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| 北満、満州里の近くにあるジャライノールにある炭鉱です。
露天掘り炭鉱ですが、手掘りで、これといった機械は導入されていないようです。
『 東支鉄道西部線札賚諾爾駅の西北4キロの地にある露天掘り炭鉱である。所在は黒龍江省にある。操業権は東支鉄道会社の手にある。
会社は特定人に一定の期間、全採掘権を興えて経営させている。炭質は火力は低温であるが暖房用には好適。 』 |
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| 画面左上をクローズアップしています。
上側が平らの起伏が見えますが、もしかするとボタ山でしょうか。またこれが一部白くなっており、雪では、と想像します。
画面右上、遠くまで建物も起伏も見えない、地平線が見えます。 |
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| 細工具部分をクローズアップ、工夫と、馬車を引く馬が見えます。
今日も現役の札賚諾爾 (ジャライノール)炭鉱ですが、機械が活動し、露天掘りの内側を機関車が蒸気を噴き上げながら走っている、 巨大な炭鉱です。
が、黎明期は、こうした手彫りののんびりした作業現場であったことがわかります。 |
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| もうひとつ、採掘部分をクローズアップ。馬に引かれた馬車、採掘部分は段差を削り落としていることがわかります。
地層がいくつか見えます。
斜面ですが、石炭が露出しているのかは不明です (石炭は、もっと黒々と写るのでは、と思います)。 |
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| 場所を地図で示します。満州里の右下(線路のそば)に鉱山のマークがあり、これが札賚諾爾炭鉱です。
満州国時代には、引込み線が出来ておりますが、地図では省略されています。
さて、この地は古くから地下資源への期待があり、日本人技術者も地質調査を行っています。
『 滿州國興安北省海拉爾附近及札賚諾爾炭田の地質に就て 』
にて、論文のpdfがダウンロードできますので紹介いたします。
また石油の探索も行われました。これは別頁で紹介しております阜新と平行して行われたようですが、札賚諾爾では石油は見つからなかったようです。
さて前述しましたが、今日、巨大な露天掘りに発展しているこの札賚諾爾 炭鉱は、巨大な蒸気機関車が現役で働いている機関車の聖地としても有名です。
『ジャライノール 炭鉱』
あるいは
『ジャライノール 炭鉱鉄道 露天掘り炭鉱』
で検索をしてみてください。
現地を訪問された方が、スケール感たっぷりの上手な写真を掲載されています。 |
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| では、もうひとつ、地方炭鉱を。
『 煙台は炭田は、無煙炭をだすので知られている。満鉄本線煙台駅の東11キロにあって満鉄の支線を通ず。 』
煙台炭鉱は、良質の石炭を産出する炭鉱で、本渓湖の製鉄所でも、この石炭を使用していました。鉄道も支線が設けられています。
煙台炭鉱はは、明治時代から採掘されている古いもので、満鉄会社が継承して採炭していました。また、あまり規模の大きな炭鉱ではなかったようです。煙台では年間15万トン ( 昭和初頭 )の産出でした ( 撫順では一日あたり二万トン、年間で一千万トンの産出)。
農閑期の地元民が冬場の仕事として炭鉱に来ていた、というのんびりした時代もあったようです。
さて、煙台炭鉱の写真ですが、閑散とした印象があります。
日本の炭鉱の写真では、横坑道へ繋がる斜坑や巻き上げ機を収める建屋、行き来するトロッコ、など、ぎっしりと写っているのが普通で、対照的です。
また、日本の炭鉱では大きな煙突が名物です。石炭を焚いて各種動力や発電用ボイラーを駆動させる為です。
が、こちらの写真はそれらしい煙突も見えません。
満州国設立後、この煙台炭鉱にも大きな煙突がいくつか立っていますので、近代化に伴い、機械化は進んだものと思われます。
またここ、煙台炭鉱は、横坑です。つまり水平方向に掘り進んでいくものです。
こちらの写真を見る限り、どこが坑道かがわかりません。段差があるところに穴を掘っている様子もなく、写真を見るだけでは炭鉱には見えません。
もしかすると、この写真は、高いところから見下ろしている、つまり高い位置に居て撮影しているため、この足元に坑道の入り口があり、死角になって写っていないのかもしれない、と想像します。 |
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| 左側をクローズアップ。
掘られた石炭も、ボタらしきものも見えず、人影もありません。 |
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| 画面中央から右側をクローズアップ。
巻き上げウィンチらしきものも見えず、坑道らしきも者も見当たりません。
大きな煙突もなく、大掛かりな動力は未だ導入されていないことがわかります。
左上から斜め飢え方向へトロッコ軌道と思われるものが写っています。 |
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| 場所を地図で示します。
煙台(赤色)から右下方向へ伸びているのが支線と思われます。 |
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