このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

のんびり過ごし隊


 〜磐梯町〜仏都会津始まりの町 【2018.8.22】 晴れ                                      のんびり小隊
    福島県 磐梯町


   

本日は福島BK主催の「夏の10大イベント」 地元クローズアップ第7弾 〜磐梯町〜仏都会津の始まりの町を訪ねます。

福島からの参加者と郡山からの参加者を乗せたバスは磐越自動車道を一路、磐梯河東ICへと向かいました。

ここは会津仏教文化発祥の地 磐梯町にある史蹟「慧日寺」です。

史蹟内を歩いて磐梯山慧日寺資料館に向かいましたが、、、もう気温は約30℃を超えています。

資料館の説明員から法相宗をかかげた開祖「徳一」と磐梯町の文化財の説明がありました。(館内は撮影禁止)

慧日寺は約1,200年前の平安時代の初期に徳一によって創建されました。

徳一は慧日寺を拠点に関東北部から東北南部で教化活動を展開し、仏都会津はここに始まりました。

この手水は磐梯山麓から湧き出る「龍ヶ沢湧水」から引いています。

中門から慧日寺金堂に鎮座する薬師如来坐像を拝しました。

金堂は2008年(平成20年)に平安初期の古式建築技法により復元しました。

翌年には中門が復元されました。

創建期の薬師如来坐像は慧日寺の長い歴史の中で度々の火災により焼失しましたが、、、

東京藝術大学大学院研究科保存修復彫刻研究室により復元され、金堂内に展示されています。(平成30年7月〜)

金堂の裏手には講堂跡がありました。講堂は高僧が経典を講義したり、法を説いたりする建物です。

講堂跡の北側に食堂(じきどう)跡が確認されました。食堂は僧侶が食事をする建物です。

それにしても、暑いなあ〜

乗丹坊の木ざしサクラ

今から約800年前、当時の慧日寺の宗徒頭 乗丹坊が挿したサクラの杖がこの樹になったとか、、、

エドヒガンザクラの古木です。かつてはサクラの開花を待って種籾を蒔く風習から「種蒔きザクラ」とも呼ばれました。

三鈷の藤

井戸の遺構です。危険ですから立ち入らないでください。

   

徳一廟です。寺域の最奥にあり、内部には徳一菩薩の墓と伝えられている石塔があります。

かつて三重と思われていましたが、発掘調査により五重の石塔であることが判りました。

現在の仁王門は江戸時代後期に建立されたものです。

木柄が太い独特な特徴を有し、近世の慧日寺の伽藍を伝える重要な建物です。

慧日寺の薬師堂は「会津五薬師」のひとつです。

時の朝廷はこの地の飢饉を憂い、弘法大師を会津の地に遣わしました。

弘法大師は人々の無病息災や五穀豊穣を祈って、五つの薬師を造ることにしましたが、、、

開眼直前に朝廷より帰都の命が下ったため、やむなく後の顛末を徳一上人に託しました。

その後、徳一上人は五箇所にお堂を建て、薬師を安置したと伝えられています。


徳一は会津の地から当時の新興仏教勢力であった天台宗の最澄と「三一権実諍論」を繰り広げたり、、、

真言宗の空海に「真言宗未決文」を送り付けました。徳一は842年(承和9年)に死去し、今与が跡を継ぎました。

最盛期の慧日寺は寺領18万石、寺僧300名、僧兵6,000名、子院3,800坊を誇っていました。

慧日寺本堂と山門です。山門は平将門の寄進と伝えられています。

現在の山門は江戸時代中期に再建されたものです。残念ながら、住職が留守で御朱印はいただけませんでした。

   

自然に恵まれた磐梯山の美味しい「ハチミツ」、トチ、ユリ、アカシアなどの蜜を生産しています。

路地に咲く可憐な花

イロハモミジの先端が色付き始めました。

   

磐梯町交流館です。昼食に「磐梯おもてなし弁当」を準備していただきました。

磐梯町産の食材をふんだんに使用したものでした。(磐梯山ミニころっけ味噌風味など)

   

昼食後、予定では「ブルーベリー収穫体験」でしたが、、、今年は栽培条件が良く、収穫が終了していました。

急遽、農家すずきさんちの「トマト収穫体験」に変更となり、有機栽培のトマトなど「5個/1人」を収穫しました。

1玉1玉が大きく、有料でも購入出来ました。帰りにリーフレタスをお土産にいただきました。

道の駅ばんだい「徳一の里 きらり」です。駐車場から厩岳山と磐梯山がはっきり見えています。

お土産タイムなので、オリジナル商品の地元産のソバ粉を練り込んだソフトクリームをいただきました。

   



国見町に続き、磐梯町の史跡に触れて、体感して来ました。

今回の参加者は男性(爺ぃじ)が5名、女性(婆ぁば)が21名です。圧倒的に女性パワーでした。

磐梯町商工会のスタッフ、JAのスタッフの方々の「町おこし」の取り組みに熱い意気込みを感じました。

鮫川村や国見町もそうでしたが、、、過疎化や高齢化社会を活性化するため、知恵を出し合い、実行していました。

イベントに参加するたび、地域密着型の「地元愛」を感じ、再認識する旅になっています。


   

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