| 『 嫩江に臨み軍事的必要から遠き昔に市街が開かれた斉斉哈爾(龍江)は新国家成立と共に、交通に政治に経済に一段の重要味を加えてきた。昔は黒龍江将軍がここに威勢を張った。 』
こちらでは、あらたに収集できましたチチハルの画像を紹介してまいります。 |
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| さて、こちらに現在収集できております斉斉哈爾の門の画像を並べてみました。
斉斉哈爾は城塞都市で、四方に門がありました。
さて、こちらの画像ですが、収集しました門の画像を並べてみました。これらを見ますと、いずれの門は同じものは二つとない様にみえます。どこかしら違った部分がありますので、もしかすると斉斉哈爾の四方の門の画像がそろっているのかもしれません。門の上に小屋があるもの、無いもの、時計台があるものなど、特徴もそれぞれみられます。周辺の、電柱なども異なって見えます。
ただ、手がかりが無いのですが、同じ門の違う時期を撮影したものがありそうにも思えます。門の上の建物も後から建てたものに見えます。ですので、たとえば同じ門でも小屋を建てる前の撮影、建てた後の撮影で違う門に見えてしまいます。門の向こう側と手前側で道路に高低差が見えるなど似ているものもあります。門についての考察はさらなる資料収集を待ちたいと思います。 |
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| ではここで新たに収集できました画像を紹介します。
街は広々と、そして活気があります。市場、ホテル(飯店)、そして斉斉哈爾の日本人小学校は、立派な校舎です。
また嫩江河岸の画像ですが、船大工さんがおり、船を止めていると思われます鎖が見えます。
遠くにはなにか積み上げてあり、埠頭として使われている様です。松花江でもそうですが満州の河の埠頭は、ただの土手で、特に段差もなく階段すら設けられていません。
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| もうひとつ門の画像で気づいたことをあげてみます。
『03斉斉哈爾_迎恩門_南門』の画像のクローズアップです。
迎恩門と書いてある左に、複雑な文字がみえます。
これは満州文字です。当HPでは初めての掲載です。
見た目、満州文字とモンゴル文字は似ています(同じ系統の文字ですし)
チチハルは黒竜江省で元々満州の文化エリアですし、それに清代には門や楼閣の扁額(横に長い額)などで、漢字の横に満州語を並べておく、というのは普通に行われていたそうです。清代の征服王朝の王家の文字だからです。道しるべなどでもみられたとのことでした。
中国でも南方ではあまり見られませんが、北京を含む北方では普通にあったそうです。
よく探せば、今後、収集する絵はがきにも見つかるかもしれません。
確か満州語は基本縦書きで書かれ、また行単位では左の行から右の行へ読み進むのだそうです。 |
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