このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




大連 老虎灘





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
老虎灘
こちらでは、大連近くの景勝地、老虎灘を紹介します。

『老虎灘の海濱は大連を距る東南に二里、電車にて三十分。
山岳、重畳すれども従容迫らず海角に方りで奇石快石の羅列を見るもの
老虎灘海濱とす水に臨みて旗亭茶亭など設置さるるあり。
涼味津々避暑地として好適と言うべく彼の水波学りては飛沫と化し巌に激して白霧と変ずる。
洋々として白帆を浮かべ舟歌を奮する。風光明媚にして夢の境めの感あり。
老虎灘の海濱は大連を距る東南二里(約8キロ)、電車にて三十分、山岳重畳』


老虎灘は今日の中国でも景勝地としてもてはやされている様で、wikiにも記述がありますが、これは現在の中国の老虎灘です。
満州国時代の老虎灘は今日より広いエリアを指していた様です。

老虎灘
『絶景をもって天下に鳴る大連市外三キロあまりの海岸にある老虎灘の景観である。
市から電車の便があり、釣魚に遊泳に大連市民が一日の
労苦を忘れるに絶好の場所として四季に人を絶たない。
奇岩怪石の配置など実によい調和を見せている。湾頭の大岩は老虎の空を見る形に似ているといわれる。』


遠くに険しい崖がみえます。
手前は地元の人達の漁船です。

観光用の船やボート(屋根付きの手漕ぎボートなど)もありました。

老虎灘
老虎灘は避暑地、そして別荘地としてにぎわいました。
交通の便も良く日帰りで楽しく過ごせます。また、泊りがけで楽しむ観光客も多かった様です。
画像は遊歩道です。
橋を渡る人は和装ですので日本人でしょう。橋のたもとにはボートも見えますので、今、引き潮なのかもしれません。
そして遊歩道の上にはいくつかの小さな建物が見えます。この辺りは、海産物の店がいくつもあり、人気だったそうです。
おそらくは魚が豊富に獲れたのでしょう。ちなみに老虎灘には明治時代に水産試験場が作られておりますので、この辺りの水産資源には大いに期待がもたれたものと思われます。

大連老虎灘のウオーターシユート
原画のキャプションにもウオーターシユートとカタカナでかかれています。
今風に言うならウォータースライダーでしょうか。
ウォーターシュートの天辺には小屋があります。電柱の様なものも見えますので、電気が来ているのでしょう。
これは先ほどの採色写真で紹介しました道を登ったところにあります(先ほどの写真をさらに高い位置から撮影した写真でみますと、坂を上れば、このウォーターシュートが設置してある小屋へたどり着きます)。

背景に、大きな斜めの斜面の崖がある山が見えます。

このウォーターシュートの上端をクローズアップしてみます。
が、このウォータースライダーの大きさなどが、いまいち判別できません。
立っている人物でも写っていればわかりよいのかもしれませんが。
ウォーターシュートの斜面の両側には手すりがある、ウォーターシュートの足元には階段が見える、などおよそ人の大きさを推測できる手がかりはあります。
なんとなくですが、ビルの4階程度の高低差はありそうです。
となりますと、もしこの斜面を滑り降りると、相当なスピードになりそうです。しかも海面へ放り出され、たたきつけられる。
そう考えますと、生身の人間が滑り降りるのは危険です。
ゴンドラか船かに乗って滑り降りたとも考えられますが、それでもお世辞にも安全とは感じられません。

こちらではスライダーの降りた端をクローズアップします。
やはり大きさの手がかりは、手すりが人の背丈ぐらいであろう、という推定以外にありません。
さて、頑丈そうな柱に固定されているスライダーの端は岩の上にあります。
海面には接していません。と、いうことは滑り降りてきたら、海へ放り出される形となります。しかも、周囲はごつごつの岩です。
本当に、これで遊べるのか、疑問に感じます。

大連老虎灘海浜の全景
全体的にごつごつした印象がある老虎灘ですが、砂浜もあります。

小さな船がいくつか見えます。
遊覧のボートっぽく見えるもの、漁船と思われるもの、様々です。

老虎灘
建物をクローズアップ、別荘や料亭と思われます建物がいくつも見えます。

大連老虎勝景  一方亭
こちらの建物は料亭です。
日帰り客だけでなく、泊りがけで食べて飲んで過ごすのに活用されました。複数の建物が集合したもので、大小さまざまの宴会場、ダンスホールを持っていました。
崖の上にあり、見晴らしもよさそうです。また一寸、わかりにくいかもしれませんが、何故か屋根には鯱(しゃちほこ)があります。
またこの鯱は黄色に塗られており、金の鯱の様です。
尚、これは採色絵葉書で、白黒写真に色を指定して印刷された絵葉書です。ですので、現物が必ずしもこの色は実際の色とは限りません。が、わざわざこの色を指定した、ということは、やはり金の鯱が屋根に置いてあったのかもしれませんね。
ちなみにこの一方亭は高級料亭だったそうで、一般庶民向けではなかった様ですが、大変繁盛した様です(クリスマスにダンスパーティが行われた、という資料もあります)。

昭和5年ごろの老虎灘です。
漁船が泊まっています。
先の写真より建物が少ない様で、こちらのほうが先に撮影されたもの、ということでしょうか。
左はとても立派な建物です。右手奥側の建物は猟師さんの家でしょうか。


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