このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

のんびり歩き隊

                                                                  2017.12.3    晴れ


          木幡山&深沢羽山
           福島県 東和町                                                              のんびり小隊


木幡山隠津島神社の幡祭りは毎年、12月の第一日曜日に行われます。

木幡山幡祭り山行は今回で4回目になります。本日の天気は快晴でフリース1枚でも汗ばむ陽気になりました。

スタートは木幡住民センター(旧 木幡第一小学校跡)のグランドからです。

大将を先頭にゴールの隠津島神社本殿に向かいます。

実行委員会が準備した臨時駐車場は満車で路上駐車もOKでした。県外ナンバーが多かったなあ~

撫養幡祭り一行が旧道を歩き始めました。のどかな、、、村のお祭り風景ですねぇ~

新道の橋の上からカメラマンが幡祭り一行を今か、今かと待ち侘びていました。

二本松市 市指定天然記念物「一の鳥居大松」はなくなっていました。

2007年(平成19年)12月2日にはありました。2013年(平成25年)12月1日にはありませんでした。

東日本大震災の影響で一の鳥居と一緒に「大松」も倒れたのでしょうか。

    

1995年(平成7年)、ふくしま国体山岳競技選手の強化用に設置されたフランス製の人工壁です。

今は使われていないのか、、、テラスに大きなスズメバチの巣がありました。

池の奥には大きな幣束があり、御神水が流れていました。

遥拝殿です。隣に第二社務所があり、下山後、御朱印をいただきました。

二の鳥居、旧表参道を登ります。現在は林道桜畑木幡山線で本殿駐車場までクルマで上がれます。

旧表参道は少々、荒れていました。「よん町石」が建っていました。因みに「一町石」は治家地区にありました。

旧表参道は一旦、林道桜畑木幡山線を横断しますが、、、藪でした。舗装道を歩いた方が良かったかなあ~

タラの芽ちゃん

旧表参道は「八町石」で本殿駐車場からの参道と交わります。この先に東屋と木幡山展望台があります。

木幡山展望台から安達太良連峰を望む

木幡山展望台から吾妻小富士と一切経山を望む

国指定天然記念物「木幡の大杉」です。樹齢は約800年です。

幹内の腐食が進み、大きな空洞が発見され、倒壊寸前のため、約10本の支柱で支えられていました。

県指定重要文化財「隠津島神社三重塔」です。室町時代の1472年(文明4年)に建立されました。

1585年(天正13年)、伊達政宗の兵火によって全山炎上しましたが、、、三重塔だけが残りました。

これまで、自然災害などにより修復されて来ましたが、現存は2009年(平成21年)に修復されたものです。

隠津島神社本殿

本殿の廻りには八坂神社、熊野神社、白山神社、養蚕神社など、末社が12社あります。

木幡山経塚群、平安末期にお経が埋められた所で、稜線に一直線に6基並んでいます。

羽山神社まで約1km、60分の案内板がありました。

今年の6月14日に川俣町(羽山の森美術館)~羽山神社~福沢羽山をめざしました。

しかし、林道で2回も道迷いになり、福沢羽山を断念した経緯があります。今回は福沢羽山をめざします。

ムラサキシキブ

   

木幡山山頂です。ロケーションはありませんが、、、二等三角点がありました。

木幡山山頂~福沢羽山山頂をめざします。ここから先は藪漕ぎになるのでしょうか。心配になりました。

アップダウンを繰り返し、稜線に出ましたが、目印の間隔が長いので注意が必要です。

福沢羽山山頂です。三角点はありません。木立から木幡山が見えました。

福沢羽山山頂付近から一切経山を望む

木幡山山頂をめざして登ります。

道迷いになりそうな所には目印(ピンクテープの切れ端)を往路に置いて歩きました。

木幡山山頂付近の小さな石祠、五穀豊穣の御礼に稲穂が奉納されていました。

木幡山の銅鐘です。

重量は約1125kgあり、信者の尊い浄財で小野口正守氏(現 郡山市日和田町)らによって鋳造されました。

   

第一社務所です。

下の第二社務所脇には参宿所があり、夏期学習会や研修会などに利用さてれいます。(通年使用可、自炊)

木幡の幡祭りに併せて、県外のバスツアーの登山者御一行さまが表参道を上がって来ました。

大型バスで来られた写真倶楽部の御一行さまもいらっしゃいました。

下山時に再度、木幡山展望台に戻り、昼食にしました。風もなく、穏やかな日和です。

二岐山、那須連山、郡山駅前のビックアイを望むことが出来ました。

隠津島神社は769年(神護景雲3年)に勧請され、806年(大同4年)に平城天皇の勅願により、弁天堂が建てられました。

伊達政宗の兵火により、全山炎上、本社、末社は悉く焼土となりましたが、藩主や庶民の信仰が厚く、再建されました。

第二社務所脇に「何処からいらっしゃいましたマップ」があり、見てみると、、、

遠くは北海道から2シール、沖縄から1シールが地図上に貼られていました。天気も良く、良かったですね。



昨年からの目標「体重69kg」をめざしていましたが、空振りに終わり、現役時代に戻りつつあります。

いつも、孫っちのKちゃん(約10kg)を背負って、歩いているようなものです。

年末の明神ヶ岳、高尾山を軽快に、、、アキレス腱の痛みを和らげるためにも、低山を歩いています。

これから、2~3回、低山を登って、足慣らしをして望みたいと思います。


   

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