このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




満鉄 その2





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
こちらでは満鉄社員の生活の一環として組合関係の画像を紹介してまいります。

満鉄の幅広い活動は、様々なジャンルに及んでいます。
満鉄の諸活動を画像つきで紹介してまいります。

撫順_宏壮なる炭鉱倶楽部の偉観
満鉄の福利厚生施設の一つ、当満州写真館の撫順その4でも紹介しております、炭鉱倶楽部です。
画面では切れておりますが、この左側に斜面があり、撫順その4では、その斜面の下から写した写真を掲載しております。
当然、かもしれませんが、玄関は自動車のアクセスが出来る様に作ってあります。

沿線住民や鉄道従事員を慰問する満鉄厚生列車車内販売
さて、満鉄の列車のサービスで、ユニークなものといえるのが、厚生列車です。
様々な品物が売られています。
大変な人だかりです。ロシア人らしき女性も見えます。
鍋、天井からコップが数珠繋ぎにぶら下げられ、ヤカンもみえます。紐も見えます。最近では買い物袋が主流で、買い物時の包装用の紐はあまり見かけなくなりましたが、ボビン(糸や紐を巻く筒状のもの)をぶら下げて、紐をさっと引いて包装するのはデパートなどでよく見かけました。

満鉄厚生船到着
松花江沿岸の住民を慰めるショーボート
こちらは船です。
ショーボートとあり、ステージでは日本舞踊の真っ最中、様々な人が集まっています。
満州人、ロシア人っぽく見える人も見えます。
撮影は松花江とあります。後ろの川がそれでしょう。対岸には建物一つ見えません。

ショーボート ( show boat )と外来語で紹介されていますが、厚生船を指しているものと判断されます。
厚生船は、先の厚生列車と同じく移動販売も行います。さらに映画、演芸の提供、病院の設備を持っていました。またこちらの写真の松花江だけでなく、ソ連との国境を形成する黒龍江でも活躍しています。

さて、改めて写真を。
舞台の足元は板か絨毯状のものが置かれています。なんとなく急作りっぽく見えます。
この写真からは判断が付かないのですが、ショーボートは後ろの船 ( 万国旗が下がっている、画面右側真ん中あたりに外輪が見える ) を指しているのではないでしょうか。女性が踊っているステージは岸に設けられたものでは、と考えられます。
人が集まるステージを、わざわざ狭い船に設ける必要はない、とも考えた次第です。

公主嶺満鉄医院
満鉄は、いくつもの病院を建てました。それは明治時代から着手され、大正時代には主要都市には満鉄病院がそろっていました。

画像はそのうちの一つ、公主嶺の満鉄病院です。
実は横方向に歩いている人は、病院前にある道路を歩いています。ということはこの写真は病院の道路を挟んだ、公園か何かから撮影している様です。

大正時代に、既に病床数55、看護婦7名、調剤員2名、職員2名の規模でした ( 参考まで、同時期、大連の満鉄病院が最も大きく、同じ大正時代に病床数370、看護婦110、調剤員10、職員34 )。

玄関部分をクローズアップ。
待機している人力車が見えます。

当時、未熟児として生まれた方の証言を。
誰もが育たないと感じた赤ちゃんだったそうですが、保育器で守られ、そしてスタッフの献身的な介護のおかげで無事、成長し、今日もお元気でいらっしゃいます。高度の設備を備えていたことが分かります。


→満州写真館へ戻る
 
→歴史資料館 目次へ戻る

→みに・ミーの部屋に戻る







このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください