このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




満州 夜景





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
満州夜景
こちらでは、満州の夜景を集めてみました。

●こちら


スライドショー


さて、夜景とかきましたが、通常の写真だけでなく、修正や加筆されたものもあります。

まずFile 『 001大連 日本橋夜景 』、File 『 008奉天銀座_春日町通り 』から。これらは、長時間シャッターによる撮影と思われます。
File 『 001大連 日本橋夜景 』は、該当が明るく滲んでしまっていて、周辺が真っ黒にしか写っていません。008奉天は、夜にも関わらず明るい町並みがよく写っていますが、長時間シャッターの為、人物がすべてぶれて形になっていません。ネオンサインの明るさ、特に左上の大きな満州電業のネオンが印象的です。

これら以外は写真をベースに街灯や窓などを書き加えています。
当時のフィルムの感度などから判断して、暗いなかかに明るいものが移っている場合、明るい街灯やネオンをくっきり写すのには大変難しく、また窓枠などもなかなかくっきり写りません。
特にFile 『 005奉天_浪速通り 』は加筆がわかり良いかと思います。
人々が全くぶれていない、空には月と月明かりに照らされる雲がくっきり。これは今日の高解像度高感度のデジタルカメラでも撮影は困難です。
実は、これは元の写真があり、またそれは昼間の撮影です。それを元に全画面を加筆して夜景にした力作です。

File010 『 満州 安東県 橋上の夜行列車 』 も印象的です。「満州旅行」でも紹介しました奉天を目指す夜行列車でしょう。車窓は鴨緑江にも反射し橋の向こうには街の明かりも見え、実に旅情を感じるものとなっております。
これもやはり全画面加筆のものです。橋を渡る列車がぶれなく写っていること、そして川面へ窓の明かりが反射しており、通常ではこういった撮影は無理です。それにしましても、丁寧に描かれており、それはそれで当時の雰囲気を感じるものとなっております。
当時の絵葉書のカラー画像はすべての色を彩色したものでした。それを考えますと、全画面を丹念に描きあげて夜景とするのは、当時としてはありふれた手法なのかもしれません。

さて、旅順の慰霊碑、白玉山(はくぎょくざん)納骨祠を昼と夜とで紹介します。
まずは昼間の風景を。この砲弾を模した祠(ほこら)で有名です。これが夜間にライトアップされた写真をアップしています。

これは長時間撮影でしょう。特に加筆もなさそうです。逆に言えば、なんの加筆もないため、明るい電灯以外、何も写っておらず周辺の様子はまったくわかりません。
左に納骨祠の塔が、そこから灯りの列が延びて画面中央にゲートがみえます。右側にもなにか建物状のものが見えます。これらの形状はまったく写っていません。ただ、位置関係からみて、ゲート状のものは神社の鳥居でしょう(いわゆる納骨神社)
ちなみに白玉山納骨祠のライトアップについてはまったく資料がありません。この白玉山納骨祠の昼間の写真には電灯が写っていたものは未だ見たことがありません。おそらくですが、この夜間ライトアップ用の電灯は常設ではなく、何らかのイベント向けに設置したものと考えます。
それにしましても、ずらりと並ぶ電灯を滲ませずくっきり捕らえています。大判カメラで絞りとシャッタースピードを絶妙に調整した、かなりの撮影技術を持った方の写真と考えます。

File 030 『 新京銀座遊歩街吉野町_両側に街灯 』
にぎわう新京の様子で、両側にたくさんの看板が見えます。そして両側にスズランの花のような配置で街頭が見えます。この形のものは国内でも流行った様で、地方都市の古い写真でもこの形状を見かけます。
左側新京銀座の文字が、ネオンであることがわかります。

ネオンは、ご存知のとおり、ネオンガスを封入した点灯管です。このネオンガスは、
当時、主にアメリカで生産されており日本も満州も輸入に頼っていました。こうした背景もあってか、ネオンの広告は、やはり贅沢なものであった様です。

ネオンは、日本国内でも街中では設置されました。
温泉街でもたくさん設置され、たとえば大分県では県庁のある大分市よりも温泉で有名な別府のほうがネオンは多く設置されていて、その明るさは評判だったそうです。
が、戦争が近くなるにつれて華美なネオンは敬遠されました。
広告屋さんによっては、貴重なネオンガスを捨てるに忍びず、いつかまた使える日々が来ると信じ、庭にネオンガスのガスタンクを埋めたとか (戦後に掘り出してネオン広告を復活されています)。
満州も、戦時中はネオンの自粛があったのでは、と想像します (夜の広告は爆撃の目標になりますし)。


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