線道路と新舗装の美観をご覧ください。 |
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| 町並みをさらに見てみます。写真のキャプションから。
『中央通は新京駅前から市の中央を一直線に走り、やがて大同大街となり、南嶺まで伸びている
市の大動脈である。写真は駅前から望む明朗なその街観である。』
とあり、主幹をなす道路として配置されていたようです。
はるか遠くまで、まっすぐに伸びる舗装された道路が見え、両側は街路樹が植えられています。
こちらも街灯はありますが、電柱はありません。
画面左側、遠くからすその長い人が歩いてきており満州の服装と思われます。
さらに手前の木の左側、中学生くらいでしょうか、学生が駆けてくるのが見えます。 |
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| 写真のキャプションから。
『満州国の首都として、考案の力強き歩みに参加する大新京の根幹道路、アカシヤの並木の緑も人の心を誘う興安大路は新しい街のメインストリートのひとつである。
豊かに取られた道幅とその両側に井然と立ち並ぶ商店街の洗練された美しさ、新しき街、新京の建設は共存共栄の旗の元に、一日位置にと進められてゆく。』
鉄筋の建物が立ち並んでいます。立看板も見え、盛況ぶりが伺えます。こちらの写真でも、電柱は一本も見当たりません。大通りは電線を全て地下に配置しており、この写真からもすっきりした町並みとなっていることがわかります。 |
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| ロータリーの周りを、馬車、そして何台ものバスが通っています。
計画的に作られた区画は、路地も車がゆうゆうとすれ違うことが出来た、という資料があり、こちらのロータリーから伸びる道路も、すべてバスが悠々と通る幅です。
また等間隔にたくさんの街灯が見えます。
右上へ延びる路地に電柱が見えます。ただ、注目したいのは、この路地の電柱はこの路地のみです。ロータリーにも、左上の道路にも電柱は見えません。つまり、この路地から手前から地下へもぐっているものと思われます。 |
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| 右側、看板は「電業の店」とあります。
上には特徴有るマークが見え、これは満州電業のマークです。
満州電業とは、満州の電化を進めた会社で、設立当初は株が投機の対象とならない様、国が管理していました。繁盛しているのか、自転車がたくさん停めてあります。
この電業の店の前の電柱、黒に白文字で、鹿谷総合歯科と読めます。
その左隣の建物は、立派な柱がいくつもある建物が、さらにその向こうは大きなガラス窓を持つ建物です。
向かって左側の建物は、何らかの会社か大型店舗でしょうか。
二階部分の窓の横、濃い部分の文字は「金」と読めます。一階部分は大きな窓があり、なんらかの店舗か、会社の事務所ビルと思われます。また、想像ですが、"金"とありますのが名前であるとしますと、半島の出身者のビルかもしれません。
道路、こちらも街灯が等間隔にあります。また、電柱があり、道路をまたいで電線が通っています。 |
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| さらに市街地を。
満州人街大馬路です。左、大きな鉄筋のビルが見えます。道路はバスに自動車に、そして馬車がぎっしりと通っています。
右上、スタンプは、左から右へ読むと新京駅売店と書いてあります。
当時、右から書く場合と左から書く場合とは混在していました。
下に1337とあり、昭和13年3月7日にスタンプが押されたものと思われます。
上の文字も、この数字の向きに合わせたものと思われます。
ちなみに、新京駅売店の文字の上には、如何にも満州といった建物が、そして下には、かすれてしまっていますが、アジア号が描かれています。
左端はごちゃごちゃと看板があり、また胃活、注射徳国とあり、薬屋さんの様です。横向きに、右から読むとノホノール、アドースとあります。いずれも、日本製の薬です。アドース錠は糖衣錠でしたが、何に利く薬かまでは資料が無く、未確認です。
この薬屋の直ぐ右に見える電柱はクローズアップしてみますと大挙歯科医院と読めました。 |
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| 大きな鉄筋ビルが見えます。
一階部分の大きなガラス窓、垂れ下がる大きな看板が見え、百貨店の様です。
こちらも通りを馬車や人通りが埋め尽くしています。 |
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| 商店街か、代償の看板がギッシリ見えます。
道幅は、バスでも悠々スレ違える道幅があります。
また、道路の中央が盛り上がっていて、雨などは両側へながれるようです。
こちら小さいとおりになると、電柱が通っているようです。
さて馬車が向こうへ向かっていますが、その後ろ側、ナンバープレートが見えますでしょうか。満州では馬車には車税がかけられており、個人でも馬車の税金が必要でした。
また法人(営業用)の方が安く設定してありました。ナンバープレートを支給される際、個人か法人かを同時に申請します。 |
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