このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




地方 農家





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
豊かに落ち着きを見せた南満の農家
ここでは、農家とその建物を見てまいります。子供をつれた農民が写っています。
石垣のそばには驢馬がいます。

満州国の治安と政情の安定に伴い、農民の生活も豊かになっていることが伺えます。
石垣や木が育つ庭、そして家もすべて働いた成果で、子供を抱く男性の表情も穏やかです。

北満土着農家
地平線まで山もなにもみえない平原でしょうか。立派な家がたっています。
農家の右はしにあるのはカマドと思われます。一方で、一方で、農家には煙突がありません。煮炊きをするのは屋外で行うため、カマドは外にあり、家の屋根にカマドの煙突が無いのはわかるのですが、冬場の暖房の煙突と思われますものも見えず、一寸、意外に思えます。

金州地方の農家
『 南満の土地豊穣民は勤勉耕作に倦まず
  収穫の秋は寂かなる農村に撃壌歌流る。 』

撃壌歌とは、世の中の太平を楽しむ様をいいます ( 「十八史略」などで、一老人が腹鼓(はらつづみ)を打ち、大地を踏み鳴らし、太平の世への満足の気持ちを歌ったという故事から )。

穀倉
『 満州人農家の邸内にある穀倉である。
 草葦きの屋根に柳條の壁で囲まれ中二階式に株がすかされてある。 
 これは積雪や湿気の関係から来たものだと思われる。
 穀倉に限らず、満州人農家の家屋には草葦が多い。 』

東部露満国境方面、東寧付近で撮影。

穀倉 ( 北満 )
『 この穀倉は北満特有のもの、柳枝を以って骨格としてその上に泥を塗る。
雨の少ない土地なればこそ使われる構造である。兆昂鉄道沿線に多く見る。 』
(地方都市その3の付近)


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