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満州写真館 満州産業その2



                        
放牧風景
満州はホロンバイル(満州国北西部)での撮影です。
なだらかな丘陵地帯、そして極寒の地です。
ここは、牧畜が主流でした。
また水は川や池で得られ、水量は豊富でしたが、ほとんどが丘陵地帯であったため、偏在していました。
画像では馬、牛が見えます。

従来より家畜と共に生活してきた支那(当時の中国)の地域の地元民は、家畜を財産として大切にする一方で、特に品種改良されることもなく、旧来の方法どおり"粗飼い"されていました。結果、一般に欧米での品種に比べて遜色がありました。ただ従順な性質の家畜が多かったといわれます。

飼われている家畜は、豚が特に多く、家畜全体の半数以上を占めていました。豚以外の家畜(牛、馬、騾馬、驢馬、羊)の合計の数が、豚だけの数に等しかったとのことです。
豚は食用にするものです。この他に農耕や運搬に使役する為に産地の多い地方では牛が多く、さらに平野部では馬や騾馬(らば)が多く飼われていました。
西部の蒙古草原地帯は一大牧畜地帯で、家畜の大半はここに産しています。
当時の統計で、牛百七十万頭、羊役三百十万頭、豚役五百四十万頭にも上る数でした。
画像は満州南西部、熱河地方での羊の放牧風景です。遠くに今日も残る大きな寺が見えます。

画像は奉天近くの満州人農家で、こちらでは立派な牛舎が見えます。
さて満州国の対日輸出は大豆、豆粕がトップですが、これに次いで飼料も輸出されていました。
いわゆる混合飼料で、そのまま家畜が食べる事のできるものです。
大豆も豆粕も一部は飼料になりますし、飼料も大量に日本へ輸出されています。満州の農業の発展は、日本国内の畜産にも貢献したものと考えます。
ちなみに農産物の対日輸出の多い順は1935年当時、大豆、豆粕、混合飼料、小豆、包米でした。
この包米ですが、いわゆるトウモロコシです。現在の中国語では玉米といい、包米は昔の言い方、あるいは北方・満州の言い方です。

混合飼料の対日輸出は、目覚しく増えたとの報道があります。日本国内の畜産が、満州の農産物に支えられ、急速に発達したとも考えられます。
混合資料は包米を六割、これに豆粕、高粱、カキ殻等を配合したものです。
対日輸出では包米だけでも第五位を占めるほどで、包米の対日輸出は混合飼料の需要激増も加わって飛躍的に増えたことになります。

乳牛舎内部
画像は農事試験場の公主嶺での撮影で、極寒の満州での牧畜の研究も行われていました。
満州国設立後、牧畜も発展、特にホルスタイン種の導入で、牛乳の生産も盛んになったとする資料があります。

原始林の静寂を破る官行研伐
『満州全土の一割七部を占める広大な森林は、木材の産出、そして四つの在満パルプ工場にとって有望なパルプ資源であり、さらに木炭の生産も盛んである。
樹木は紅松、魚燐松、楡、白樺などがある。』

さて、画像ですが、周辺の木々は特に手入れがなされている様にもなく、
自然そのままの山であることがわかります。
木材の研究のための伐採です。

吉林奥地の山土場
伐採された木材は、すぐ大まかな加工をして、一定の場所へ集積されます。
ここから水運、または陸運によって搬出され、さらに需要の有る場所へ送られます。
吉林、長春、瀋陽、大連、そして日本へおくり出されます。
この吉林地方での年間生産学は80万石に至るとの資料があります(1石は、材木の体積を表すときには、1石=10立方尺(約278リットル)。

林場から鉄道沿線へ橇(そり)輸送
黄松旬にて、冬場、あたりが白く凍り付いている中、太い木材が、橇で運ばれてきます。

鴨緑江の筏集積地
こちらは水運による搬出です。特徴としては船を用いるのではなく、木材を筏に組んで河を流す手段です。
伐採した木材を筏に組み、流れに任せて運搬してきたところです。
鴨緑江の上流、百数十里から安東県を目指していかだを流し、これは三ヶ月程度もかかります。
そこで、運搬にあたっては、筏の上に小屋を立てて、そこに妻子と共に住み、豚や鶏を飼って悠々と流れ下っていきます。
安東県へ到着したときの喜びも格別であろうと思われます。

1里:4キロメートルとして、工程は百数十里とあり、六百キロ以上を流れに乗ってのんびり下ってくるわけです。

洋々たり鴨緑江の流れ
流れ着いた木材の筏が集結しているところです。
春先の風物詩なのでしょうか。キャプションより
『久しく堅氷にとざされ厳氷に虐げられていた国境の天地も柔らかな清流となる。
家付きのいかだがその流れに漂い鴨緑江節密集した筏は、村落のよう。』

鴨緑江の流域にも松花江、そして松花江の最大の支流である牡丹江(ぼたんこう、ムータンチャン)にも林業やパルプ工場が栄えました。
1936年に牡丹江の樺林に資本金一千万を投入しパルプ一万トンを生産する大規模パルプ工場が作られました。
このほか、東満パルプ、満洲パルプ、大同工業などが1936年に五カ年計画でそれぞれ一万五千トンのパルプ生産を目指しました。

一方で、同じ1936年には建築ラッシュがあり、過半数がレンガ造りだとする資料もありますが、当然、林業の需要が大きくあったものと考えます。

筏を櫂(かい)でこいでいるところです。
家が乗っている筏だけ、単独で動くみたいです。
キャプションには
『白頭山の大密林から流す筏は1ヶ月もかかって
新義州にたどり着く。だから筏のうえにはバラックが建ち
豚や鶏さえ飼っているのだ。』
とあります。

満州は林業大国でしたし、それを支えていたのは、実はこうした川の流れに乗ってのんびり運ばれた材木というのは、面白く感じます。
また満州ではベニヤ合板も大量に生産していました。当時、大陸科学院(満州国の、産業育成発展に設置された科学分野の研究機関所)にて木材を使った飛行機の研究が進んでいました。また、グライダー教材で採用が始まっており、実用化は始まっていました。

漁業
満州は大陸ですが、水産は盛んでした。
まず南部、海に面しているところでの水産の風景です。
引き上げた網にはたっぷりと魚が水揚げされています。
黄海、渤海に面した関東州(大連、旅順のある南部朝鮮半島の西側))沿岸は回遊魚の要路で、いたるところで魚が豊富でした。

河氷の下に引き網を曳く冬季漁業、獲れた淡水魚はたちまち天然の冷凍魚となる。
氷を割り、魚を獲っているところです。

鏡泊湖での撮影で、ここは日本人の漁業開拓団が入ったところでもあります。
こうした湖や河での淡水魚の漁業が盛んなことも満州ならではです。

この他、松花江、黒龍江など大きな河は濁流ながら水量豊富で、水力発電の利用のほか鱒、鮭、チョウザメをはじめ、川のマグロといわれるタイメンなど、淡水魚による漁業が豊富で、年産額は七百万円にもなりました。
1メートル級の様々な魚が水揚げされ、冬場には特に貴重な蛋白源でした。獲れた魚は冬場の寒気にあたり、瞬時に凍ってしまいます。
冬の満州は寒く、氷の下でじっとしている魚を一気に引きあげると、魚は水から跳ねた姿で凍ってしまったそうです。

また北部満州(チチハル)で、凍りついた、1メートルはあろうかという鯰(なまず)を何匹も載せた手押し車の行商を見た話があります。一家でも一匹は食べきれないほどの大きさで、行商人はのこぎりでひいて切り売りしていたそうです。

塩田
関東州(南部)沿岸では海水の天日塩の生産が盛んでした。
広々と広がる塩田です。あぜ道にみえるのは二人がかりで天秤棒を担いでいる姿です。塩が満載なのでしょう。
手前、横に線路が配置されています。引込み線と思われます。

塩田において、析出しつつある塩を集めているところです。
塩は国民の生活にも密着したものであることから自給自足できることが重要な産業の目標でした。
塩田が発展してから満州での年間の塩の産出量は日本の1.5倍、十四億斤の年産を達成、結果、満州国の塩の消費を自国で賄うことが出来るほか、化学産業の原料にも活用されるほどとなりました。

満州のセメント
満州の南部、関東州では石灰石や粘土が豊富にありセメント工業が盛んでした。
写真は大連のコンクリートブロックを造っている工場です。
日本からは小野田セメントなどが進出しています。

金属加工を行うパンチングマシン(punching machine)
大きなはずみ車のついたパンチングマシンで、ここから縦方向のピストン運動を導き、板金類の加工を行います。金属板への穴あけから折り曲げ、押し出しなど行います。
この装置はその工程と思われ、はずみ車でパンチ治具を作動させている様です。
電機工業もいくつも出来ました。真空管やラジオ工場で女性工員が大いに進出しています。

大連ガラス
大連でのガラス工場の風景です。
大勢の職工が働いています。工員の服装、靴は、支那(当時の中国)のものです。
ガラスを溶かし、吹いて膨らまし、形を整えています。
電気の普及、交通の発展は様々な産業の活性化を促しました。
こちら、伝統的ガラス工場も、大いに盛況であったとのことです。

満州の発展
満州国設立後からわずか5年のあいだに
砂糖は135万トンから200万トン、食塩は380満トンから750万トンへ。
日本の投資は175,000万円から715,000万円へ
銀行貯金は27,100万円から185964.6万円
郵便貯金は20.3万円から21,785万円へ
とそれぞれ増額しています。


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