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温泉その3





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
温泉その1で紹介いたしました湯崗子温泉と熊岳城を改めて紹介致します。

ではまず場所のおさらいから。
判りやすく、大連(下)、奉天(右上)を赤く塗っております。
南から熊岳城(青丸)、そこからずっと北に上がりますと湯崗子(青丸)があります。

ちなみに、熊岳城の南、北に、緑丸で塗っておりますのも温泉地です。
それぞれ許家屯、盧家屯です。さらに遼東湾の対岸、葫蘆島の南の興城街にも温泉がありました。いずれも詳細は不明です。

湯崗子温泉
ここには旅館対翠閣の他に玉泉館と日帰り入浴の清林館がありました。これ以外にも温泉宿はあったものと思われます。その他、泥湯がありました。

を訪問した男性達のポンチ絵(漫画絵)の絵葉書です。
元々は、『漫画の満洲記』という絵葉書シリーズで、満州全土の名所を紹介する漫画絵葉書です。オジさんたちの台詞と背景の絵でその土地土地を紹介するシリーズ物です (32枚物) 。オリジナルには色付けがしてあります(けばけばしい色使いです)が、当HPでの画像は満州の写真帳に掲載のものから引用しており、色の無い白黒ページであったため、残念ながらオリジナルの色合いをお伝えできておりません。
では、台詞と背景を見ていきましょう。

『どうだい、
 対翠閣に陣取って、ゆっくり千山の勝を探ろうか』
『そんな、のんきなことを言って
 ○の方は大丈夫かい』
『○は天下のまわるものだ、
 沢山ほしけりゃ働くさ』
『木賃式でも湯治が出来るって
 それには玉泉館がいいそうだ』

彼らの台詞ですが、どうも○はお金を指している様です(一般的に使われていた言いまわしではないと考えます、円と○をかけた?のでしょうか)。
対翠閣はその1で紹介しておりますが、絵はどうも対翠閣には見えません。

湯の池より清林館及玉泉館の望遠
では、彼らの台詞を画像で追ってみます。
『木賃式でも湯治が出来るって
それには玉泉館がいいそうだ』
この玉泉館は、こちらの左奥の建物です。
木賃宿ということの様です。つまり自炊で湯治を行うわけです。
が、見たところ木賃という割りは立派な建物で、いわゆる木賃宿とは印象が異なります。

右側は清林館です。建物が二つ連なっている様ですが、いずれも木造平屋の様です。こちらは、団体及び日帰り客用の建物です。
池には橋で渡る東屋が作ってあります。この池は、湯の池という名の様です。

それぞれの建物をクローズアップ。
玉泉館はレンガの建物ですが蔦(つた)で覆われて壁が見えません。向かって右端は屋上にテラスが見えます。こちらのみ蔦がありません。
右側、清林館のほうは大きな窓が見えます。日本風で、なんとなくですが、あまり立派な建物には見えません。
右手前は池に立てられた東屋です。

湯の池より清林館及玉泉館の遠望
彩色絵葉書です。

真ん中に入湯記念スタンプがあります。湯崗子の代表的温泉は満鉄の関連会社である湯崗子温泉株式会社が経営していました。スタンプも満鉄のMの字になっています。

日付から、おそらく昭和6年5月1日、日付の下は温泉マークがついています。
先ほどの池の中の東屋からの撮影で、それぞれの建物の様子が良くわかります。
玉泉館は向かって左端にはテラスが無く、片側だけテラスが設けられていたことが判ります。

同じくクローズアップします。
右側の清林館から。ここには手すり付の縁側が作られていて、日本の田舎の建物といった感じです。また細かな部屋割り(個室)ではなく、広い部屋が作ってあるように見えます。
団体客でしょうか、建物の中に何名か見えます。
その前を日傘をさしたご婦人が通っています。和装です。

左奥、玉泉館はレンガ造りで、かつ、蔦の生える壁は緑に彩色してあります
池に架かる橋の上、さらに左にいる人物は、不鮮明でなんともいえませんが、なんとなく外国人(西洋人)にも見えます。湯崗子温泉はロシア人にも人気があったそうですし、ロシア人かもしれません。

玉泉館
玉泉館の全体写真です。
向かって右上にテラスが見えますので、これまで見てきたのと同じ側、湯の池の側に面した側を撮影していることがわかります。
撮影時期が違うのでしょうか、壁には先ほどの写真の蔦は生えておらず、レンガがくっきりと見えます。
位置から考えて、さきほどの清林館は撮影者の背中側と考えます。

窓が等間隔に見えます。個室が並んでいるのでしょうか。

玉泉館 クローズアップ
さきほどの写真の向かって右側をクローズアップ、一階に『食堂』と看板が見えます。
外にドアが面しており、泊り客専用ではなく、だれでも入店できる構造です。
二階はすべての窓に同じ高さの手すりが見えますので、ここには広い部屋(ホール)がある様です。

さらに上、屋上の手すりが見えます。
戦前の湯崗子温泉の紹介に
『温泉ホテルの窓から当方を望めば、ウルトラ・マリン色の一台山脈が南北に横たわってみる。
 これ遼東半島の背面の最高点で、千山の名のある満州位置の霊山である。』
という文章があります。
きっと、この屋上も良い眺めだったことでしょう。

さて木賃宿とは、薪代をだけを払い泊り客が自分で米を炊くなど自炊をする宿を指す、あるいは薪(燃料にする木)くらいで泊まるの代金宿ということで安い宿を指します。今日でも、長く温泉場で湯治をする客向けに自炊前提の木賃宿はあります。
ところで、先に木賃式とありました。が、玉泉館には、食堂がありますので、薪代だけを払い自炊をする、という宿ではなく、安い宿の意味と考えられます。
しかも、木賃"式"とあります。
つまり安いなりの方式がありそうです。
これは想像ですが、今のビジネスホテルに近い形ではないでしょうか。
旅館につきものの仲居さんを省き、カウンターで鍵をもらったら自分で部屋に行き、また部屋でのお茶や食事のサービスも無し、というわけです。

玉泉館
左端をクローズアップ
白い服装の人物が4名見え、温泉で準備されているものと想像します。
その奥の平屋の建物は同じく温泉宿と思われますが詳細不明、門柱にも特に記載が見えません。屋根はスレート葺きにも見えます。門と壁が見え、手前の玉泉館とは別の温泉宿の様です。

湯崗子温泉は西洋人も多く、ロシア人は特に泥湯が好みでした戦前図書の記述に
『金髪、緑眼、大理石の如き美人が真っ黒の泥中より顔だけ出すのを見るのは湯崗子温泉の奇観である。』
とあります(今日も、この泥湯はあり、やはりロシア人に人気です)。
もしかすると、この建物は泥湯か、とも想像しました。

湯崗子温泉中国高等旅館瀧泉別墅
さて、最初のポンチ絵絵葉書に
『対翠閣に陣取って』
とありますが、対翠閣は二階建ての長い建物で、絵は似ていません。
むしろこちらの瀧泉別墅に似ており、これらの印象をごちゃ混ぜにして絵を描いたものと思われます。
瀧泉別墅はタイトルにもありますとおり高級旅館で、ロシア人を含むお金持ちに好まれた様です。
資料によっては中国式と紹介したものもあります。
日本人向きではないという意味ではないとは思いますが、それにしましても、日本人で満州に出かけ高級ホテルで散財するほどお金持ちってどのくらいいたのだろう、などとも想像します。

湯崗子温泉中国高等旅館瀧泉別墅 クローズアップ
三階建ての最上階をクローズアップ、三階の屋根にも窓が見えますが、ここには部屋がある様には見えず明り取りでしょう。
三階にはテラスがあり、周囲が見渡せそうです。

湯崗子温泉満鉄経営完備した設備の下に客足絶えない龍泉別館
池の側から見た瀧泉別墅です。
池のほとり、建物の前には不鮮明ですが、湯治客の行列が見えます。

千山さて、さきの漫画絵葉書の台詞
『どうだい、
対翠閣に陣取って、ゆっくり千山の勝を探ろうか』
とありますが、この千山につきましては、別途、千山の頁にて紹介してまいります。

熊岳城温泉
ここからは熊岳城温泉を。
熊岳河中の随所にアルカリ性無職の温泉を湧出し砂風呂として名です。

まずはポンチ絵絵葉書から。
『ねー、あなた、新婚旅行は温泉が一番だわねー』
『ちぇっー
いやな所で新婚をみせつけやがるな』
『体が温まってむずむずしてきた』
『内地の別府の様だ、
砂湯は痔によいというからひとつ
つかるかなー』

新婚旅行に湯治にと活用されている様子がわかります。
別府とありますが、大分県の別府温泉をさしており、ここの砂風呂は戦前から人気でした。
今日、砂風呂は鹿児島県の指宿が有名ですが、大分県別府の砂風呂も現役でにぎわっています。

熊岳河畔にあり温泉場あり清流の砂風呂は夏の遊客を引く
のんびりとつかる団体です。
子供も見えます。

熊岳城温泉名所熊岳河の流れに沿って広々と展開せる砂湯の光景
砂に埋もれたり、流れにつかったりと色々な姿勢で温泉を楽しんでいます。砂は細かく粒がそろっている様で、小石などは取り除いてあるのでしょう。

日傘を立てて砂に埋もれる人、右上には屋根があり日陰に人が集まっています。
画面、中央奥、壁で囲まれた場所も見えます。

画面左側をクローズアップお湯でしょうか、柵の中、ざばざばと湧き出している様です。

画面遠く、プールがある様です。手すりも見え、また人々の頭だけが見えます。ここもお湯を溜め温泉プールとしての利用でしょう。

熊岳城温泉
こちらの写真では板で四角く囲んだプールが良くわかります。
プールの向こう、浮き輪の女の子が歩いているのが見えます。
向こう側には建物、そして木の生い茂る林が見えます。

熊岳城 砂湯
これまでの砂湯は川原でした。
こちらは建物の中です。
当時客が思い思いに砂を体にかぶせ、砂を盛り上げた上に横になっています。
広くおきな窓は、どうもガラスなどは入っていない様に見えます。
が、ここに窓をはめこめば、冬場でも砂湯を楽しめそうです。

ところで、推測ですが、この建物は、この前の写真の画面中央左側に建っている建物ではないでしょうか。
砂湯の向こうの手すりが似ています。手すりの上の広いひさしの配置も似ています。
さらに、建物に明り取りの窓がびっしり並んでいること、その窓は窓三つごとに柱が配置されていること。
こちらの画面左に建物の壁が斜めになっている点も、先の建物(向かって右端)が丸いことと似ています。

こちらの写真では窓の外は明るくて何も写っていませんが、きっと子供の元気な声が広がる川原なのでしょう。

バスも樹陰を慕う日盛りの休憩所風景
右向こうに川と砂風呂がある様です。温泉に向かう人々の姿と、木陰の休憩所風景です。
かなり日差しが強そうです。

バス周辺をクローズアップ、温泉行連絡バスと書いてあります。

画面右遠くに浴衣を着た湯治客が見えます。また同じ形のかごがいくつも見えます。
湯治客は後ろの建物で浴衣に着替え、荷物はかごに入れて、というシステムなのでしょう。

右側、東屋があり、大勢のくつろぐ人が見えます。
画面中央、やや左下、白い看板があり、引換所、と読めます。
これは想像ですが、ホテルなどから渡される入浴の券を、入浴にあたって温泉が発行する券と引き換えるところではないでしょうか。

熊岳城温泉 施設完備の温泉ホテル本館
ホテルの名前が 『温泉ホテル』 なのでしょうか、
屋上もある様です。

画面右に、そして左奥にも小さな子供連れが見えます。

画面左上と右下の親子連れをそれぞれクローズアップ、日傘をさしたご婦人と児童です。

駅スタンプ
この一帯は果物が豊富に採れました。
スタンプも梨の形に、さらに中には温泉その1でも紹介しました熊岳城の目印である熊岳城望児山が描かれています。


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