このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2017.5.24 曇り
小富士山
福島県 棚倉町 のんびり小隊
小富士山山行を以前から計画していましたが、、、小富士山は登山口からピストンで約1時間で登ることが出来ます。
これではトレーニングになりません。歴史を探訪しながら、棚倉城址北駐車場~山頂をめざすことにしました。
内濠の桜(約500本のソメイヨシノ)が満開であれば、お花見にいいのになあ~、満開時にはライトアップされます。
今回の山行には地図、コンパス、高度計を持参して来ました。ルートを確認しながら歩きます。(GPSは常備)
山域・山容は全く違いますが、5月3日の「あの出来事」がありましたから、、、訓練です。
正面の山は法度山です。山頂に立つアンテナを確認しました。(地図で確認)
棚倉町役場です。町村役場の地図記号は「○」です。(地図で確認)
馬場都々古別神社は陸奥一之宮です。祭神に日本武尊を祀っています。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、社宝に源義家が寄進したとされる太刀や鎧があります。
国道118号線を横断します。
国道118号線を渡った所でコンパスを出し、小富士山山頂に合わせました。
必要な山域だけを国土地理院の地図から入手し、カシミール3Dで経緯度線・磁北線(数値付き)を引きます。
百均のA4版のフィルムケースに入れ、折り畳んでいつでも出せるようにポケットにしまっています。
県道60線(黒磯~棚倉線)を西に進みながら、地形を確認して歩きました。
山爺のジャガイモはまだまだですが、プロのジャガイモは花が咲き始めていました。
県道60線沿いの神社を確認しました。この先を右折する筈です、、、
国道289号線(白河・表郷)へ右折しますが、手前の旧道を行っても、先で国道289号線に交わります。
大竹川沿いの旧道を歩きます。
地図上では国道289号線と送電線が交差します。チェックポイントとして有効です。
小富士山登山口の案内板が見えて来ました。富士浅間神社の鳥居です。
護岸された十上沢沿いを歩いて行くと、富士浅間神社の社殿がありました。山行の安全を祈願しました。
ガードレールのある作業道を歩きます。突然、山鳩が繁みの中から羽音をたてて飛び出して来ました。
心臓に悪いなあ~、スズメバチもブーンブン、クマさんは居ないだろうなあ~
草ぼうぼうの作業道にマムシグサを見付けました。
荒れた登山道の先に「大山抵神」の石碑がありました。(大山祗神では、、、調べてみます。)
取水のための枡です。Webでは「ペットボトルに汲んだ。」とありますが、飲まない方がいいと思います。
沢を登って来るとヌルヌルした岩場に取り付きます。もう、止めようかなあ~、弱気になりました。
注意しながら岩場を登ると、〆縄が張られていました。(細い〆縄なので写真では良く判りません。)
スギの木の下に「登山口」と書かれた、朽ちた案内板が落ちていました。
尾根に取り付きましたが、結構な急登でした。(標高図参照)
石碑があったのでしょう。台座に寄贈した方々の名前が刻まれていました。
小富士山山頂です。石祠がありました。標高は446mです。
三角点は見当たりませんでしたが、方位盤が埋められていました。
携帯電話のアンテナが点いたり、消えたりしていましたが、山頂から婆ばに連絡しました。(通じました。)
単独山行では必ず、居場所を連絡しています。「小富士山に登って来ます。」と言って来ますが、、、
家族は何処の山か判りません。下山してからも、メールで「無事下山」を知らせるようにしています。
小富士山山頂からの展望はありませんが、、、八溝山かなあ~(帰宅後、地図で確認)
小富士山山頂から北西と南東方向に登山道がありました。国土地理院の地図には載っていません。
水分補給とフルーツゼリーを食べてから下山しました。嫌だなあ~、ヌルヌルした岩場を降るの、、、
稜線の左右は急斜面ですが、木が生えているので転げ落ちても引っかかります。
十数mも転げ落ちた方はどんな所を歩いたのでしょうか、、、
トラバースする時は廻り状況を確認してから行動することが大切です。危ないと思ったら、引き返す。
降雪期は特にです。山爺は耐寒訓練で滑落しました。(お椀の底で助かりました。)
本日の失敗は「靴」にありました。舗装道歩きが長いため、ハイキングシューズを履いて来ました。
この登山道には合わない靴底のパターンでした。(登山靴とポールはクルマに置いて来ました。全く~)
沢を降ると作業道が見えて来ました。ゴールまで気を抜かないで歩きましょう。
十上沢砂防堰堤です。富士浅間神社の傍にあります。堰堤記号で確認しました。
十上沢に個人所有?(庭~作業道)の橋が架けられていました。
富士浅間神社の鳥居脇にクルマ数台、駐車出来るスペースがあります。
登山途中で拾った杖(枝)に助けられました。杖は案内板の脇に置いて来ました。
棚倉城址北駐車場~小富士山山頂間は直線距離で約3.1kmあります。(GPSで確認)
地図上のスケールでは約5kmあります。14時前には棚倉城址公園に戻ることが出来るでしょう。
棚倉城址北門です。ここから「城攻めトレッキング」を始めます。
棚倉城址(亀ヶ城)公園、ここが本丸跡です。四方を土塁で囲われ、内濠で守られています。
この外に二ノ丸、三の丸があり、外濠で守られています。追手門、北門、南門があり、番所が置かれていました。
二代将軍 徳川秀忠は丹羽五郎左衛門長重に命じ、1625年(寛永2年)、この地に平城を築かせましたが、、、
1868年(慶応4年6月24日 戊辰)、阿部美作守正静の代に戊辰戦争で落城しました。(8家16代 約240年)
14時、遅い昼食になりましたが、「フードコンテナ」に冷たい蕎麦を準備して来ました。まいう~
次回の山行には「冷やしラーメン」や「冷やしうどん」を持って来よう~と。
亀ヶ城公園(追手門跡)の大ケヤキは樹齢約620年、二個の瘤の周囲は約9.5m、樹高は約32.3mあります。
濠に住む大亀が水面に浮かぶと決まって城主が転封されたことから、別名「亀ヶ城」と言われました。
ここは棚倉城址追手門跡です。内濠を渡ると、右手に土塁に上がる石段があります。
土塁の上には南北朝時代の碑や畑俊六元帥終焉の碑などがあります。
毎年、4月中旬の土・日曜日には「十万石棚倉城まつり」が開催されます。
当日は武者行列が町内を練り歩き、火縄銃の演武などが披露されます。勇壮ですねぇ~
自宅到着予定時刻は15:30です。
前回の山行で「あの出来事」に遭遇したので、初心に戻るためにも、、、と思い、準備して来ました。
普段はGPSだけを持参しますが、電池切れやエラーを考えれば、やっぱり地図とコンパスです。
ひとつの山でも春夏秋冬、千差万別です。自然の「ちから」は偉大です。勝負しても勝ち目はありません。
逃げる(撤退)ことが肝心です。
近々、地域公民館で開催される「男塾」に参加しようと思っています。
講義の中に「気象学講座」があり、気象の専門家が「気象学」について教えてくれます。
これからのシーズンは突然の雨や落雷がありますから、、、対処法を勉強したいと思います。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |