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満州資源館





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
満州資源館正面
既に大連で紹介しております満州資源館ですが、こちらではその内容について紹介してまいります。
まずは正面から。
かつてロシアの時代にダーリニー市役所として建てられました (ダーリニーは、大連のロシア語読み )。
その後、満鉄本社、大連ヤマトホテルとして活用されてします。
ちなみに、この建物は少なくとも2005年までは現存していたとの情報があります。が、全く利用されておらず、廃虚化しつつあったとのことです。

案内図下階
では、一階部分の構造を見てみます。
正面は、図ではしたがわです。
表通りに面しているのは図でいえば、 \_/ の部分です。
ところが正面写真では写らない、図の右上の部分があります。全体としてコの字に近い形となって居ることがわかります。

案内図上階

本館の設立趣旨

『 本館の設立趣旨
満洲資源館は満洲の天然資源及び産業を中心として各般の資料を具さに募集して此れ(これ)に適切なる解説を付し、陳列公開して一般の利用に供し、是に依て資源の開発、産業の振興発達に寄興すると共に満州国内の諸事情の正しき認識を広めるを目的として設立せられて居る満洲産業博物館である。
 
本館の沿革満洲に於いて此の種類の陳列間の設立は各方面より要求せらるるに鑑み、満鉄会社は社内各箇所の調査、研究の資料を基礎として大正十五年三月前項の趣旨に依り開設に着手し、同年十月より公開するに至った。
はじめ本館の名称は満蒙物資参考館と称したが昭和三年十一月、満蒙資源館と改称し、超えて昭和七年、満洲資源館と改めた。

○ 本館の会館及び休館 :
満洲資源館の開館時間及び休館日は以下の通りである。
一、二、十二月  自午前九時半 至午後四時半
三、十、十一月  自午前九時  至午後四時
四、五、六、九月 自午前八時  至午後四時
七、八月      自午前八時  至午後三時

○ 定期休館 :
祝祭日、満鉄創立記念日四月一日、
歳末年始 自十二月二十八日至一月五日

従って日曜日も開館している、特別の事情に依りあらかじめ申し込みの場合は休館日でも参観することが出来る。

○ 参観要綱 :
本館の参観並びに所設備の利用は全て無料である。
図書室、館内閲覧に限り貸し出しいたします。
映画館、あらかじめ申し込みの団体に対しまして上映いたします。
携帯品預かり品、貴重品を除き、携帯品のお預かりを致します。

○ 質疑応答 :
陳列品に対する質疑応答は事務室で致します。
本館参観者は左記の事項に注意せられたし。

館内では静粛に、
所定の場所以外での禁煙をなさぬこと
館内で他の参観者に迷惑をかける行為をなさぬこと
陳列品の模写、撮影、または手にとって見たい場合は係員に申し出ること。
館内では係員の指図に従うこと。 』

『○ 満州国概要 :
満洲は南、関東州に連なって渤海、黄海に望み、東南部において鴨緑江、図們江をはさんで朝鮮半島と境し、北及び東北は、黒龍江を経て蘇領(ソ連の領土)に対峙、西南は万里の長城、西は丘陵と砂漠地帯をもって、中華民国及び外蒙に接する。
面積一三○万平方粁(キロ)、住民は三千余万にして五族協和の実を結んでいる。 』

満州の農業
『 満州の農産
満州の気候、風土其他の天然要素が農業に好適であることは既に周知の事実である。

満州における農耕適地は五午万陌余りと推算され、其内、既耕地は南部満州、満鉄線を中心として一千八百万陌に達している。 ( 陌 :ヘクタール )

残余三千二百万陌は所詮未耕地に属し北部満州其他であり最近の情勢に依れば之等は急速な開発を想像せられ既耕地に対する農法の改良増収と共に満州の地はまさに世界の穀倉である。
尚、現在の農作物の主要なるものを挙ぐれば普通作物としては高粱、粟、玉蜀黍(とうもろこし)、小麦、水稲、陸稲等で、
特用作物では大豆、青麻(いわゆるアサ)亜麻(アマ、リネン)、煙草、綿花、柞蚕(サクサン)などである。
其産額は何れも莫大に上り食料共に工業原料の供給地として、極めて重要な位置を占めるものである。 』

満州の農業
満州資源館の内分の写真です。いずれも特徴として、木枠で大きなガラス張りのケースでにサンプルを収めての展示を行っていることがあげられます。こうした大きなガラスで出来た、木枠で上等な家具風のショーケースは、当時の特徴で、旅順博物館、あるいは日本国内の博物館でも見られます。
さて先の農業展示ですが、多数のサンプルがガラスの筒に収められ展示されています。農作物のサンプル、穀物などが収められているのでは、と想像します。
そして先の写真、ガラスケースの中は植物の様です。大豆などの品種改良の紹介かもしれません。

満州の鉱山図
『満州の鉱山資源が近代的鉱業の萌芽を示したるは露国開発以後になるが、まもなく日本に代わり、いまや満州建国なり、産業立国の大本定まり新たに制定せられたる鉱業法の発布を見、鉱業開発の新生命を拓くに至った。
従って満州国鉱産資源はいまだ其の全体像を把握していないが既に判明せる有用鉱物のみでも金属鉱物において、金、鉄、鉛、銅、硫化鉄鋼等、非金属鉱物に於いて石炭、苦石灰(マグネシウム鉱石のこと)、耐火粘土、油母頁岩(オイルシェール)、滑石、石綿、長石、石灰岩など極めて多種多産にて、重工業原料及び軽金属工業原料または燃料などの鉱産資源を豊富に産することを認められ更に今後の精査に依り多数の新発見あることを期待せられ企業条件の良好とあいまって其の前途を注目せられている。』

満州の鉱山図2
こちらも展示だなに収められています。
窓が広いためか、明るい館内です。
先の写真では左側の棚に大きな歯車がサンプルとして展示されています。
こちらの写真は残念ながら何を展示しているのかはわかりません。
中央の棚は、中にすらりとした壷が見え、なんらかの鉱物で作ったサンプルか(金?)と考えました。また右側の棚のガラス瓶は鉱物のサンプルが収められているのでは、と考えます。

満州の水産図1
『満洲の水産
満洲の水産は大体三つに区別することが出来る。
ひとつは関東州を中心とした漁業で、他は河川湖沼に於ける淡水漁業である。
さらに満洲の海岸線に於ける製塩業も見逃すべからざるものである。
関東州は満洲の最南端に突出し東西に黄海、渤海を控え回遊の魚族豊富にして其漁業に
観るべきものあり、また蒙古地方では古くから宗教上の関係から厳重に漁業が禁止されていた。
したがって、哈爾濱(ハルビン)付近の松花江または呼倫池付近などの河川湖沼には淡水魚族極めて豊富に生息し今日需要な水産資源の一つとなって居る。
さらに沿岸に干潟多く、其天然要素と相俟って(あいまって)天日に依る製塩事業の盛大なることである。
其の産額は一ヵ年関東州内四十一万瓩(トン)、満洲国内三十七万瓩、計七十八万瓩に達するが、さらに産業五ヵ年計画の線に沿い益々増産の計画を進めて居る。』

満州の水産
先の展示は、魚の模型が展示してありました。
こちら、手前の大きなガラスの中ですが、なにやら等間隔の模様が見えます。
これはもしかすると、製塩(塩田)のジオラマではないでしょうか。

満州の畜産
『満洲の畜産
満洲の畜産資源が其(その)領域の広大さと豊富なる飼料の生産と国民の生活様式等の基礎的条件に加えて蒙古人が其生活資料の全部を夫に依存する遊牧民族である上、更に満洲農法が畜力利用の農業形態を執る等は満州国の畜産資源が其産業上有力なる依存であると共に、内容が豊富なことを知ることが出来る。
しかしながら在来極端なる粗飼料、粗管理を以ってし、其改善に意を用いざる結果は其質に於いて今後の幾多の改善を要する点が少なくない。
従って畜産品にして乳製品、獣毛、皮革、獣骨等の出荷高に於いても未だ組織的統制を見ず何れも品質に於いて劣っていると共に其量も比較的僅少であるということが出来る。
但し、野生毛皮類は従来相当量を欧米方面に輸出して居るが加工の上再輸入せらるるものも相当の量に達する。』

満州の畜産 2
こちらは羊のマネキン(でしょうか、あるいは剥製)を展示し、さらにこちらは蒙古のテント、包(パウ)が展示されています。
手前の手すりが包の入り口のところで途切れており、中に入ることが出来そうです。ただ、この包ですが、展示用にかなり小型に作ってあります。

満州林業
『満州の林業
満州の林産地帯は黒龍江省、吉林省、奉天省の三省に包括せられて居ると云うべきである。
其の内、特に松花江及其支流の拉林河、豆満江、牡丹江、鴨緑絵及其支流の渾江各上流一帯の地域と北満鉄道濱綏線の森林地帯大興安嶺山脈及び三江濱絵両省にまたがる三姓地方で此れラの森林は大部分其基礎的調査は終わっているが、松花江本流北部及黒龍江流域地方などは未だ十分な調査が出来ていないが、其量は莫大であると想像せられる。
満州国政府当局音発表によれば林野面積八千八百万陌の内立木面積二千位百万陌、立木蓄積三十七億立法米と称せられ其内針葉樹蓄積量十五億立方米、広葉樹二十二億立法米と想定せられている。』

さて林業、先の展示はガラスに収められているサンプルがありますが、ガラスがドーム状のものです。林業関連での展示ですし、何が収められているのか大変興味があります。
こちらの写真では右側に木材サンプルが並べられているのが見え、特に大きな幹の切断面を見せる形の展示が目を引きます。


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