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2018. 1.16 晴れ
土合山&松川ぶらりウォーク
福島県 福島市松川町 のんびり小隊
今年、初めての「電車でGo!」です。松川の街をぶらり歩きます。
昨日、裏磐梯の桧原地区は全国で一番寒い−21.7℃を記録しました。まだ、体感したことがない寒さです。
本日は昨日までの寒さと打って変わって、早春のポカポカ陽気になりました。乗ったら、まず、呑んで、、、Go!
五百川駅~本宮駅間から大名倉山と安達太良連峰を望む
本宮駅を過ぎると右手に四等三角点の「富ヶ峰」が見えました。
昨年、一等三角点の「七本松」と間違って登った山です。
富ヶ峰の最高点の右側が削られているのが判りますか。削られた土は東北自動車道の盛土になりました。
郡山駅から約31分で松川駅に到着しました。運賃は¥560円です。
701形通勤形電車(F2−22編成ワンマン)のドライバーは女性でした。女性ドライバーが多くなりましたねぇ~
1番ホームに上り電車、E721系通勤形電車が入線して来ました。
現役などを含めて、、、初めて松川駅に降り立ちました。駅前にある東屋で身支度を整えました。
本日は土合山(土合舘公園)をめざし、金水晶酒造店で季節限定品を買い求め、松川の街を歩きます。
事前学習して来ましたが、道迷いしないように案内板で位置を確認します。
福島市に本社を置く、「東北の東芝」 東芝のグループ企業「北芝電機」です。(小型Mの修繕)
松川駅~本社・工場まで約10m間隔で街路灯がありました。暗い夜道も安心です。さすが、電機メーカーさんです。
新聞販売店の角を左折するとチェックポイントの用水池がありました。一切経山が真っ白です。
原西地区のお地蔵さま
土合山ではありません。国土地理院の地図には「羽黒山」とありました。標高は218mあります。
羽黒山の左手(東方)には東北新幹線の福島トンネルが走っています。
松川地区を流れる水原川(白鳥飛来地)から飛んで来たのでしょう。
のどかな田園風景ですねぇ~
モモの剪定作業をしていました。山爺も近々に「巨峰」と「あかつき」の剪定をしなくては、、、
原西集会所近くに「寺山」への登山道があります。往復で約10分で登れます。(四等三角点)
福島登高会さまのレポートに土合山とセットで登られた記録を参考にしました。
寺山山頂には「山神」さまが鎮座し、明治40年4月15日と刻まれていました。
民家の上に平らな台地があります。土合山(土合舘公園)のようですが、何処が入口なのでしょう。
鳥居が見えたので土合山を反時計回りに歩いてみました。何故か、「南天」がいっぱい植えられていました。
「難」を「転」じて「福」となす。南天は縁起の良い木だそうです。
モモの木に袋が被せられていたので、、、来てみると、実はなく、袋だけでした。
写真中央のこんもりとした山は「千貫森」かも知れません。
土合山の東方にある鳥居です。ここが駒形三社神社への表参道になるのでしょうか。
東日本大震災の原発事故から約7年が経過しますが、、、ここにも「汚染土」が眠っていました。
土合舘公園の遊歩道の両脇にはアジサイが植えられていました。遊歩道の総距離は約1.7kmあります。
6月下旬~7月上旬になると、約4,000本のアジサイが見頃を迎えます。
駒形三社神社(駒形神社・稲荷神社・厳島神社)、三角点はありませんが、標高は228.1mあります。
唯一、展望スポットと呼ばれている場所です。
展望スポットからの眺め、和尚山~一切経山までの連なりを見ることが出来ます。高山に雪がないなあ~
正面に低山があります。テレビ局中継アンテナのある山が笹森山です。
土合山は昭和53年に「土合舘公園」として整備されました。時節にはアヤメを観賞し、歩いてみたいものです。
ちびっこ広場
叶観世音像
土合山は古城跡です。曲輪が確認出来ました。これより西方に八丁目城跡があります。
ここは八丁目城主の清野備前守によって築かれたと言われています。
他には伊達氏の内紛(天分の乱)の際、八丁目城の支城として築かれたとも言われています。
一時、二本松城主 畠山氏の支配下になりましたが、直ぐに大森城主 伊達実元が奪還しました。
伊達氏の移封(1591年)と共に八丁目城と支城は廃城になったとか、、、(豊臣秀吉の奥州仕置かなあ~)
土合舘公園のメインゲートには2つの駐車場と立派なトイレが併設されていました。
土合山を振り返ると、、、平地にこんもりと隆起したかのようです。
土合山を背に県道52号線をめざします。右端は松川小学校のG、その先には松陵中学校のGがありました。
県道52号線です。昔々の奥州街道です。信号の先のGS「ENEOS」に大名クラスの本陣があったそうです。(常務談)
「小悪魔くん」の看板、何屋さんなのか、当たりを見渡しましたが、、、判りませんでした。
金水晶酒造店の斉藤家は伊達政宗に仕えた武士の家系だそうです。
酒造りは1895年(明治28年)10月、初代 金次郎氏によって創業、開始されました。
全国新酒鑑評会では8年連続で金賞を受賞しています。
本日は直営店にある限定品の純米吟醸「なかどり」を買いに来ました。
4代目を継ぐ常務から奥州街道の歴史や金水晶酒造店の前身「旅籠 蝋燭屋」のお話しを聞きました。
六地蔵の道標です。
火袋には六地蔵が彫られています。地蔵石仏は旅人の目印であり、旅の安全を願ったものです。
円形の竿石には「1695年(元禄8年)4月8日 信夫郡八丁目施主 杉内中兵衛政軌」と刻まれていました。
松川は奥州街道、米沢街道、相馬街道が交わる八丁目城下の宿場町として栄えました。
この案内板で松川地区には55箇所の史跡や文化財があることが判りました。
松川の街を歩き終え、松川駅に戻りました。郡山駅までの電車の待ち時間は約50分あります。
一杯やりますか、、、直営店で買った冷え冷えの金水晶「純米吟醸」をククサに注ぎ、いただきました。
注釈通りの「福島のブランド」にこだわった芳醇な香りと味わいでした。美味しゅうございました。
ラベルの「△ ▷◁ ○」は家紋ではなく、「金水晶」の漢字を図形化したものと常務にお聞きしました。
入社当時(昭和50年代前半)、何か事ある毎に社員食堂で「お祝い」をしました。
出て来るお酒は「金」の付く福島の3銘柄でした。一升まるまる「ヤカン」に注ぎ、回し呑みしたものです。
当時は若く、「呑み鉄」に鍛え上げられましたが、呑み過ぎなのか、、、この銘柄は好きになれませんでした。
時が過ぎて、、、呑んでみると、、、
原材料・酒造技術・製法・杜氏が変わると、当然かも知れませんが味わいに香味を感じました。
福島の日本酒は美味しくなりましたねぇ~、次回は何処の酒蔵に行こうかなあ~
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