このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2017.1.4 曇りのち雨
愛宕山
福島県 石川町 のんびり小隊
2017年(平成29年)の初山行を何処にしようかなあ~、、、Webで愛宕山(愛宕台)を知り、出掛けて来ました。
ここは今出川河畔にある「あさひ公園」です。クルマは公園内にある石川自治センターの駐車場に停めました。
h愛宕山登山口は旧石川町役場の脇にあります。石都々古和気神社参道入口から登り始めました。
石段の途中に胡桃下意成神社への案内板があったので立ち寄りました。
参道は歩き易く、綺麗な石畳が敷かれていました。ベンチもありました。
天狗岩です。横から見ると天狗のお面のようです。
紅葉・桜の小径を歩くと、、、その先に桜見台がありました。
桜見台から学法石川高校を望む
アジサイが咲く時節には夫婦石も引き立つでしょう。
亀石、甲羅から頭を出しているように見えませんか。
屏風岩がそそり立っていました。
石門(鳥居)
神籬岩、「ひもろぎいわ」と読みます。パワースポットになっています。
船形岩は平らな岩でした。
勾玉岩と天龍桜、天龍桜の樹齢は約160年です。
石都々古和気神社は「いわつつこわきじんじゃ」と読みます。
1066年(治暦2年)、八幡太郎源義家の代官、石川有光が「京都石清水八幡宮」の御分霊をここに合祀しました。
祖霊社と多賀神社・諏訪神社、社の後ろの大きな岩は剣石です。
五重塔と御神木、御神木は樹齢約350年の高野槇です。
石川城(三芦城)跡
1051年(永承6年)、福田安芸守源有光は「前九年の役」の功績により朝廷からこの地を賜りました。
1063年(康平6年)、ここに移り住み、名を石川有光と改めました。
その後、外敵の侵入を防ぐため、四方を見渡せる神社神域の一角に自然の山城・石川城を築きました。
1590年(天正10年)、小田原城攻防の際、第24代石川昭光は遅参したため、豊臣秀吉の怒りをかいました。
この地が没収されるまで、約527年間、石川氏が支配したと言われています。
狼煙台跡と見張台跡
石川城跡から少し降ると林道に出ました。そこにはパワースポットの「鏡岩」があり、駐車場もありました。
愛宕山に続く林道を歩くと、切り株のベンチがありました。アイデアがいいなあ~
林道の左側は浄蓮寺の墓地になっています。
愛宕山(愛宕台)が見えて来ました。
愛宕山には四等三角点がありますが、、、間違って石柱にタッチしたようです。
愛宕山の直ぐ下には愛宕神社の社がありました。因みに山爺は巳年生まれです。
いい色彩ですねぇ~
浄蓮寺の裏山には三十三観音石像群があり、浄蓮寺から始まり、浄蓮寺で終わる順路が設定されていました。
。
浄蓮寺です。仙道三十三観音第17番札所にもなっています。
境内を間借りしているニャンコたち、十数匹いました。
浄蓮寺の銅鐘、これは1697年(元禄10年)、鈴木庄右衛門信利が大施主となって造られたものです。
そろそろ、時間なので、あさひ公園に戻ります。途中、八句毛(八雲)神社がありました。
石川町には日本の近代国家の夜明けとなった自由民権運動の「魁」の歴史がありました。
ここは明治時代、石川会所が置かれた鈴木家の門です。
裏千勝大明神
石川小学校のグランドに石尊山登山口の案内板を見付けました。これは登るしかない。
男坂を登り、女坂を降ることにしました。山頂の大岩には「大山阿夫利神社」の文字が刻まれていました。
ククサ製作でお世話になった「桧工房」さんの桧のマグカップで乾杯!中味はコーヒーです。
石川の街並みです。写真中央が八幡山で山頂には石川城跡があります。
六角のお堂は昭和48年4月3日に再建された太子堂です。手摺の付いた階段は石尊山山頂に続く、男坂です。
学法石川高校陸上部のみなさま、合同練習なのでしょうか。練習に休みはないようです。
挨拶され、さわやかな気分になりました。「駅伝、頑張ってくださ~い。」
街を散策すると石川町の繁華街(呑み屋街)を発見しました。中を歩いてみましょう。
石川町まで酒場漂流は出来ませんが、、、呑兵衛の血が騒ぐなあ~
新年、あけましておめでとうございます。
スイスイ水曜日が復活しました。少しの時間ですが、、、
歴史を探訪し、健康を維持しつつ、のんびりと歩き隊と思います。
今年も宜しくお願いいたします。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |