| 今日、JTBの名で知られます旅行会社の歴史は古く、1912年に外国人観光客誘客促進を目的として組織されました。このときから「ジャパン・ツーリスト・ビューロー(Japan Tourist Bureau、略称:JTB)」という名前です(今日のJTBは、様々、統廃合されている様で、これはウィキペディアに詳しく記載されています)。
このジャパン・ツーリスト・ビューローはかつて満州旅行にも業務を展開、その実力を遺憾なく発揮していました。
ビューローは、満州の各地で旅行者の案内を務めていました。
満州国時代のジャパン・ツーリスト・ビューローの業務案内を見つけましたので、こちらに紹介いたします。 |
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| 『 旅行斡旋機関としてのツーリスト・ビューローは日本では 「日本旅行協会」、満州では 「日本国際観光局」 と呼ばれ、これを利用する旅客は最近一年間に七百万人を超え、最近東亜旅行会の異常なる飛躍期に際会せる満洲方面の利用者はさらに加速度的なる増加を示している。近代交通機関の発達に伴って、旅行は便利になった反面、益々複雑になってきたが、旅立つに当たっては誰しも先ず愉快で、安心で、便利で、経済的で、無駄の無い旅行を、と考えるのであり、これらはビューローを利用することによって最も簡単に解決出来得るからである。
即ちビューローは旅行に関する公益の斡旋機関であって公衆から見れば鉄道、汽船、航空及至自動車会社などの営業所が総合して設けられているのと同様な組織であり、乗車船券の発売はもとより、到着地の旅館、乗り物、見物の世話までやり、いずれも全く手数料を要さぬ仕組みとなっている。
ビューローの仕事の概略を示せば、大体、次のごときものであるが、各地の案内書では、みな新設、丁寧、敏速を建前とし旅行者が満足のいくように取り計らっている。
一、内外主要交通機関の切符売買
鉄道、汽船、航空、自動車、ホテルなどの切符売買で、その他交通機関の出札とほとんど同じ仕事をし、
さらにいつでも旅客の求めに応じる。
二、急行券。・寝台券の取り扱い
売買及び予約もする。
三、乗車船券類の配達
主要都市では電話にて申し込めば、自宅迄、無料で配達する。
四、旅行日程、旅費概算の作成
希望に応じその旅行に最も有効で経済的な日程、概算を作る。
五、団体旅行、請負旅行の引き受け
団体旅行に就いての一切の手配はもちろん道の地方や旅行に経験のない者のために請け負い旅行の
態で、乗り物・ホテル・視察等、一切の世話もする。
六、旅行保険の引き受け
不時の災害に際して、幾分でも損害を軽くするために、低廉な料金で損害並みに手荷物保険を取り扱う。
七、遊覧券・旅館券、旅行小切手の発行
八、旅行上の広報
旅行案内記、地図、絵葉書、時間表、雑誌などを発行する。
尚、これまでの習慣でいえば、汽車なら液、船なら船会社といったように切符は別々に売るもの買うものという考えが未だに残っているようだが、それは既に昔のことであって、今では汽車や汽船はもちろん、旅館の宿泊料から食堂車内の支払いまでが一綴りの切符になって売り出されている。
これを利用すれば、旅先で忙しい思いをして切符を買ったり宿泊料を支払う手数料が省けるばかりでなく、運賃割引の得点さえ付いている。
その他、料金前払いにて気安く旅行の出来る特殊切符は、悉く(ことごとく)ビューロー各案内書で
取り扱っているが、その主なるものを挙ぐれば次のとおりである。
一、東亜遊覧券
日満支に亘り(わたり)、各乗車券を一冊に綴り込んだもので、経路が自由に選択でき、鉄道二割引、
汽船一割引、通用三ヶ月。
二、内鮮満周遊券
経路は第一から第十五まであり、自由に選択できる。
鉄道二割引、汽船一割引、通用二ヶ月。
三、内鮮満往復券
陸路朝鮮経由、大阪商船大連航路経由、日本汽船朝鮮航路経由、日本郵船大連鹿児島港路経由の
四種類あり。
帰路も同一路によるもので、鉄道二割引、汽船一割引、通用二ヶ月。
四、船車連絡切符
汽車・汽船と切符を分けて買う手間の省けるはもちろん、手荷物も自分で積み替える手数が要らない。
通用片道一ヶ月。
五、旅館券
施設やサーヴイス(サービス)の良い旅館を選んで指定し、その旅館相当の料金を決めて、出発前
ビューローに宿泊料を振り込む方法で、茶代を置く心配もない。
六、旅行券
満鉄線の切符類一切、列車食堂、駅構内食堂、満鉄直営ホテル等の料金支払いに使用することが出来、
三円、五円、十円券の三種類有り。
近代的な贈答用には好適。
七、旅行小切手
旅行中、多数の現金を携行することなく、必要なときはいつでも各地ビューロー案内所、または指定銀行で
現金に変えられる。
斯して(かくして)日本はもちろん、満洲ほか主要都市にはビュー路案内書が出来ていて、旅行上の一切の相談に応じている。
大連、鞍山、奉天、四平街、新京、安東、通化、榮口、撫順、吉林、図們、延吉、牡丹江、佳木斯、清津、羅津、哈爾濱、斉斉哈爾、満洲里、錦縣、承徳、山海関、北京、天津、塘沽、張家口、大同、厚和、太原、石家荘、済南、青島、上海、南京、杭州、蘇州、漢口。 』 |
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| 拡大としに支店を置いたジャパン・ツーリスト・ビューローですが、満州国設立時点で、中国の各地に(満州に限らず)、案内書12箇所、出張所5箇所、代理店7つがありました。
さて、トップに掲載しておりますひし形にJTBを ( Jは左下に小さく )あしらったこのマークですが、戦前のジャパン・ツーリスト・ビューロー発行のパンフレット類にこのマークが描かれている例がいくつかあり、当時のロゴと思われます。 |
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| 満州をくまなく歩いたジャーナリストの体験談で、興味深いものがあります。
そのジャーナリストはビューローの案内を無視して、自力で地元の渡し舟と交渉して乗船。しかし、地元民の運営する渡し舟は "直ぐに出発する" という案内をしたにもかかわらず、この船がいつまでたっても出発しない。実は船は満席になってから出発するつもりだったわけです(定時に出発する、という発想が無い)。空席のまま出発するより、客をいくら待たせてでも満席にするわけです。
しかたなく船を降り、ジャパン・ツーリスト・ビューローへ戻り、契約している船の紹介を頼む羽目になったとか。
いくら旅に慣れたジャーナリストでも、ジャパン・ツーリスト・ビューローの提供する旅行サービスにはかなわなかったという話です。
また、地元の人が経営する乗り物の類は、日本人とみると、法外な値段をふっかける例は少なくなく、こうした面でもあらかじめジャパン・ツーリスト・ビューローが手配、あるいは紹介する乗り物は安心でした。
もうひとつ、画像を。
先の照会文に添えられた挿絵です。海を渡る船、その周りを飛ぶ白い鳥、旅への憧れを掻き立てられる一枚です。
煙突には白線が描かれています。船の形は浅間丸か龍田丸を模したものでは、と考えます。 |
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