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2018.11.24 晴れ
大山祇神社参道ウォーキング
福島県 西会津町 YRLSG会+のんびり小隊
前日の11月23日(金)、、、
YRLSG会のみなさまと歩く、「大山祗神社参道ウォーキング&西会津ころり旅」を企画させていただきました。
その前に、、、新白河駅で下車。白河周辺の観光スポットを案内しました。
昼食は白河ラーメンです。市内には約100店舗のラーメン店があります。
「醤油ベース+ちじれ麺+ワンタン」が白河ラーメンの特徴です。「二代目いまの家」のワンタン麺を食しました。
白河の街から約20km離れた山間にある甲子温泉「旅館 大黒屋」です。今年、初めて見る雪景色です。
少し温めの大岩風呂は湯船の深さが約1.2mあり、「立ち湯」と呼ばれています。
白河藩主 松平定信公の別荘「勝花亭」です。
2008年(平成20年)9月、甲子トンネルの開通と同時に大黒屋が再オープンしました。一度は泊してみたいなあ~
勝花亭の先には甲子山への登山口があります。
新甲子遊歩道の奥まった所にカツラの巨木「剣桂」があります。(樹高約45m、幹周約9.7m)
2000年(平成12年)、林野庁は次世代に残すべき財産として「森の巨人」の中から100本を選出しました。
福島県には「剣桂」の他、「御鍋神社境内のサワラ」「峠路のケヤキ」「杓子ヶ入のメグスリノキ」「越代のサクラ」があります。
koko雪割橋から阿武隈川を覗き込む、谷底まで約50mあります。
現在の橋は1958年(昭和33年)12月に完成しました。五代目の橋は平成33年3月に完成予定です。
本日の「ちょい呑み」に千駒酒造に立ち寄り、試飲させていただきました。(山爺はドライバーなのでNGです。)
新発売や限定品に弱い山爺が選んだのは純米吟醸「彗 ひらめき」、購入しました。
白河小峰城は南北朝時代 1340年(北:暦応3年)、結城親朝氏が小峰ヶ岡に築城し、名付けたと言われています。
東日本大震災の影響により、2011年秋から修復工事が行われていますが、、、未だ、全面修復には至っていません。
三重櫓は1868年(慶応4年)の戊辰戦争で焼失しましたが、1991年(平成3年)に復元されました。
白河周辺を11時~17時まで観光して来ました。YRLSG会のみなさま、お疲れさまでした。
「呑味里山荘」で約1時間「ちょい呑み」し、近くの「びーだっしゅ」さんでおもてなし。(Yくんも参加)
帰宅後、また、また、「部屋呑み」し、23時就寝。お休みなさ~い。楽しい一日でした。
11月24日(土)、、、
呑味里山荘を7時30分に出発し、郡山IC~西会津IC~大山祇神社遥拝殿駐車場には9時に到着しました。
先行者のクルマが2台ありました。山仕度をし、9時20分に駐車場をスタート。
後記:大山祇神社参道入口に道祖神が1体あったので、参道には6体の道祖神があったことになります。
大山祇神社御本社まで約4キロの参道を歩きます。
この参道は「なじょな願いも聞きなさる山の神さまに詣でるコース」だそうです。
早いですねぇ~、先行者が戻って来ました。
いい感じ~、冬枯れには程遠いですねぇ~
不動滝への鳥居がありました。傍に道祖神、参道には5体の道祖神(うるおい)が祀られていました。
大山祇神社は真海法師によって勧請されました。
大山祇神社の起源と深く関わる「不動滝・弥作滝を参拝ください。」とのことなので、、、滝壺まで降り、参拝しました。
まだ、秋を感じますねぇ~
弥作滝の社です。滝壺まで降りることは出来ません。道祖神には「出会い」の文字が刻まれていました。
弥作滝の流れと滝壺
YRLSG会のみなさまと参道をのんびりと歩く。
道祖神には「ぬくもり」の文字が刻まれていました。「一本杉」は根元から枝分かれしているので「二本杉」かなあ~
参道には工夫を凝らした手製のベンチがたくさん設置してありました。休憩の際、、、
渓谷側のベンチに座る時は切れ落ちているので注意してください。
右に降れば杉並木参道ですが、足元が悪いので行くのを止めました。御本社まで約900mです。
おもろい木、ヒゲを生やしています。
道祖神には「まどろみ」の文字が刻まれていました。御本社まで約600mです。202段の石段を登ります。
杉並木道(道祖神道)、御本社まで約300mです。
樹齢約400年の杉並木の中を「山の神さま」のパワーを感じながら歩きました。
道祖神には「よろこび」の文字が刻まれていました。
大山祇神社の御本社です。
Yさんから「第30回 ふくしま緑の百景歩こう会」のパンフレット(10/20開催)をいただいていました。漸く、来れました。
5月19日には「第13回 健康ウォークin大山」が開催されました。
奥ノ院の社です。更に約700m登ると「幻の奥ノ院」があります。(台倉山八合目) 山爺はここで遥拝しました。
「幻の奥ノ院」に行くには特別参拝ウォーキングに参加し、先着限定人数のみが参拝出来るそうです。
危険が伴うので、ガイドのサポートがあります。昭和初期まで修験者は飲まず、食わずで修行をしたそうです。
気温が上昇し、杉の枝葉に付いた雪や氷魂が落ちて来ました。
カラマツの黄葉が見られました。
急勾配の舗装道を滑らないように気を付けて降りました。
落ち葉が側溝を塞ぎ、落ち葉の下を水が流れていました。
大山祇神社遥拝殿にお詣りし、御朱印をいただきました。往復約2時間20分の山行でした。(休憩なし)
鳥追観音堂の裏手(西御拝口)にある観音茶屋で昼食にしました。
建物で判断しませんが、、、新蕎麦が美味しゅうございました。西会津ころり観音ツアーのお食事処のようです。
観音茶屋の向かいに「単線用ラッセル雪カキ車」と「回転雪カキ車」が展示されていました。何故、ここに、、、
単線用ラッセル雪カキ車(キ172)は昭和14年2月、国鉄土崎工場で製造されました。
回転雪カキ車(キ621)は昭和24年1月、汽車製造大阪製作所で製造されました。
共に上・信越線や磐越西線などで活躍し、雪との戦いに明け暮れました。(同型式の展示は全国で2箇所のみ)
「金剛山 如法寺 鳥追観音」です。仏都会津の祖・徳一大師が807年(大同2年)に創建しました。
参拝者は東御拝口から入り、祈願して西御拝口から出れば観音さまの導きで西方浄土へ安楽往生が叶うとのことです。
観音堂の彫刻です。1611年(慶長16年)8月21日の大地震により観音堂が倒壊しました。
2年後、観音堂再建時、左甚五郎が鳥追観音の霊験にあやかり三匹の猿に心を込めたと伝えられています。
写真は「鷹は猿を見失い、難を逃れた猿 (難を逃れ猿)」
他に、(難より隠れ猿)、(安楽に暮らし猿)が彫られています。「隠れ三猿」を探せば「福まさる」と言われています。
「金塔山 恵隆寺 立木観音」です。
千手観音像は808年(大同3年)、弘法大師が根の付いた巨木に彫刻したと伝えられています。
立木仏としては日本最大級の大きさで国重要文化財に指定されています。(総高約8.5m)
観音像の左右に安置されている二十八部衆の眷属と雷神、風神が完全に揃っているのは貴重なことです。
立木観音より雪を纏った磐梯山を望む
「普門山 弘安寺 中田観音」です。本尊・銅造十一面観音は1274年(文永11年)に造られました。
野口英世の母シカが息子・英世の火傷治療と立身出世祈願のため、月詣りしたことで有名です。
平成30年も残すところ、約1ヶ月になりました。人生避けては通られないこと、健康に過ごすことの大切さなど、、、
多くを経験した年になりました。毎回、毎回、YRLSG会のみなさまとは貴重な「時」を過ごさせていただいています。
これからも「時」を大切にして行きたいと思います。12月中旬に伊豆熱海の玄岳、〆は高尾山を予定しています。
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