このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




大連 その2





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
大連の町並み
この頁では、大連の町並みを更に紹介いたします。
画像はダウンロード形式で、大きめの画像としました。
ショートカット先をクリックされ、Cドライブに落とすなどしてご覧下さい。
●こちら●

またご覧になる際は人並み、そして看板にも是非、ご注目下さい。

大連
さて、こちらに1枚紹介しておりますのは、先のショートカット先の一枚をクローズアップし、画像掲示板で紹介したものです。
その画像掲示板は満州にかつて住まわれていた方々の集う場所です。
そちらでは看板を中心に様々な反応を頂戴いたしました。
ハンドルネームは当方に書き写します際に書き直しておりますのは予めご紹介ください。


『画像は大連の街角を撮った写真から看板をクローズアップしたものです。
「特製 アイスクリーム、最中アイス、アッキアイス」
とあります。アッキって何でしょうね。
木の陰になっていますが、
『東京、みつまめ、名代』
なにやら甘味処の様です。
白シャツの人たちが、いかにも暑そうです。
左上、水晶米、胚芽米とあります。いろいろなお米があったんですね。』

N様
『昨日は私も「アッキアイス」に悩みましたが、今日改めて見たらフッと分りました。
これは「アヅキアイス」でしょう。写真で ゛が飛んでいて、見えないのだと思います。また文字の大きさも、他の部分を見てもかなり不揃いです。』

NR様
『建物にばかり目が行って、アッキの謎には気が付きませんでした。
この石造りの二階建ては、当時の平均的景色です。
胚芽米はよく覚えています。』

F様
『大連の街角の写真ですが、お話の建物の、二階の窓の間の看板をよく見たら下半分にある大きな文字が「北澤洋行」と読めました。
そこで北澤洋行で検索して見ると、戦前、天津甘栗の輸入を始めた商社であることが分かりました。
http://home1.netpalace.jp/weixin/room/room.cgi
そこでまた看板に戻ると、上半分の2列になった小さな文字の右側の列に「天津栗子」の字が読めて、符合します。この建物は北澤洋行と見て良さそうです。』

NR様
『その「北沢商店」の右後ろの屋根の近くに、上に帽子をかぶったようなものが見えるでしょ(^-^)
これが煙突掃除の掃除口で、ここに長い竹を細く切って繋いだ10メートル以上の先に金属?のブラシをくっつけたものを突っ込んで煤を取り除くのです。
街の中をこの長い竹ブラシを輪に巻いて「エントッソー」といいながら通りを歩く中国人{満人)の掃除屋さんがいたのです。
これは必要欠くべからざる仕事で、あちこちから呼び込んで掃除をしてもらう声が聞こえました。暖房、お風呂の煙突です。』

R様
『とてもたくさんの事柄が知れました。
大連の ( 引揚者の ) お仲間の中には「僕は北沢洋行で買い物したよ」なんて方いらっしゃるのでは?
夜になると手前のスズランのような街灯に灯りがともり、それはモダンな雰囲気を醸し出していたことでしょうね。』

N様
『同じ場所を撮った別の写真があり、「浪速町通り」となっていました。
http://iccs.aichi-u.ac.jp/postcard/manzhou/category-36/MD001/
上記ページで出る写真集の最下段の左端にあります。クリックすると大きくなります。
北澤洋行は浪速町通りにあったのですね。
山県通りの「北澤商店」は「北澤洋行」とは別の店と思われます。』


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