| 左上にエキスカベーターが地面を剥ぎ取っています。
そして画面中央から右に2台ありますのは縦方向にボーリングをしているところです。この竪穴にダイナマイトを入れ、地面を砕きます。その砕いた地面をパワーショベルで掘り下げ、炭層へたどり着きます。
既に紹介しておりますとおり、そしてご覧の写真でお分かりの通り、撫順は大掛かりな機材を投入した大規模炭鉱です。 |
| |
|
|
一日の出炭、一万噸(トン)
東洋一の大竪坑
龍鳳採炭所 |
| 撫順は満州国当時で既に世界最大級の露天掘りを行っていました。そして、縦坑もあり、世界最大のワイディングタワー形縦坑櫓である龍鳳採炭所もありました。
ところが、鉱区を一歩はなれると、緑豊かな住宅街が広がっていました。都市計画の上で造られた市街地からは離れており、撫順市街地だけに居ると、炭鉱の雰囲気、つまり炭都であることすらわからないくらい、モダンで静かな都市だったそうです。
こちらのページでは撫順の市街地、特に住宅地の画像を紹介いたします。昭和30年代の東京新興住宅街と言っても通用する様な、整った町並みです。
満鉄は社員の福利厚生として社宅など生活環境整備にも力を入れましたが、それらが写真から読み取れます。新しい国、満州ならではの試みとも言えます。 |
| |
|
|
| 緑豊かな通りです。いくつ物種類の木が植えられているように見えます。 |
| |
|
|
| 満鉄社員は、その技術力を、大いに誇りにしていたようです。
また、こうした社宅の街並みも、彼らの誇りであったものと考えます。 |
| |
|
|
| 庭は白く、雪が降っているようです。中央に玄関が4つある、一棟4世帯です。 |
| |
|
|
| 庭付き住宅です。
庭にはブランコ、鉄棒があります。犬も見えます。 |
| |
|
|
| 満鉄社内報から、当時の社宅について書かれたものを引用します。
『撫順社宅街は、全満各地に比し最も整備されたる物と家族社宅4500戸、独身寮27棟、社員および家族三万人におよび社宅内諸施設に暖房はスチームラヂエーターを使用し、各所に共同浴場に洗濯場の設備もあり、大いに家族の利便に供せられ、その他、クラブ、児童遊園地も完備している。』 |
| |
|
|
| 遠くに見えるのは、撫永安小学校小学校です。この角度からでは見えにくいのですが、校舎の手前を横切るように、通勤通学用の市内電車が通っています。この小学校は別途絵葉書を入手しておりますので、掲載してまいります。 |
| |
|
|
| 順番が前後しましたが、四枚前の新南台町社宅と同じ場所での撮影で、右側に見える建物です。
モダンな印象の建物で、左右に玄関があることで判りますとおり、一棟あたり二世帯が住むことが出来ます。綺麗に手入れの行き届いた庭が見えます。 |
| | | |
|
|
|
|
|
|
| 三階建て鉄筋が並びます。
煙突は、それらしき小さな突起が見えるくらいです。これは想像ですが、全館暖房のシステムがあり、そのために個々の世帯にストーブを設ける必要がなくなり大きな煙突は無いのではないでしょうか。 |
| |
|
|
|
|
|
|
| 満鉄社宅ですが、撫順のものを多く見つけることが出来ました。きっと、もっと沢山の写真が撮影されたのだと思います。そしてそれは撮影者がこの街並みに愛着を感じたからと思っています。 |
| |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 広々となだらかな山々を背景に社宅が見えます。
公園から見下ろしたところです。 |
| |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
| 以上、こちらの頁では、計画都市撫順の街並みと、満鉄社宅を見てまいりました。
撫順その4では、この続きとしまして出勤風景、独身寮などを見てまいります。 |
| |
|