このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

のんびり歩き隊

                                                                 2017.12.13    晴れ


          明神ヶ岳
           神奈川県 箱根町                                                     藤沢ML会+のんびり小隊


小田原城天守の屋根瓦が朝陽を浴び、オレンジ色に染まり始めました。本日は藤沢ML会のみなさまと明神ヶ岳に登ります。

下山後、箱根湯本温泉の伊東園ホテルに泊し、オフ会に参加させていただくことになっています。

昨日、23時50分発のJR高速バスに乗り、郡山駅~東京駅~小田原駅まで来ました。(小田原駅 6時42分着)

JR小田原駅改札が集合場所になっています。約2時間あるので、小田原の街を散策することにしました。

昨年は小田原城天守をめざして歩きましたが、本日は外濠を時計回りに歩いてみることにしました。

馬出門土橋(めがね橋)です。ここが小田原城の正面入口になります。

馬屋曲輪です。

撫養「小田原かまぼこ通り」のマップを観光案内所で入手したので立ち寄ることにしました。

ここ国道1号線沿い(本町)の廻りには跡地を含め、12軒のかまぼこ店が軒を連ねています。

江戸時代末期には本町と隣の宮前町に26軒の旅籠があり、宿場町として栄えました。(小田原駅から約1.3km)

   

松原神社です。境内に「吉兆の大亀」がありました。

1545年(天文14年)3月、土地の者が小田原の海岸に現れた大亀を持参し、神社の池に放しました。

これを聞いた北条氏康は「吉兆なり」と神社に参詣し、舞を奉納したそうです。

翌年、関東管領 上杉憲政軍8万の兵を僅か8千の兵で破り(河越夜戦)、念願の関八州を平定しました。

ういろう・外郎博物館前から箱根の外輪山を望む、これより、小田原城の天守を観て、小田原駅に戻ります。

 

小田原市立 三の丸小学校の正門

小田原城址公園の西側に藤棚(御感の藤)があり、その下にスイセンが咲いていました。暖かいんだなあ~

   

小田原城に隣接する報徳二宮神社です。二宮尊徳翁が祀られています。

二宮神社の大鳥居は今秋、完成したばかりです。

御用材には樹齢約300年の杉が用いられ、小田原市足柄の「木」の職人によって仕上げられました。

天を突き刺すように聳える小田原城天守、本日は「富士山」が期待出来そうです。

小田原駅西口にある北条早雲公像、早雲は室町時代中後期の武将で戦国大名になった後北条氏の祖です。

集合時間まで時間があるので、朝食に「箱根そば」を食しました。マイタケと春菊の天ぷらを添えて¥480円は安い!

明神ヶ岳の登山口がある宮城野営業所まで箱根登山バスで向かいます。Suicaが使えます。

箱根登山バス宮城野営業所前のお店の駐車場でストレッチをして、、、スタートしました。

宮城野地区の住宅街を抜けて、明神ヶ岳登山口をめざします。富士山が観えるといいなあ~

住宅街にあった洗い場、水神さまが祀られていました。

箱根山は約40万年前に活動を開始した第四紀火山です。

カルデラと中央火口丘、二重の外輪山から構成され、内側に芦ノ湖を形成しています。神山は箱根山の最高峰です。

近況を話しながら、、、舗装道をのんびりと歩きました。明神ヶ岳への近道の案内板がありました。

二子山の麓から勢い良く、噴煙が立ち昇っています。

これは噴煙ではありませんでした。明神ヶ岳山頂付近から見ると工場の煙突から排出された煙でした。

舗装道を横切ると、、、明神ヶ岳登山口がありました。

明神ヶ岳への近道は別荘地内を歩きます。後日、登山道の脇に別荘が建ったのでしょう。

登山道の両脇に霜柱がありました。山頂付近の登山道は霜柱が融け、靴が泥泥(デロデロ)になりました。

別荘地内の舗装道はここまでで、これから先が登山道になります。右手に駐車スペースがありました。

深く抉られた登山道を歩く

大きなスズメバチの巣がありました。一般的に巣穴は下にありますが、この巣は真横にありました。

明星ヶ岳への分岐まで来ました。ここで小休止、明神ヶ岳までの標準タイムは約45分です。

右から神山、箱根駒ヶ岳、上二子山、下二子山と連なります。

明星ヶ岳までの稜線、登山道の一部が幅広で、、、防火帯になっているようです。

木製の仏像が登山者の安全を守っています。

いい感じ、、、篠竹のトンネルです。

明神ヶ岳への稜線が見えて来ました。

ここもいい感じ、、、でした。

   

石碑に「摂政宮殿下 大雄山行記念」と刻まれていました。摂政宮殿下とは何方ですか、、、

日本の歴代摂政一覧を調べると昭和天皇であることが判りました。大正天皇が疾病のため代わりに登られたようです。

石碑の先に大雄山最乗寺への案内板がありました。最乗寺は永平寺、総持寺に次ぐ格式ある曹洞宗のお寺です。

明神ヶ岳の山頂が見えて来ました。

左手に富士山が見えるのですが、、、雲の中でした。残念!

正面に相模湾と小田原の市街が一望出来ます。彼方に江の島が見えました。

明神ヶ岳山頂です。金時山からの分岐にもなっています。

藤沢ML会のみなさまと9名で登りました。左隅に富士山の裾野が見えています。

   

風の当たらない登山道の脇でランチタイムにしました。

山爺は小田原駅前のコンビニで「おでん」を買い、フードコンテナに詰めて来ました。

もうひとつのフードコンテナにはお湯をいただき、コーヒーを煎れて来ました。

フードコンテナ食はバーナー・ガス・水・食器などが要らないので、装備の軽量化に最適です。

山ガールのお姉ちゃまから「スマホ」で写真撮影を頼まれました。山爺は「スマホ」が使えません。無いので、、、

「逆光ですよ。」と言うと、ここをタッチすると大丈夫ですから、、、優れものですねぇ~

ランチタイムを終え、、、眼下に駿河湾を見ながら下山します。

時折、陸上自衛隊 東富士演習場(御殿場)からの爆音が雷鳴のように響き、朝から鳴り止みません。

「北」への備えかなあ、、、そうならなければいいのですが。

伊豆大島がこんなに大きく見えたのは初めてです。伊豆大島は山爺の義父の生まれ故郷です。

1986年(昭和63年)、三原山が噴火したした際、全島民が約1ヶ月間、島外避難したことを思い出しました。

沈静化した年の夏休みに羽田空港からYS−11に乗り、子供たちを伊豆大島に連れて行きました。

クルマ止めの最終地点から近道を降りずに、別荘地内の舗装道を降ることにしました。

別荘地内の舗装道の長いこと、長いこと。やっとのこと、明神ヶ岳登山道口に到着しました。

宮城野地区から明神ヶ岳山頂を望む、左奥が明神ヶ岳山頂です。

宮城野営業所付近から明星ヶ岳を望む、これから箱根登山バスに乗車し、箱根湯本駅に戻ります。

伊東園ホテルでは山爺の大好きな「呑み放題、食べ放題」が待っています。早く、帰らなくちゃ、、、

藤沢ML会のみなさまと総勢21名で夜の更けるのも忘れ、楽しくオフ会を過ごしました。


そして、翌日、、、

   

箱根湯本駅の箱根登山鉄道3100形電車と小田急電鉄1000形電車(箱根登山鉄道色)

呑んで、食べて、温泉に入って、、、爽やかな朝を迎えることが出来ました。午後には「現世」に戻ります。

箱根湯本の商店街は箱根駅伝歓迎の幟を立て、お正月恒例の「箱根駅伝」の準備を進めていました。

箱根登山鉄道の箱根湯本駅~小涌谷駅間に日本の粘着式鉄道では最急80‰の勾配があります。

箱根登山バスも「ブゥーブゥー」泣きながら、、、5区のヘアピンカーブを駆け上がりました。

箱根駅伝の5区を駆け抜けた、元祖山の神 今井選手・二代目山の神 柏原選手は凄いなあ~ (共に福島県の選手)



藤沢ML会のみなさまとは2009年(平成21年)の安達太良山山行からご一緒させていただいています。

早いもので、8年になります。藤沢ML会は発足から19年目を迎えました。来年は節目となる20周年を迎えます。

今までの山行記録をまとめたファイルを宴会終了後の部屋呑みで見せていただきました。

「のんびり歩き隊」も継続して、体力の続く限り、歩き続けたいと思います。(山爺もファイルをいただきました。)

来年、みなさまとご一緒する「富士山山行」、「出羽三山巡りの旅」を楽しみにしています。

オフ会に参加させていただき、ありがとうございました。


   

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