このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

のんびり過ごし隊


 岩手鶯宿温泉の旅 【2016.6.5〜6】 晴れ                                    桜会&のんびり小隊
    岩手県 盛岡市


郡山駅12時00分発のやまびこ47号で盛岡駅へ、、、本日は「桜会」の旅行会です。

2008年(平成20年)6月の「身延山&下部温泉」以来の参加になります。中々、参加出来ませんでした。

   

新幹線に乗るや否や、ビールで乾杯、日本酒で乾杯!ワインで乾杯!

ツマミはピポットで購入した「金華サバ(宮城県産)の炙り〆」です。身が厚く、まいう〜でした。

   

盛岡駅に到着しました。WのE5系の前でパチリ、復興東北ですが、、、九州も、、、頑張れ!ニッポンです。

この風景いい感じ、、、盛岡市街を北上川が流れています。約40年前にKちゃんと来ました。

岩手山山頂は雲で覆われています。以前、この下流ではカヌーのスラローム競技が行われていました。

   

国指定史跡の盛岡城跡です。皆さま、足元ふら付いていませんか。

戦国時代の武者の声が聞こえますか。

盛岡城は慶長2年(1597年)に初代藩主 南部信直が築城を始めたと伝えられています。

南部家42代当主の南部利祥中尉銅像台座です。中尉は日露戦争で皇族軍人の盾となり戦死しました。

明治41年9月に銅像は完成しましたが、昭和19年4月、軍需資材として供出され、台座のみとなっています。

重要文化財の盛岡銀行旧本店本館です。この赤レンガ造り、何処か東京駅と似ていませんか。

設計者は明治洋風建築の権威 辰野金吾博士です。「赤レンガ」の愛称で親しまれています。

   

毎年6月の第一日曜日に開催される大盛岡神輿祭を見ることが出来ました。

ママちゃまの上にお子ちゃまが乗っています。母は強し!

   

櫻山神社は寛永2年(1749年)の創建です。旅行の際も御朱印帳を持って来れば良かったなあ〜


後記

正しい「茅の輪くぐりは」①一礼し、左足から左廻り、②一礼し、右足から右廻り、③一礼し、左足から左廻り

④御神前に進み、二拝二拍手一拝の作法でお詣りします。

盛岡駅から路線バスに乗って鶯宿温泉に向かいます。約50分で鶯宿温泉に到着しました。

本日のお宿は「川長山荘」さんです。終点のバス停から歩いて直ぐの所にあります。

川長山荘の看板ムスメのココアちゃんが出迎えてくれました。おじさん、お酒臭い〜

   

川長山荘の美人の若女将さんが出迎えてくれました。バスのお客さまも言っていましが、家庭的な良い旅館でした。

源泉は飲料出来ません。源泉の上にカタクリの群生地があるとのことでした。もう、終わっていましたが、、、

宴会まで時間があるので、鶯宿温泉街を歩いて来ます。川長山荘は温泉街の入口にあることが判りました。

月山、湯殿山などの石碑がありました。ここから、五穀豊穣を願い、遥拝したのでしょう。

   

うぐいす湯の里公園です。公園内には足湯や展望デッキがありました。

鶯宿川沿いに建つ温泉街、廃業したホテルもあり寂しい限りです。

   

鶯宿温泉神社です。薬師さまが祀られ、毎年5月8日に祭礼が執り行われます。

ウグイスが川の中の湧き出る温泉に浸かり傷を癒すのを見て、温泉を発見したと伝えられています。

温泉街の殆ど店は廃業していましたが、餅工房「むらかみ」さんは営業していたので入ってみました。

最近、好んで食べるようになった大福をゲット、、、1パックはお土産に持って帰ります。

もう1パックは今晩来るお客さまへのお土産にしましょう。

ミヤマオダマキのようです。

18時、桜会の宴会が始まりました。申し訳ございませんが、これから先からはお見せ出来ません。

昨夜は騒ぎ過ぎたかなあ〜、5時に起床しました。朝風呂に浸かり、約30分、温泉街を歩いて来ました。

   

川長山荘からタクシーで雫石駅へ、、、701系5000代通勤形電車に乗って盛岡駅に向かいます。

盛岡駅で皆さまとはお別れです。主夫が待っているので、私だけが一足先に帰らせていただきます。

前日の正午に出発し、本日の正午に帰宅する忙しい旅となりましたが、充分、楽しませていただきました。



1泊2日の旅行会ですが、出発時刻が正午で、翌日の観光を取り止めて帰ると参加出来そうなので、、、

2日分の準備をして出掛けて来ました。同窓会の皆さまと来ると、楽しみが倍増します。

懐かしい想い出が次々と蘇って来ます。現役よりもOBが多くなりましたねぇ〜

最後のふたりになるまで、この桜会を続けることを確認して、帰路に着きました。

帰るな否や、ブドウとモモの消毒作業、、、何時になったらのんびりと過ごせる日が来るのだろう。


   

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