このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




天照園 開拓





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
天照園移民団
『 従来、度々、新聞紙上にも傳えられた (つたえられた) 東京深川天照園の移民団である。
どん底の生活の体験を持つこれ等の人々が満州に於いて甦生(そせい)の実を挙げるべく三十余名の人々が選抜され、先ず関東州の馬家屯に満鉄用地及び官有地の貸興を受けてこの地に移住したのは昨年の春のことであった。
この計画は天照園主小阪凡康夫氏の発意に基づき、東京市社会局が之を後援し、その他の知名の士の援助もあった昨年中は、州内前記の地に於いて農耕の作業に相当の成績を挙げ、今年からは満州通遼付近に進出して銭家店に入植し、今春更に三十名の人々が東京を出発、渡満した。
之などは小規模ながらも、よく纏まって着実に成功への途を歩みつつあるものということが出来よう。 』

天照園移民団の紹介です。
場所は銭家店ですが、最初から銭家店に入植したわけではなく、馬家屯に土地を借りて実績を上げ、そこから本格的な入植へ移行したことがわかります。 馬家屯は大連の北側、金州の近くにある町です。

天照園移民団の満州移民実習における実務
『 東京天照園から渡った人たちは、先ず大連市外の大房身実習所で一年の間、農作に関する
凡ゆる実習を学ぶ。斯くて実習修了者は通遼縣銭家店の天照村へ移る。 』

銭家店とは、大鄭線( 大虎山〜鄭家屯 )の途中にあり、駅があります。
内陸ですので、夏場は暑く冬は極寒であろうと思われます。

二人ともゲートルをまいています。左の人は帽子、右側の人は和手ぬぐいを頭に巻いています。

天照園移民団 粟の収穫
『 天照園移民団の実習、房々と実った豊かな粟、而も無涯の大平原。白雲は希望の夢を乗せて地平線上に現れ今日も楽しい集団労働を祝福する。 』

広々とした農地での粟の収穫です。
遠くに見えるのは背の高い作物で、これは高粱かもしれません。

天照園移民団の満州移民実習所における玉蜀黍 ( とうもろこし ) 高粱などの収穫
右側、人物の前に山と詰まれたとうもろこしが見えます。
置く、牛に引かれた大きな荷車が見えます。荷車の車輪は大きく、また満洲で良く見られる車輪の形です。

天照園移民団の満州移民実習所
作業途中でしょうか、それぞれの姿勢で記念撮影ですが、皆さん、手に道具を持っています。
ローラーなど、満洲で使われている農具です(大豆などの鞘を挽くのに使う)。

実習所は立派な建物です。
左はトタン屋根でしょうか。右側は瓦屋根で、これも満洲でよく見かける瓦の形です。

天照園移民の大房身における実習作業
屈んで、刈り込んでいる姿です。遠く、束を移動させている人が見えます。
刈っているものがよくわかりません。
背が低く、米では無さそうです。
薪の代わりに燃料になる羊草 (ヤンソウ) か、とも考えます。

神戸大学 サイトから
移民の実績は当時、新聞で報道されていました。
特に、如何に苦労したか、紆余曲折を経てきたか、が紹介されています。

神戸大学サイトにて当時の新聞が掲載されています。
天照園の移民についての記事もありましたので紹介します。

 ←クリック
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10024348&TYPE=HTML_FILE& POS=1&LANG=JA
満州日日新聞 1935.10.10(昭和10)
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天照園の移民村収入五万一千円
昨年の大洪水被害を克服
素晴らしい好成績
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神戸大学 サイトから
 ←クリック
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10025031&TYPE=IMAGE_ FILE&POS=1
満州日報 1935.1.15(昭和10)
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苦難・一年を送った天照園移民団
昨年度涙の決算
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地図で天照園のあった通遼縣、銭家店を示します。
地図をトリミングし、着色しました。
まず下側の海・遼東湾を青く塗り、営口を緑で塗っています。
画面右中央、奉天を黄色く塗りました。

画面上の方、銭家店を赤く塗っています。
蒙古方面の貿易の中心である大きな町、通遼の東隣にあります。


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