このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




薩爾団 開拓





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
薩爾団(サルツ)という場所に、農地開拓が行われており、こちらにて紹介いたします。
場所を青丸印で追記しました。
右下が哈爾濱(ハルピン)、左上の赤丸が斉斉哈爾(チチハル)です。

薩爾団に駅はありますが、よほど詳細地図でもないかぎり、省略されています。

トラクター班のプラウ作業に一望千里の広野はみるみるうちに耕されていく
トラクター3台が、見渡す限りの大地ををプラウで耕し始めています。
トラクターは、ドイツ製で、Lanz社のものです ( Lanz社 Raupenbulldog )。

『 建国十周年の栄えある記念日を間近に控えて満州国は益々堅牢な発展の歩みを続けている。

だが、満州国が大東亜共栄圏の北方の重鎮として押しも押されもしない威容を整え得た影には満州開拓青少年義勇軍、満州建設勤労奉仕隊、興亜学生勤労報国隊などと、わが若き世代の燃えるような建設の意欲と血のにじむ奉仕もまたこれに秘められていることを忘れてはならない。

今夏も多数の若い学生が建設の使命を担って大陸に送られた。
其のうち、濱江省薩爾団(サルツ)特設農場に三ヶ月間、奉仕の鍬を振った東京、千葉、神奈川、その他、一府十一県から選抜された農業学校生徒、三百名の汗の体験を現地に訊ねてみた。 』

耕作馬を駆って家畜班の除草作業
『 満州線を哈爾濱から四時間の行程で薩爾団につく。
さらに応報へ9キロ、一望千里、目を遮るものも無い広野の中に薩爾団特設農場がある。

この一帯は農業に全く適さないアルカリ地帯で、昭和14年この農場が設置された目的もいかにしてこのアルカリ土壌を征服して肥沃な耕作地たらしめるかにある。

だが、この農場は一万五千町を擁しながら、これを経営する人々は日系満系併せてわずか三十名に充たぬ小家族なので開墾、播種、主格など一切が前期班、後期班に分かれた奉仕隊員の手で行われるのであるが、この悪条件の未墾地と取り組んで隊員の奉仕と練成の生活が繰り広げられたのである。

朝、起床とともに人員点呼、洗面を大江、広場に整列して体操と、六時に朝食、朝食後自習で七時班に各班に分かれて作業に就く。
雨の日は作業の代わりに自習である。
午後は晴天であれば畑に出て作業を続け、六時半に夕食、入浴、九時には消燈就寝。
大陸の炎天と戦う若く逞しい身体、そして広漠たる土に挑む満州の土を刈って大御田に化し奉らんとする新年。
満州国の健全な成長とともに若い学徒、そして興亜の戦士も強く育まれつつあるのだ。 』

羊草 (ヤンソウ) の採取 ここでは唯一の大切な薪である
今回ご紹介する資料により、アルカリ土壌という農業には不利な土地が北満州に広がっていたこと、それを、満州国設立後、農耕地として使えなかった土地に科学的アプローチと多大な労力を投入して克服した内容が判ります。また戦前、こうした土壌改良も記事として日本に紹介されていたことがわかります。
ちなみにグーグルアースでみても畑が広がっており、今日も尚、農耕地として役立っている様です。
 
さて満州国設立前、日本国内では京都大学が満州の地方の土壌について調査、これを論文にまとめています(今日もこれを収蔵しているとのことです) 。
北満州 (斉斉哈爾や安達など) の土壌はアルカリ性であること、そして局地的に強いアルカリを示すエリアがあることが判っています。また、成分として重炭酸が含まれていることも突き止められていました(重炭酸:Sodium Hydrogen Carbonate、弱塩基性)。日本国内の大学が国外の農業に理科的アプローチを持って貢献していたことがわかります。
 
さて、こうした研究を基礎に、機械を投入し、土壌の不利を科学的に改質し、農業を展開したわけです。
戦前図書などでは、こうした土壌改善について実績を挙げたことについて触れたものは見かけます。
 
ところが日本国内での移民募集では、現地は肥沃だ、というだけで、どうも土壌の不利については触れていない様です。
当満州写真館を作成するにあたり様々な資料を探索したなかでは未だ、移民募集に関連して土壌の不利を言及した資料は見つけていません。
農業全般について触れた書籍には、土壌の不利を克服したという記述は見つかるのと対照的です。
 
 
これは推定ですが、国内の移民呼びかけに対しては、こうした労力のかかる作業は十分には宣伝されていなかったのではないでしょうか。つまり移民募集において、どこまで現地の情報は明らかにされていたか、は疑問がある、と考えます。

北満のアルカリ土壌といえば、この地に特有の植物で、アルカリ草という物があります。少々の塩分があっても平気でアルカリ土壌でも育つ草だそうです。

今日も一日無事の苦労を終えた明日に備えて汗のにじんだ汚れ物を洗濯する隊員
労働を終え満足そうな笑顔です。
背景に建物が見えます。ニスなど表面の塗装はしていないのか、とも思われる白っぽさです。
少ない資材で精一杯立てた、という印象が見て取れますが如何でしょうか。


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